第8話

 それからの時間は、比較的穏やかに過ぎていった。


 朝の一件が尾を引いているのか、HRを終えて休み時間を迎えても、教室を訪れる生徒が目に見えて減ったからだ。


 たったひとりの発言だけでこうも変化があるとなれば、士道の影響力というものを、いやがおうにも意識せざるを得なかった。




 とはいえ、移動教室なのか他のクラスがうちのクラスを横切る際はチラホラ教室の外からこちらを伺う視線を感じたし、なんなら空気の読めない教師が美織にテレビに出た話を振ったりなんてこともあったりと、途中途中であまりいい気分はしなかったが。




 でもまぁこれは許容範囲内といえるはずだ。


今はどうしても美織の話題は避けられないタイミングなことは理解したし、そうなれば折り合いだってつけられる。




人の噂は七十五日とも言うし、このまま美織に興味を失っていってくれることを、僕は密かに期待していた。


 だけど、そうなるためには、ひとつの懸念材料があった。


それは…




「やっ、美坂ちゃん。次は体育だねー。一緒に着替え行こうよ」




 休み時間になるとこうして美織に必ず話しかけてくる、木嶋の存在だった。




「あ、木嶋、さん…」




「だから華耶乃でいいってば。水臭いなー」




 毎回話しかけられ、それでも怯えるように小さく肩を震わせる美織に気付いているのかいないのか。


 ケラケラと笑う木嶋の佇まいは、人懐っこいというより馴れ馴れしい。


 笑い方も快活というには濁りがあり、どちらかというと下品なものだ。


見ていていい気分はしなかった。




(なにが華耶乃でいいだよ。先週まではまるで美織に興味持ってなかったじゃないか)




 完全に美織のことをいないものだとして扱っていたことを、僕は忘れてなんかいない。


 なのにここにきて、いきなり態度を180度変えている。


 その理由は明白すぎて、今更語るまでもないけれど、木嶋のあまりの図々しさには吐き気すら覚えていた。




「でも、私…」




「大丈夫大丈夫。かやのんって超いい子だから!」




「そそ。ウチらもこれからは美坂さんと仲良くしたいなーなんて思ってんだよねー」




 さらに言うなら、木嶋が引き連れてきた取り巻き連中も同様の嫌悪感がある。


 美織に媚を売りながら、さり気なく木嶋のことを持ち上げているその姿は虎の威を借る狐そのもので、単なる小判鮫にしか思えない。


そしてその牙は、今や美織に向けられていた。




(要するにお前ら、美織を自分たちの仲間に取り込もうっていうんだろ…!)




 テレビに出たうえに、容姿をちゃんと整えれば実は美少女であった同級生。


 話題性抜群なうえにロクに友達がいないとくれば、自分のグループに取り込んでクラスでの立ち位置をさらに磐石にするための、まさに格好の材料と言えるだろう。




 言い方を悪くするなら、美織は木嶋のカーストを引き上げるための生贄なのだ。


 そのことを、美織自身理解していたのだろう。


 こうしてこっそり僕のほうへと、助けを求めるように視線を送ってきているのだから。




「…………」




 だけど、僕はそれに気付かないフリをした。


 顔を下に向け、机の横にあるカバンに手をつっこむと、いかにも体操服を取り出そうとしている動作を緩慢に繰り返す。


勘の悪い愚図な人間を、僕は無理矢理演じていた。






 ……朝の件を引きずっていたのは、なにも他の生徒だけじゃない。


 僕もそのひとりだったという、それだけのこと。


 士道の立ち回りを見て、あれと同じことをできる自信が、まるで持てなくなったのだ。


 男としての自信を失っていたといっていいだろう。




 その証拠に、彼女が困っているのはわかっているのに、これまでの休み時間一度も美織に話しかけることができていない。


「大丈夫?」という簡潔なメッセージを送ることくらいがせいぜいで、庇うことすらできなかった。




「ほら、美坂ちゃん。もう時間ないよ、いこ」




「あ…はい…」




 やがて痺れを切らしたのか、強引に木嶋が美織を連れて教室の外へと出ていく。


 その際、美織がこちらを一瞬だけ見た気がしたけど、やはり目を合わせることはできなかった。




(……最低だ)




 僕はなにをやっているんだろう。




女子のいなくなった教室で、憂鬱な気分に包まれながら、ただゆっくりと着替え始めた。








 ……………………






 …………






 ……








「は、ぁ…」




 外でのソフトボールを終え、教室へと戻る僕の足取りは重かった。


 ただでさえ運動が苦手だというのに、今日は特にひどかったからだ。


 ボールを上手く取ることができずにバンザイするわ、全打席で三振しかできずに笑われるわと散々な結果に終わったあの時間を、もう思い出したくもない。




 幸いだったのは、女子がバレーで体育館に別れていたことくらいだろう。


 美織にカッコ悪いところを見せずに済んだことくらいしか、プラス材料を見いだせそうにない。




「もっとも、もう呆れられているかもしれないけどさ…」




 情けない自分自身に、思わず自嘲していた時だった。




「よっ、辻村」




「え…」




唐突に、肩に手をかけれる。


 そうして次に聞こえてきたのは僕の名前。


 明らかに男だとわかる声は爽やかで、どこか聞き覚えのあるものだった。




 いや、僕は知ってる。間違いなく。それが誰であるのかを。


 だから咄嗟に、名前を呼んだ。




「士道…くん」




「おう」




 短く頷き、背後からひょっこり顔をのぞかせたのは、クラスメイトの士道だった。




「さっきの体育、あんま良くなかったな。まぁ気にすんなよ。よくあることだって」




 …どうやら慰めてくれているらしい。


 こんなことは初めてだったが、嬉しいというよりは少し複雑な気分だ。


 なんでいきなり話しかけてきたのかそもそもわからないけど、少なくともさっきの時間のことで怒ってるわけではないようだ。




「うん、ありがとう…」




「はは。でさ、早速本題に入るんだけど、辻村って美坂さんと付き合ってるんだよな?」




 ほっとしたのも束の間、投げられた質問に一瞬息が詰まる。




「あ、その…」




「いつも一緒にいたの知ってたからさ。急に有名人になって、なんか大変だよな」




あまりの直球さから、咄嗟に言葉が出なかった僕に、笑いながら肩を組んでくる士道。




「ちょっ…」




「彼氏ならしっかり守ってやれよ。木嶋って結構強引なとこあるやつだからな」




 戸惑う僕の耳元で、士道はそう口にした。




「っ……」




「ま、余計なお節介かもしれないけどな」




 それはきっと、士道なりのアドバイスだったんだろう。


 これまでロクに話したこともなかったのに、どうやら気にかけてくれたようだ。


 そのことに一瞬喜びを覚えてしまったのは、僕という人間の器の小ささからかもしれない。






 ザワザワ…






「ん?なんだ?」




 だけど、せっかくの士道の忠告を、僕は活かすことは出来なかった。




「やべ、マジかよ…」




「テレビで見たときよりめっちゃ可愛いじゃん…」




 ざわつく廊下。その向こうから歩いてくる制服姿の女子を見て、僕の思考は固まってしまったからだ。




「うお…」




 隣でゴクリと息を呑む音が聞こえた。


 チラリと横を見ると、士道が目を見開いているのが見て取れた。




「…………」




 士道も十分イケメンといえる顔をしているのに、そんな彼でも感嘆するほどあの子は綺麗だということだろうか。


 僕は士道から視線を外し、もう一度前を見据える。




「っ……」




 コツンコツンと小さく音を立て、歩くその子の髪はストレート。


 小さく俯いているも、視界を遮るものがない裸眼。


 整った顔立ちがハッキリと見えている。






 ああ、確かに綺麗だ。


 なるほど、士道が息を呑むのも頷ける。


 本当に、掛け値なしの美少女がそこにいた。




 だけど、果たして僕はその子のことを、心から綺麗だと思えただろうか。


 だって僕の顔は、きっと苦渋に満ちたものだっただろうから。




「美織…」




 その子の名前を誰にも聞かせないよう、小さく口の中で呟いた。

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