第3話 KAC20212「走る」
「なんだ、走ってきたのか?」
「う、うん。待たせたら悪いと思って」
息を切らせて現れた美鈴に、慎二が呆れたような苦笑いを見せた。
本当は、慎二にいきなり呼び出されて、居ても立っても居られなかっただけなんだけど……コレは恥ずかしいから、口が裂けても絶対に言えない。
「いきなり呼んだのはオレなんだから、そんな事気にしなくても良いのに」
「そんな訳にはいかないよ。それで、用事って?」
「ああ…あれ」
そう言って慎二は、公園横の堤防をゆっくりと見上げた。釣られるように、美鈴も彼のその視線を追いかける。そうして「わあ」と目を見開いた。
「そっか、もうそんな時期かあ」
堤防の上の桜が、一杯に咲いている。おうち時間が長いせいか、こんな身近な事に、全然気付いていなかった。
「せっかくだし、美鈴と一緒に見ようと思ってな」
「え⁉︎ も…もしかして、わざわざ私を誘ってくれたの?」
美鈴の頬が、ほんのり桜色に上気する。
「自宅待機も、いい加減、限界だったろ?」
「……うん、そうだね」
何だか自分の意図とは少し違う気もするが、まあそれでも充分だ。
公園から階段を使って堤防に上がると、一本の桜並木が続いていた。その間を走る遊歩道には、ちらほらと人影も見える。例年ならもっと沢山の人で賑わっているのに、これも自粛の影響なのだろう。
「まあ、適当に歩こうぜ」
「うん」
慎二の声に促されて、美鈴もその横に並んで歩き始める。…しかしそれも束の間の事であった。
「あら、慎二さん、お久しぶり」
背後から突然、女性の声に呼び止められる。振り返るとそこには、美鈴も見知った顔が立っていた。
「お、麗華、久しぶり。卒業式以来か?」
慎二が少し驚きながらも、綺麗な黒髪をハーフアップに結った女性に挨拶を返す。
この二人は高校三年生のとき、くじ引きでの結果ではあったが、学級代表をやっていた。美鈴も同じクラスだったので、良く覚えている。
「そうですね。貴方が連絡も寄越さないまま、もう二年になります」
「え⁉︎」
麗華のそのひと言に、美鈴は目を見開いた。連絡先を交換していたなんて知らなかった。
「悪い悪い。スマホを水没させちまってさ、お前の連絡先を知ってる奴が居なくて困ってたんだ」
…そう、私も知らない。てか、麗華が誰かと連絡先を交換してるところなんて見た事がない。美鈴はジト目で麗華を睨んだ。
「そうですか、それはお困りでしたね。それではもう一度…」
そう言って麗華がスマホを取り出した時、ひたすらにベルを鳴らしながら、初老の男性が自転車で猛突進してきた。
三人は慌てて道を開ける。
その瞬間、足を踏み外した麗華の身体が、グラリと河原の方へ傾いた。
「危ない!」
咄嗟に慎二が右手を伸ばし、麗華の腕を掴んでグイッと自分の方に引き寄せる。
同時に、美鈴の脳裏に稲妻が走った。
慎二と麗華の二人の顔が、吸い寄せられるように近付いていく。その様子は、まるでコマ送りのように、美鈴の視界にスローに映った。
駄目ダメ駄目ダメ!
「いやー、お二人ともお部屋に居ないと思ったらこんな所に…って、わー⁉︎」
そのとき聞き覚えのある少女の声が、頭の上から降ってくる。次の瞬間、麗華と美鈴の視界から慎二の姿が消え失せた。
「痛タタタタ」
すると二人の間の足元から、何かの動く気配がする。麗華と美鈴は揃えたように、同時に視線を足元に落とした。
「…ちょっとモモリーナ、毎度毎度、勘弁してよ」
およその状況を理解した美鈴は、呟きながら溜め息を吐く。
「貴女どなたですか⁉︎ 今すぐ慎二さんから離れなさい!」
そこでやっと我に返った麗華が、白いレオタードの肩を掴んで怒声を張り上げた。
「ふえ…? わわわ慎二さん、大丈夫ですか⁉︎」
モモリーナも状況を理解して慌てて跳ね起きる。その後、漸く乳圧から解放された慎二が慣れた様子で起き上がった。
「オレは大丈夫。モモリーナこそ怪我はないか?」
「あ、はい慎二さん、いつもいつもすみませ…」
「そんな駄肉を慎二さんのお顔に…っ⁉︎ 今この瞬間から貴女は私の敵となりました!」
モモリーナの言葉を遮って、麗華がビシッと右手で指差す。
「え? え?」
モモリーナは訳も分からずに目を白黒させた。
「駄肉は駄肉でしかない事を、私が必ず証明して差し上げます。次に会う時は、覚悟してなさい!」
そうして麗華はクルリと回れ右、そのまま一目散に走り去っていった。
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