第9話……エピソード16……アドリアンの命令でエジプトへ……続き
1373年6月中旬の日曜日午後3時……カイロ宮殿
バスラに集結している部隊に貿易港建設と同時にイエメン出兵とアデンの征服を命じた。ペルシャ湾岸を征服しようというのである。
マムルーク朝の征服によりアドルフはイスラム教のカリフの地位を得た。エルサレム、メッカ占領時に得た聖遺物のおかげである。
アドリアンに受けるかどうかお伺いを立てた。
アドリアン「当然受けるべきだ。お前がイスラム教の教祖となればイスラム教徒は全員の前に従うだろう」
その時、バグダッドの王に就任しているライサから連絡があった。
ライサ「バスラからの交易荷物のことだけど、バスラからバグダッドまでは船で遡れるがバグダッドからはチグリス川の川幅が狭くて遡れない。ディヤルバクルやモースルにはラクダに乗せて陸上輸送するしかない」
アドルフ「それは知らなかった。ユーフラテス川の方はビレジキまで水上輸送できるのにね」
ライサ「バグダッドから上流の地域は、水量が少なくて浅いのよ。大型の船は通れないわ。だからケレキ……注①を使うの。ディヤルバクルを出発してモースルやバグダッドまで下ってくることができるわ。ケレキは遡ることは出来ないので、到着点からラクダの背にのせられて出発点に戻らないといけないの」
アドルフ「よく分かった。バグダッドからユーフラテス川まで運河を引こう。それで解決する」
ライサ「そうしてくれればありがたいわ。アドルフは中々やりてよね」
アドルフはアドリアンに連絡して事情を説明した。アドリアンはバグダッドからユーフラテス川まで運河を引くことを即決した。
同時に地中海制圧とインド占領のため、イスタンブール及びカイロとバスラに大型の造船所を建設することを決定した。
アドルフによるマムルーク朝の征服とカリフ就任は地中海世界に大きな衝撃を与えた。
敵対勢力はともかくとして中立を決め込んでいた勢力は雪崩を打ってアドルフに親善と同盟を申し込んできた。
アルジェを根拠地とするバルバリア海賊のバルバロス・ウルージとバルバロス・ハイレッディン兄弟もその一人である。
先日アドルフを訪れ、異国の美女数十名と海賊船50艘を献上してきた。
アドルフは忠誠を誓う二人に海軍総督の地位を与えアルジェの軍政長官を命じた。同時にチュニジア征服を命じた。チュニスを攻略すればチュニジア一帯の軍政長官に任命する。2人は謹んで命令に従った。異国の美女はすべてアドリアンに献上した。
貿易港アレキサンドリアに足を運んだ。様子を見ておこうと思ったのである。アドリアンが代官を手配しているはずだ。確かナイルデルタで造られる綿織物が特産品のはずだが。カイロの交易店で特産品の美術品を金塊100トン分購入した。
1373年7月中旬の日曜日午後3時……アレキサンドリア
交易店でカイロで購入した美術品を金塊100トン分売却した。相場が安くなったところで綿織物を金塊100トン分購入した。相場はほぼもとに戻った。
バルバロスたちに貰った海賊船に乗ってイスタンブールまで出かけることにした。勿論海賊船は改良してアドルフの紋章…カリフの紋章を付けてある。まず襲われることはあるまい。
1373年7月中旬の火曜日午後1時……クレタ島の東海上
イスタンブールに行く前にイズミルに寄ろうとしていた時突然襲われた。
旗を見るとスペインの海軍だ。200艘はいるだろう。多勢に無勢だ。こちらは50艘だしどうにもならない。敵はガレオン船だ。どうもセーカー砲とカルバリン砲を積んでいるようだ。こちらはキャノン砲を積んでいるので敵の旗艦を攻撃すればチャンスはある。カリフの紋章の付いている旗を捨てた。アドルフはばらばらになって逃げた。少しずつ我が方は撃沈されていく。
あと数艘にまで減った時に敵の旗艦をスサンナが発見した。遊牧民は視力だけは良い。我が方の残っている船も敵の旗艦を発見したようだ。敵の旗艦めがけて突っ込んだ。こうなれば白兵戦だ。
アドルフたちは旗艦に乗り込み、白兵戦になった。
カービン銃をぶっ放しながら敵の提督を探した。船首の近くに提督の部屋があり、提督はそこに隠れていた。引きずり出してカービン銃を突きつけると提督は降伏した。旗艦に白旗が掲げられた。全員捕縛し、200艘の船と積荷を奪った。
イズミルにはよらずにイスタンブールに直行した。
1373年7月下旬の日曜日朝5時……イスタンブール港
200艘の船を修理させ、港に留めておいた。交易所によって積荷をすべて売却した。金塊5万トンになった。塩引手形で貰い、絨毯を5万トン分購入した。船に積めるだけ積んで残りは宮殿の倉庫に保管した。
提督はアドリアンの元に送り、事の顛末を報告した。折返しお褒めの言葉と追加の命令を頂いた。
スエズ運河の建設とバグダッド→ユーフラテス川運河が出来上がるまでの間に地中海の海運の制圧をできるだけ行え。
★アレッポの市場圏②
インド洋経由の伝統的香辛料貿易はインド洋を経て紅海のモカとペルシャ湾のバスラに集荷され、そこからシリアのアレッポとエジプトのアレクサンドリアを経て地中海に出るルートは繁栄した。
イランの絹貿易はアルメニア商人がほぼ独占していた。イランの養蚕地帯はコーカサス山麓からカスピ海南岸にいたる北西部地方に集中していたが、これらの生糸はタブリーズ、イスファハーン、ヤズド、シーラーズなどで織物として製品化されてインド洋に面したホルムズ経由でバスラへ、あるいはハマダーン経由で陸路バグダッドへもたらされ、そしてアレッポからイスケンデルン港へと搬出された。
この頃のイランの年間絹生産量は1000トンで、その三分の二がヨーロッパへ運ばれ、そのすべてはアレッポを経由していた。
ユーフラテス水運
インド洋からやってきた船はバスラまでそのままユーフラテス川をあがり、そこで川船に荷物を積み替えてビレジキまでさかのぼる。
積荷はそこからラクダのキャラバンでアレッポをへてイスケンデルンの港に運ばれる。あるいはまた地中海のイスケンデルン港から陸路アレッポをへてビレジキまでラクダで運ばれた荷物がここから川船でユーフラテス川を下る。ビレジキ-バスラ間の水運は一五から一六日を要する。
ただし、この水運には季節がある。夏は水が少ないので航行は困難である。また春の初め大雨で洪水になると、バグダッド方面では川底に砂や泥がたまるので大勢の人間を雇ってこれを取り除く作業がおこなわれる。
チグリス川とユーフラテス川のあいだには水の豊富なときにのみ両川を結ぶ運河「イーサー運河」が機能する。アドルフはここを整備しようというのだ。
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注① ……ケレキ……軽量・小型の輸送手段である
ケレキのつくり方は、ヒツジあるいはヤギの皮を胸のところから注意深くはがして縫い合わせたのち、足を縛る。そのあとで空気を入れて膨らませて四〇から六〇個を木の棒でつくられた骨組みに四から五個ずつ結えつける。そしてそのうえに葉のついた木の枝、ゴザ、絨毯などが敷かれる。
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