第9話……エピソード9……アドリアンの陰謀

1371年6月上旬の火曜日朝5時……コンスタンティノープル城の客室

 カリーナを通じて各地に分散しておいた軍隊をワラキアのブカレストに集める手筈を整えた。アドルフはパレオロゴスとヘレネーに使いを送り、秘密裏にエディルネを攻略しその後コンスタンティノープルに入城すると知らせた。

 アドルフは誰にも知られずに城を出てブカレストに向かった。

1371年6月上旬の金曜日朝5時……ブカレスト

 例によって10万名の軍隊を1,000名づつに100分割して交易隊に変装した。

 アドルフの部隊と機関砲部隊はドナウ川で川船に乗り黒海沿岸で下りた。その他の部隊は三々五々とバラバラにドナウ川を越えてエディルネ「アドリアノープル」に向かった。

1371年6月中旬の金曜日朝5時……エディルネ郊外

 10万名の部隊はとうとうエディルネ宮殿の目の前まで来た。アドルフは総攻撃の指令を出した。敵軍は2万である。近郊の都市に敵軍は分散している。機関砲で城門を破壊してムラト一世を捕らえた。5,000名の兵士を殺害し、1万5,000名の兵士は捕虜にした。戦利品とムラト一世・妻妾たちは捕らえてアドリアンのところに送った。かねはすべて兵士に分配した。早馬でアドリアンに報告した。折返し連絡があり、100万の部隊をそちらに送った。

部隊が着き次第オスマン帝国の全領土を接収し、占領せよ。

1371年6月下旬の金曜日朝5時……エディルネ宮殿

 100万の軍を率いてアドリアン自らがアドルフを訪れた。

アドリアン「アドルフよ。良くやった。お前は勲功第一の軍司令官だ。テムジン、ジェベ、ムカリ、ボオルチュもいや俺もお前には及ばない。実はお前には内緒でパレオロゴスを暗殺した。お前は直ちに自らの兵を率いてコンスタンティノープルに向かい、ヘレネーと結婚せよ。その代わりお前も身辺を整理し、側室を二人に絞れ。ヘレネーを納得させねばならぬ。誰にするのか?」

アドルフはしばらく考えて「馬氏と権氏を選びます」と答えた。残りの側室たちはアドリアンが面倒を見ることになった。

 アドリアンはヘレネーに弔問の使者を送り、親展で「アドルフとの婚姻を認める。ただし、アドルフの側室馬氏と権氏の二人を認めることを条件とする」旨伝えさせた。折返し、ヘレネーは了解するとの返答を寄越してきた。

1371年7月下旬の日曜日昼12時……コンスタンティノープル宮殿

 アドルフとヘレネーは結婚式をあげた。2人はついに正式に夫婦となりヘレネーはビザンティン帝国の皇帝となった。

アドルフはアドリアンに次の計画を打ち明けていた。

 アナトリア半島を占領した後にシリア、エジプト、北アフリカを占領する。そこから西に船で航海したい。

アドリアンは賛成し、それなら俺はブルガリア、マケドニア、ギリシヤ、イタリア半島を攻めよう。

 アドルフは西に航海する前にアナトリア半島とシリア、エジプトの交易における重要性を世界戦略的に捕らえていた。

特にシリアのアレッポとアナトリア半島のディヤルバクルが重要である。

 トルコ南東部、シリアおよびイラクの北部に相当する都市アレッポを中心とする地域を一つの商業圏として設定する。アレッポは古代以来、つねに東西貿易と深い関係を持っていたが、遠く東南アジアからもたらされる香辛料やインドからくる綿織物・染料などを地中海世界に運ぶ中継貿易の基地として未曾有の繁栄を謳歌した。イランからもたらされる絹もこれに大きな役割を果たしていた。当時のアレッポにはイギリスを初めとして、フランス、オランダ、ヴェネティアなどの領事館が軒を連ね、またヨーロッパ商人と直接生産者との仲介役としてユダヤ教徒、アルメニア人、ギリシア人などの非イスラム少数民が活躍していた。

 この町はアジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸にまたがる国際貿易センターであった。

アレッポ市場圏を機能させていた二つの交通体系がある。

 一つはラクダやラバによる陸上輸送であり、もう一つはティグリス・ユーフラテス両川を利用した水運である。

この二つの輸送体系はただたんに人、もの、情報を移動させるだけではなく、これに関連する多くの人々の生活を成り立たせていた。

 一方、ティグリス・ユーフラテス両川の上流域にあたり、長いあいだビザンツ帝国とイスラム世界の境域「スグール」であった東部アナトリアやシリア・イラクの北部がアレッポを中心とした地域的な経済圏に組み込まれ、かつイランとアナトリアに広がる広域な国際貿易の中継地となることによって、この地域の都市が活性化された。

 また、当時アナトリアの山岳地帯は、ティグリス・ユーフラテス両川で用いられる川船建造のための木材の供給地としての機能をはたしていたと同時に、高地での涼しい夏営地でトルコ系、クルド系遊牧民によって生産される乳製品や皮革、毛織物などがアレッポに運ばれた。彼らはまた、この地域の気候風土に適合するように改良したラクダを駆使して国際商業路の潤滑油の働きをしていた。

 このように多様な機能をはたしていたアレッポ市場圏の存在は、中東の歴史展開を理解するうえできわめて重要である。なぜならば当時のレッポ市場圏は、今日見られるように「国民国家」の国境によって仕切られることなく、また、ティグリス・ユーフラテス両川自体がダムによって分断されることなく、東南アジアとインドと中東、ヨーロッパ地域を結びつける交通路の役割を果たし、人々は自由に往来していたからである。

 つまり、ここは「辺境」や「後進」地帯、民族紛争の場ではなかった。したがって、このアレッポ生活圏の構造や性格とその歴史的推移を明らかにすることは、「地域から歴史を考える」うえでまたとない事例を提供するであろう。

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