第1話…エピソードⅩ…影の支配者ママイ

★中央アジアの人々のことわざ

思い出が残るように生きよ、お前がこの世から去るときに、

この世がお前から解放されるのではなくて、お前がこの世

から解放されるように生きよ。

1364年8月中旬の月曜日午前9時……ベルケサライの市場

 郊外でユルタを張り朝食を摂ったあと市場に戻った。

昨日購入した交易商・鍛冶屋・農機具屋の店舗と

隣接の工場を見学し、改修の手配をしておこうと

思ったのである。

 ここに店舗と工場を購入したのはボイラーや固定住宅

及び分解式ユルタ、蚊帳の需要もあるかと考えたのである。

ついでに周りの土地も併せて購入した。

兵隊の宿舎や食堂及び大浴場など用途はいくらでもある。


 その時来客があった。40歳くらいの上品な女性である。

トゥルンベクの侍女イヴァンナ36歳と名乗り、

トゥルンベクがぜひ会いたいそうだ。


 アドリアンは「トゥルンベクよりイヴァンナの方が好みだ」

アドリアンはそう言って会うのは断った。

 イヴァンナは顔を真っ赤にしていたが嬉しそうでもあった。

イヴァンナはアドリアンにすがり付き

「お願いします。ほんの少しの時間でも良いですから

私の顔を立てて下さい」 懇願した。


 アドリアンは

「あとでイヴァンナと2人きりで会えるなら

トゥルンベクとも会ってやろう」 と云うと、

イヴァンナは喜んで承諾した。

ママイたちとはお昼を一緒に摂る事にした。


8月中旬の月曜日昼12時……ベルケサライのママイの別荘

 ママイとアブドゥッラー及びママイの妻妾たちが同席して

宴会パーティが始まった。

アドリアンはテムジン、ジェベ、ムカリと一緒の席についた。

アドリアンは持ち込んだ薬酒と滋養強壮エキス入りの蜂蜜酒を

差し出し全員に勧めた。飲みやすいので女性陣には好評だった。

 アドリアンにとって付き合ってもメリットの無い相手ではあるが

無下にすることもない。戦争するまでは敵意を見せることもないのだ。

ママイとすれば先行投資のつもりで懐柔にかかってきたのだろう。

 ママイの方から挨拶にやって来た。

アドリアンの素性はよく知っているようだ。

父と母のこともよく知っていた。

ママイは昨日の騎馬戦の勝利のことを褒めた。

アドリアンたちに高価な陶磁器を贈ってくれた。

大変珍しいものでありがたく頂戴しておいた。

 アブドゥッラーも挨拶に来て今はクリミアに居ると言っていた。

アドリアンも如才なく挨拶して今度カッファに交易に向かう

つもりだという話をした。

 妻妾たちが一緒に挨拶に来た。

いずれ劣らぬ美人揃いだ。トゥルンベクはやはり群を抜いている。

アドリアンは彼女達に歯の浮くようなお世辞を並び立て、

全員にとびきり品質の良い黒貂の毛皮、ビーバーの毛皮や

トナカイの手袋・ブーツをプレゼントした。

全員大喜びしてアドリアンに抱きついてきた。

「こんな良い物を何処で獲ってくるの?」

皆に聞かれたので「何処ででも獲れるが、

獲る時に必ず目を狙って弓矢を撃つんだ。

そうでないと毛皮に傷がついてしまう」 と答えた。

みんなうっとりとしてアドリアンを見つめていた。

最後にママイに挨拶して別荘を出た。


 出たところでイヴァンナ一家が待っていた。

イヴァンナは戦争未亡人で息子夫婦と孫2人との5人家族だ。

イヴァンナをアドリアンの側女の1人とし、

息子夫婦は交易商人として雇用した。

3人の年俸はそれぞれ大金貨10枚とした。

3人ともこんなにたくさんもらって良いのかなと大喜びしていた。


 テムジンとイヌワシ狩人の27名とイヴァンナの息子夫婦

及び雇用した各種職人の半数20名をベルケサライに残した。

テムジンには奴隷たちや職人たちの戦闘訓練を任せた。

宿舎や大食堂及び大浴場も建設させた。


8月中旬の月曜日午後5時……ベルケサライ

 アドリアンはカッファに行こうか帰ろうかと随分悩んだが

やはり一度交易に行ってみることにした。

ヴォルガ川まで行き河舟に乗る。


★アドリアンの閨房……正室のエカチェリーナ、

側女のラドミラとイヴァンナの3名である。

エカチェリーナは聡明でイヴァンナが妊娠するまでは

イヴァンナを優先した。その後はエカチェリーナ、

ラドミラ、イヴァンナの順に夜伽の手筈を整えた。

イヴァンナ初回……8月中旬の月曜日午後9時河舟の中

 アドリアンは組み立て式の風呂を持ち込んでいた。

気恥ずかしい思いを抑えてイヴァンナはアドリアンと

一緒に湯船に浸かり、強く抱きしめられた。

2人は仲良くなり、イヴァンナはアドリアンの子を孕んだ。


 ハジ・タルハンで降りて騎馬に乗り、タナtanaisに到着した。

タナtanaisでは黒貂の毛皮、トナカイの毛皮・手袋・ブーツ

などを売却し、珍しいインドの香料、胡椒こしょうなどの香辛料、

薬剤、染料、貴金属と宝石、ペルシャ湾の真珠とペルシャの織物、

穀物、魚、イクラ、木綿など黒海周辺での産物や西欧や地中海から

各種の毛織物、鍋、錫、ブドウ酒、ガラス、亜麻布、麻布など

アラブ地域の武具や中国の綿布、紙、絹、絹織物などを購入した。


 ドン河口のタナアゾフから、海洋船に乗りかえてスロジ海を横断し、

ケルチ海峡を抜けて黒海にでる。

クリミア海岸には40ヶ所にものぼるイタリアの植民地や港があったが、

アドリアンは最大の繁栄を誇るカッファの沖を通過し隣りのスロジ港

に入港した。スロジ……注①では絹,毛織物,木綿などの高級布地を買い込み、

最大の目的の男女の奴隷を大量に購入して帰路についた。


★当時のクリミア半島情勢

 13世紀の東欧に生じた二つの政治的変動

-第4回十字軍によるラテン帝国の形成とモンゴルによる東欧征服-は,

黒海沿岸地方の交易関係の様相を一変させた。


 1204年のコンスタンチノープル陥落とラテン帝国の成立は,

イタリア大商人がそれまでビザンツ帝国によって閉鎖されていた

黒海岸一帯にめざましい勢いで進出する契機となった。


 13世紀の前半には.まずラテン帝国の積極的協力者だったヴェネチア人が

コンスタンチノープルでの主導権とボスフォロス海峡の独占的航行権

を獲得し,黒海沿岸各地,とくにクリミアへの進出をはたす。


 だが1261年にニケーアのギリシャ人皇帝ミ-イル八世パレオロゴスが

コンスタンチノープルを奪回すると,今度はその同盟者だったジェノヴァ人が

ヴェネチア人に代ってコンスタンチノープルと黒海貿易の支配的地位を

手中におさめる。コンスタンチノープルと黒海をめぐるジェノヴァと

ヴェネチアの争いは,何度かの戦争を含めその後も長くつづくことになる。


 しかし黒海に関する限り,ジェノヴァの優位は1261年以降最後まで

-つまりオスマン・トルコによりイタリア人全体が黒海全域から

駆逐されてしまう15世紀後半まで-ゆるがなかったのである。

すでに13世紀後半には.クリミア半島とカフカース西海岸一帯に

ジェノヴァ人の交易拠点が数多く出現することになる。


 イタリア人の黒海進出とはぼ時を同じくし,彼らの活動舞台を

ととのえる条件ともなったモンゴル人の征服活動のあと,黒海、

カスピ海沿岸全域を拠点として成立したジョチ・ウルスの支配である。


 ジョチ・ウルスのタタール人は11-13世紀にステップ全域を支配していた

トルコ系キプチャク人「ロシア名ポロヴェッツ人」とその北方ロシア平原に

住むロシア人の大部分を征服し,黒海・カスピ海沿岸からバルト海にいたる

実に広大な領域を支配下におさめた。


 それまで分立していた広い空間が同一の政治権力に服し,

しばらくは相対的に安定した政治状況が生みだされたことが

イタリア商人に恰好かっこうの活動舞台を提供することになる。


 サライやアストラパンからはタタール商人も.北方からは

ドン.ヴォルガ水路でロシア人も訪れたし,黒海西岸のドニエステル.

ドナウ河畔からはブルガール人,ワラキア人,モルダヴィア人なども

やってきた。カッファは文字通り黒海商業の中心となったのである。


 カッファに代表される黒海岸都市のこのような殷賑いんしん

を生んだものは,いうまでもなく黒海貿易であり,クリミアや黒海沿岸

に四方から運ばれてくる東西の豊かな商品である。


 イタリア人を黒海にひき寄せた第一の要素は,アラブ地域,ペルシャ,

インド,中央アジア,中国などからの東方商品である。

十字軍のレバントからの敗退とともに紅海・シリア経由の東方交易

は衰え,アラブ地域,ペルシャ,インドの商品はアルメニアをへて

黒海南東岸のトレビゾンドに送られるようになったり,

あるいはカスピ海からアストラ-ンやサライを経由して

タナ,カッファに集積するようになった。


 中国と中央アジアの商品もサライを経てタナやクリミア諸都市

に入ってきた。インドの香料「香辛料,薬剤,染料」貴金属と宝石.

ペルシャ湾の真珠とペルシャの織物,アラブ地域の武具や絹織物

などはトレビゾンド,タナ,カッファに集まるイタリア商人の

重要取引品目だった。ギリシャ大都市であるトレビゾンドには

ジェノヴァ人もヴェネチア人もそれぞれの居留地とコンスルを

持っていたし、ジェノヴァ人はイランのタブリズ,スルタニアなど

黒海岸に送られる東方商品の集積地となっていたイル・ハン国の

内陸都市にまで入り込みコンスルを持っていた。


 しかし黒海商業の繁栄は決して東方の商品だけに由来するのではない。

イタリア商人は西欧や地中海から各種の毛織物,鍋,錫,ブドウ酒,ガラス,

紙,亜麻布,麻布などを黒海に搬入した。

彼らがこれらの商品を対価として買い入れた商品のうちには,

黒海貿易に固有の一連の重要商品があったのである。

それらは東方商品の比重を決して下まわるものではなかっただけでなく,

交易圏の生活と歴史により本質的な影響を与えたものでもあった。


 それは第1に,穀物.魚,イクラ,木綿など黒海周辺での産物,

第2に,ステップやカフカズから運ばれて来る男女の奴隷,

第3に,毛皮,ろう,蜜,皮革など北方のロシアから来る商品である。


 穀物はカッファやタナだけでなく,ドニエストル河畔のモンカストロ

「ロシア名ベルゴロド」ドナウ河口のキリア,ブルガリアのヴァルナ

などからも盛んに積みだされ,コンスタンチノープル,ジェノヴァ,

ヴェネチアに送られた。

ドンやヴォルガの河口,黒海やカスピ海でとれる豊富な魚やイクラは

塩づけにされ,地中海だけでなくあらゆる方向に輸出された。


 しかし14~15世紀の全期間を通じて黒海貿易めもっとも特徴的商品で,

またイタリア商人に最大級の利益をもたらしたものは奴隷である。

カッファやタナで船積みされ,≪マムルーク≫としてエジプトのスルタンに,

あるいは地中海各地の奴隷需要者に売られるカフカ-ス人,ロシア人,

タタール人などは年々数千人に達したといわれる。


 14~15世紀の黒海沿岸は, 16世紀以後の西アフリカの役割を

果していたことになる。

この時期の黒海商業にどれだけの比重を占めたか定量するのは不可能

だとしても,ロシアと黒海との結びつきも決して無視できないものだった。


 イタリア人が黒海で活躍を続けた2世紀のあいだ,ロシアの毛皮やろうは

常に黒海からの重要な搬出商品であった。

そのことはバンザ商人がバルト海に搬出したロシア商品のうちでも,

14~15世紀を通じてずっと毛皮とろうの比重が圧倒的だったことと

符合している。


 また反対に,黒海のイタリア商人や彼らのもたらす地中海と西方の諸商品

がロシアの,とりわけモスクワの商業史や文化史に与えた影響も大きい。

14世紀にはモスクワ商人が黒海に往来しただけでなく,イタリア商人も

モスクワに来ていた痕跡がある。

14~15世紀のモスクワには,黒海経由で入ってくる西方や東方の商品を

取扱う特権的な貿易商人層が形成されたほどである。


  中世モスクワ史の研究者であるチホミロフは, 14~15世紀のモスクワに

とって最も重要な国際的交易関係は黒海岸都市とのそれだったと書いている。

******

注①……スロジ……ロシア語でsoldaia[sudak]のことである。

caffaよりもsoldaia[sudak]の方が古くからあり有名だった。

ロシアでは14世紀にはアゾフ海のことをスロジ海と呼んでいた。

******

★アドリアン14歳、イヴァンナ1365年6月中旬出産予定

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