<二>厩舎にいるモノ④
クライドは視線を感じて
(わからないな)
なぜ
それまでクライドはアシュリーの存在を知らなかった。クライドが自分の存在を
今まで女性から嬉しそうな顔をされたことはあっても、怖がられたことはない。
怖いと言えば、まず魔獣を世話していることだろう。けれどアシュリーは逆に、魔獣には会えて幸せそうな、まるで
(なんなんだ)
なぜ
(
黒狼にせっせとブラシをかけている姿を見ていたら、いつの間にか
昨夜の夕食の席と同じだな。そう思い、向かいにいるジャンヌに言った。
「ハウスメイドが、差し入れにと焼き
「わかりました」
ジャンヌが
その光景にクライドは驚いたが、すぐに
(さすがアシュリー、と言うべきか)
この
だから他人は、彼女のために何かしたいと思うようになるのだ。クライドのように。
クライドの見つめる前で、
オレンジがかった色のケーキ。その正体がわかったのかアシュリーの顔が
「クライド様、黒狼の首を支える役目を代わりますよ」
両手にケーキを持ったハンクがやってきた。
先ほど黒狼の耳が動いてからは、一度も反応しない。そろそろ潮時かと思いながら「
「クライド様は食べないんですか? なかなか
「俺はいいよ。その分をアシュリーにやってくれ。好みの味だろうから」
ハンクはぴんときたようだ。
「じゃあこのケーキは、クライド様がこの味で作ってくれと、わざわざメイドに
察しがいい。
「
「そんなのじゃないよ」
苦笑した途端、ふと以前にかけられた言葉が
『クライド
敵意のこもった
養子に入ることは幼い頃から決まっていた。当時から
けれど名乗りを上げたクライドに、兄弟たちも王室関係者たちも反対した。
直系王族の、しかも次男だ。もっと
反対意見に屈さず強行したのは、クライド自身だ。
これまでも王室内で、先祖の敵である魔獣を生かしておく必要はないという意見はあった。
けれど生態のわからない魔獣を
他にも、せっかく生き残った魔族なのだから研究に使えばいいという意見や、国の武力のためにその強大な魔力を
だが結局、二百年間黒狼は目覚めなかった。そういった意見は宙に消え
役に立たないのに危険な
それが魔獣に対する
だから王室の意見に背き、あまつさえ国の敵を保護しようとするクライドに、彼らの目は冷たかった。
『何を考えているんだ。王族としての
『兄上、おかしいですよ。どうされてしまったのです?』
『クライド様は魔族を
心無い言葉もかけられたし、
もちろん彼らの言い分はわかる。魔族は忌むべきものだし、六百年前にたくさんのトルファ国民が魔族に殺されたのも事実だ。助ける理由はない。
自分が異端だとも、王族失格だとも
それでも望みを
黒狼に、子どもの
そのためにこの四年間、王族としての自分の立場を無くしても、
クライドは顔を上げた。ジャンヌの
小さな口で少しずつ、しかし食べる速度は速い。マナーはいいし食べ方も
(本当に小動物みたいだな。タヌキ、リス? いや、ウサギか)
微笑ましくて、気がつけば笑みが浮かんでいる。疲れも
(黒狼のことも光が見えてきた)
何しろ初めて反応したのだ。信じられなかった。
(アシュリーのおかげだな)
特に気に入って婚約者に選んだわけではない。たまたまだ。
それでも今は、もう放したくない──。
「なんだかクライド様、楽しそうですね」
ハンクが不思議そうに言った。
「そうか?」
「そうですよ。でもジャンヌを
ハンクは首を
ハンクとジャンヌは
魔獣の世話
しかし、そうではなかった。貴重といえどただの魔術師に王室のごたごたを知らせたくなかったのか、はたまた二百年間も
保護しているものが魔獣だとも知らず、ここへきた当初は絶句していた。
けれどクライドの頼みどおり、熱心に魔獣の世話をしてくれる。この四年間で
けれど彼らの立場を考えると、信頼し過ぎてはいけないと自分を
彼らが今仕えているのはクライドだが、本来は国であり、国王である。だからそれらに歯向かうクライドに心底味方をするわけにはいかないし、またさせるわけにもいかない。
協力してくれることには心から感謝している。彼らがいなければ
けれどやはり、どこまでいっても自分は一人きりだ。真の味方はどこにもいない──。そんな思いが
ふと顔を上げると、顔を真っ赤にしたジャンヌがハンクにぶちぎれていた。
「ハンク、あんた
(また余計なことを言ったな)
ため息を
(大丈夫だよ)
確信を込めて
(相手がアシュリーだからな)
〇 〇 〇
ジャンヌが人参ケーキを食べるアシュリーを見つめていると、ハンクが近寄ってきた。その顔に浮かぶ笑みから、ろくでもないことを言ってくると予想する。案の定、
「なあ、アシュリー様ってなんか小動物っぽくないか?」
激しく
けれどジャンヌはそれを認めるわけにいかない。
「何を馬鹿なことを言ってるのよ。そんなわけないでしょう」
「いや、絶対にそうだって。イタチ? タヌキか? いや、
「ちょっと、やめ──!」
「あれだ。ウサギだ!」
なんたる直球。
「ハンク、あんた馬鹿なんじゃないの! 何をふざけたことを言うのよ。私がどれだけ我慢して、考えないようにしていたと思ってんの──!」
アシュリーがどこかウサギに似ていると、ジャンヌが一番わかっている。
クライドに近づかれて全身をふるふると
今もそうだ。
「アシュリー様は甘いものがお好きなんですねえ」
「好きです。でも人参も大好きで、だからその二つが合わさったこのケーキは最強です」
人参が好きだなんて、やっぱりウサギじゃないの。そんなことを思った自分が
ジャンヌはクライドが好きなのだ。四年前にサージェント家に派遣されて以来、ずっと
他に類を見ないほどの
そんなクライドに夢中にならないわけがない。
(でも──)
だがそんなクライドよりも、ジャンヌには好きなものがあった。そう、ウサギである。
ふわふわの毛に、ぴんと立つ長い二本の耳。つぶらな
これほど
けれど
だからこっそりと、ウサギの形をしたイヤリングをつけたり、下着にウサギを
もちろんイヤリングは
そんな時、突然クライドが
さらに気にくわないのは、アシュリーがクライドを嫌がっているふりをすること。
わざと
クライドを嫌がる女性なんて存在するわけがないのに。
(
そう思ったから、馬鹿にした態度をとった。
それなのに、アシュリーはジャンヌを見ると逆に安心した顔をする。おかしい。
どれほど
派遣された当初はわからなかったけれど、今ではクライドが国に
だからこそ結果が欲しかった。黒狼が目覚める兆候でもいい。どんな小さなことでもいいから、何か実感できれば頑張れた。
けれど黒狼は眠ったまま、何の反応もなかった。四年間ずっと。
自分の進むべき道がどんどん見えなくなっていく。苦しい毎日だった。
『でも、この馬房はぴかぴかですよ──』
アシュリーの目を丸くした表情が
本来なら、
胸が熱くなり、
心が動くとは、ああいう時を言うのだろう──。
(私は嫌みな態度をとったのに)
自分の心に
ジャンヌはゆっくりと顔を上げた。
目の前で、アシュリーはまだ人参ケーキを食べ続けている。一口サイズだからすぐ食べ終わりそうなものだが、すぐなくならないように大事に食べているらしい。
そんな姿を見ていたら、今までの自分が情けなくてたまらなくなった。
祖父の
「
と、思いきり自分の
馬房中にものすごい音が
「アシュリー様、今まで申し訳ありませんでした!」
平身低頭して
ひどい態度をとった。許されなくても仕方ない。そう
「申し訳なかった、って何のことですか?」
と、きょとんとした顔で返された。
(えっ、これは本音……だわ。
なんて大きな方だ、と
その夜、ジャンヌはキッチンメイドから台所を借りた。
小麦粉を
作っているのは、人参クッキーである。
生地を一つ一つウサギの形に整えながら、そういえばお
(喜んでくれるかしら?)
不安になったけれど、甘いものと人参が大好きだと言っていたから
クライド様にも少しおすそわけしよう。そしてハンクには絶対にあげない。
そんなことを考えながら、ジャンヌは
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