第七話

「舞台で主役を演じる姿を見てもらえたらきっと笑ってくれる。そして自信もって告白するんだ、あの日からずっと好きでしたって」


劇団に入団すると憑りつかれたかのようにレッスンに没頭したバイトがない日は夜遅くまで残り、朝は早くに稽古場に姿を現した


劇団の先輩達が稽古場に来ると買い出しや

レッスン準備、大道具の仕事など裏方に回される事が多くなるため、秋人はそうするしかなかった


それでも全く苦には感じない、やっと打ち込めるものが見付かった喜びと、絶対に達成しなければならないという目標の前に多少の苦難や時折訪れる身体の不調なども気にはしなかった


初めて舞台に上がったのは入団してから一年半が過ぎた頃だった


たった一幕一セリフがあるだけの役だったが、初めて味わう舞台袖の緊張感に秋人は心を震わせた


当日には小さな花束と紫色の蝶が描かれたハンカチが送られてきていた、メッセージカードなどはなかったが応援してくれているという事は十分に感じられた


沢山の照明に照らされ僅かなセリフに魂を込めるように演じた


「なぁ、もう充分なんじゃないか?」


藤次と凛によって初舞台記念の食事会が開かれた、乾杯をし普段は食べられないような肉料理に舌鼓をうち、談笑も落ち着いてきた頃、赤ワインを飲みながら藤次は諭すように話す


「十分って何が?」


秋人はワインを口に運ぼうとしたが一瞬何を言われているのか分からずグラスを手にしたまま固まった


「一応初舞台にも立てたことだし、いい加減告白してもいんじゃないかって話だ」


「その話か。出来ないよ、今の僕はまだ相応しくない」


「相応しいかなんてを決めるのはお前じゃないだろう」


「まだ一歩を進んだだけだ、目標は遠いよ」


「志は立派だと思うけどよ、人生は何が起きるかわからないんだからさ。凛だってそう思うだろ?」


「私は二人が納得してるならそれでいいと思うかな。でも、きっと待ってると思う」


ウェイターが新しいワインを運んでくる、瓶に半分残っていたはずの赤ワインはいつの間にか藤次が飲み干していた


「二人が心配してくれてるのは分かるけど、もう少しだと思うんだ。今日の主演、僕が初めて御ヶ西劇団を見た日の舞台に比べて情熱というか人の感情を揺さぶるような演技は出来ていなかった」


「そうか?俺には十分迫力があるように見えたけど」


「私もそう思うな、迫力あったし歌も上手かったし」


秋人はテーブルに両手を置き力一杯に握りしめた


「あんなもんじゃないんだ、僕が見たもの、やりたいものは。僕ならきっと出来る、確かにまだ時間はかかるかもしれないけど。

二度と忘れられないような最高の舞台を見てもらいたい。その為なら僕は・・・」


「分かった分かった、気の済むまでやったらいいさ。俺の負けだよ」


言いながら藤次は背もたれに身を預けた


「体調には気を付けてね、春永野君」


「ありがとうございます、頑張ります」


三人は定期的に食事会でもやろうということになり散会をした


秋人は外の空気を吸っていたい気分になり夜の街を散歩することにした


(御剣先輩は鋭いな)


確かに秋人は身体の不調は感じていた、朝からだるさがなかなか抜けず、時折胸が軋むように痛んだ


(気にしてはいられない、僕にだって譲れないものがあるんだ)

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