第6話  

「あ、あぁ」


 浩介は混乱したまま気の抜けた返事をする、先程までの怒りは毒気を抜かれたかのように消え去っていた


 玄関の鍵をかけ忘れていたのは確かだが、幸が勝手に部屋に入って来た事は覚えている限り一度もないはずだった


「もう少しで出来るから座って待っててね」


 促され、どことなく楽しそうに味噌汁を作っている幸の後ろ姿を眺めながら部屋に向かう

 

 部屋に入る前にワインの瓶を捨てようと視線を手に向けるが、持っていたはずの瓶は消えてなくなっていた


(あれ、いつの間にか捨ててきていたのか?)


 考えてみるが帰り道の記憶はほとんどない、気付けば激しかった腹の痛みも疼く程度に収まっていた


 部屋に入ろうとドアノブに手をかけてからハッとして幸の方に振り返る


「部屋にお・・・」


 女の子がいなかったか?と尋ねようとしたがぐっと言葉を飲みこんだ。そんな事を聞いて変につっこまれても説明するのは面倒だ


(見知らぬ誰かがいて幸がこんなに落ち着いているはずがない、俺が公園に行ってる間に出てったのかもな)


 念のためにとゆっくり扉を開けてから覗き込むように部屋の中を確認するが、やはり部屋には誰の姿もなかった


 ほっとして浩介はドサッとソファに倒れ込み、もう一度出来事を振り返る


「酔ってただけ、、、か?」

 

 少しすると幸がお椀を持って部屋に入って来た、テーブルに向かい合うように座り出来立ての味噌汁をすする


 無言の時間が過ぎていく、付き合い立ての頃は気まずさもあり話題を捻り出したりしたものだが、いつしかそれも面倒になり気にする事をやめていた


 味噌汁を飲み終え洗い物をしに台所へ向かう幸に、ついでに風呂を洗っといてくれと浩介は頼んだ、頭の混乱をすっきりさせるためにも一度さっぱりしておきたかったのだ


 再びソファーに横になると、ため息を付きながら目をつぶった


・・・・・・


「寝ちまってたか」


 半身を起こし欠伸をしながら軽く身体を伸ばしていると、部屋が不気味なほど静まり返っている事に気が付いた


 洗い物をしている音や風呂掃除をしている音も聞こえない、それどころか人の気配すら感じなかった


「幸ー?おーい」


 部屋の外にいるはずの幸に声を掛けてみるが返事はない


(起こさないように気を使って帰ったのか?)


 例えそうだとしても幸の性格ならメモくらい置いていくだろうし、合い鍵を持っていないので困った顔をしながらじっと起きるのを待っているだろう。実際に何度か講義に遅刻させてしまった事がある


 突如部屋の温度が急激に下がるのを感じ身震いをする、吐く息が冷凍庫に放り込まれたように白くなる


 幸の様子を見に行くために立ち上がろうとすれば、再び腹に刃物でも突き刺さったかのような痛みが走り、浩介はその場に蹲まった


からん・・・からん・・・


 何処からともなく響くような高い音


ずず・・・ずず・・・


 そして何かを引きずっているような音が交互に聞こえてくる、最初は小さかったその音はゆっくりと、徐々に大きくなっていく。

 

からん・・・からん・・・

 

ずず・・・ずず・・・


 「来る」


 音の主はきっとここにやってくる、そんな予感がした浩介は逃げなければと立ち上がろうとするが激しい痛みに襲われうまく足に力が入らない


(玄関から出たら鉢合わせだ、ベランダから逃げるか)


 正体は分からないが見付かってはいけないと本能的に判断した浩介は四つん這いになりながらもベランダへ向かおうとした、その瞬間


からん・・・


 音がぴたりと止み、玄関の扉を開く音に変わった


 四つん這いのまま、金縛りにあったかのように動けなくなってしまった浩介の眼前を、どこからともなく現れた数匹の紫色をした蝶が舞い始める


ゆらゆら と   ひらりひらり と


「・・・綺麗だ」


そう呟くと急激に瞼が重くなり、浩介は意識は暗い闇へと飲み込まれていった

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