第200話:消えゆく魔素と定着化
研究用の宝石を確保したアストレアは実験に専念した。時間がほとんど残されていないため、アストレアは一日の大半を研究室で過ごすようになった。まともに食事を取っているかも怪しいほどに没入する姿はまさしく異常。
アストレアが実験に集中している間、ティアは助手のような手伝いをした。あるときは星屑の大穴へ宝石の調達に行き、またあるときはアストレアの代わりに食材を買って料理をする。手が空いている日はアストレアの魔道具で暇を潰したり、ララと一緒に古い文献を読んだり、外に出掛けて街を散策したり。それなりに良いご身分だ。
星屑の大穴は月の満ち引きによって魔素の濃さが変わるらしく、調達に向かう場合は星見魔具を再度起動しなければならない。あの観測器は膨大な魔素を必要とし、起動するたびにアストレアはぶっ倒れた。そうでなくとも、実験の最中は何度もぶっ倒れた。
そんな生活を続け、学術会まで残り七日に迫った夕暮れのこと。
「み、水……」
「うわっ、びっくりした。亡者かと思ったらアストレアじゃん」
研究室から出てきたアストレアは文字どおり干からびていた。体つきも以前より痩せた気がする。不健康が似合う少女だが流石に心配だ。ティアは軽食のパンと水を用意した。
「
「探求者にとって魔素は命の源……魔素を吸えば病も治る……」
「そんなわけないでしょ」
「しかしですね、あと少しで成功するんですよ」
「学術会もあと少しだけどナ」
「はぅ……!」
「現実を突きつけるのは止めなさい、ララ」
もしも間に合わなかった場合は、大勢の前で試作品を披露することになる。試作品の筒を抱えてステージに上がり、紐を引いて退場する姿は想像するだけで情けない。
(このままではルークに笑われてしまう……!)
アストレアは焦った。優秀な彼女の頭脳が、研究に必要な時間を計算する。
「三日……あと三日以内に成功の目処が出なければ……そのときは、荷物をまとめて夜逃げしましょう」
「あはは、おすすめの街を紹介するよ」
「そうならないように頑張ります……」
アストレアはパンを片手に立ち上がった。食べながら実験をするつもりらしい。飯ぐらいゆっくり食べたらいいだろうに、彼女はその時間すら惜しいのだ。探求者は勤勉であれ。ララも見習うべきである。
「あの試作品だって凄い魔道具だし、そこまで気にすることはないと思うけどね。もし結果が悪くて研究支援を受けられなくなったら、また大穴まで宝石を集めに行けばいいんだよ」
「研究支援?」
「良い結果を残せないと今後の支援がなくなるって話では?」
「あれ、そうでしたっけ……?」
「……ちょっと休んだ方がいいんじゃない? 多分寝不足で頭が回っていないよ」
「い、いえ、なんのこれしき……あともう一歩なので頑張ります」
そう言いつつも、彼女のまぶたは重そうだ。この一ヶ月はほとんど休んでいないだろう。されどここが勝負どころ。今こそ無茶をするべき時なのだ。
アストレアは自分に渇を入れた。小さな手をぎゅっと握りしめる。
「宝石に魔素を定着させることができれば、成功は目前なのですが……なにが駄目なのでしょうか……」
「宝石と仲良くならないといけないかもね。あの子達は繊細だから」
「急に不思議ちゃんみたいなことを言わないでください」
ティアの額に青筋が浮かんだ。小粒の果実を無言で投げる。無駄に洗練された技術によって果実はアストレアの口に吸い込まれ、彼女は突然の異物に思いきりむせた。ちなみにララが食べるつもりだった最後の一粒だ。「俺の果実……」とうなだれるララに「それ以上食べると太るよ」とティアが忠告した。
「あとは宝石に魔素を込めるだけなんだよね?」
「ゲホゲホッ……そ、そうですけど」
「私もやってみていいかな?」
「も、もちろん構いません」
未だ呆然とするララを頭にのせて、ティアは研究室に向かった。部屋の中は当然のごとく散乱している。整理する時間すら惜しいようだ。資料やら魔道具やらが床に放置された光景は、研究室というよりも倉庫に近い。
研究室の中央には宝石を乗せるための受け皿と、それに繋がる大きな抽出器のようなものがあり、更に沢山のチューブや魔道具が抽出器に連結していた。ティアにはどんな機構なのかまるでわからないが、きっと恐ろしく高価なのだろう。
「試作品とは比べ物にならないほど大きいね」
「相応の費用がかかりましたので……触れたぐらいでは壊れませんが、一応気を付けてください。なけなしの研究費で作成した魔道具なのです」
「だってさララ。走り回らないようにね」
「甘い物をくれたら大人しくするサ」
「さっき食べたばかりでしょ食いしん坊め」
ティアは魔素を込める準備をした。抽出器からは何度も実験を行った痕跡が感じられる。アストレアの想いが魔素となって残っているのだ。魔素が人から生まれるならば、抽出器にこびり付いた魔素は彼女の生きた証のようなものだろう。
「よし……それでは魔素を込めてください。まわりの装置が魔素の拡散を抑えてくれます」
「失敗したらどうなるの?」
「宝石が割れます」
「了解」
ティアが手をかざした。指先をまっすぐ伸ばして目を閉じる。
想像するのは故郷の森。まだ土くれだった時の生活だ。土から生まれた彼女なら宝石とよく親和する。同族へ寄り添うように、優しく力を込めると、ティアの指先から白い光が広がった。
「わぁ……」
アストレアが口に手を当てた。彼女はいろいろな探求者の魔素と触れてきたが、その誰よりも繊細な光だったからだ。魔素を生命源とするティアだからこそできる
「コツがあるんだよ。無理やり封じ込めるようなやり方も良いけれど、魔素の少ない
ティアの手には先ほどよりも輝きを増した宝石が乗っている。まるで主人を認めたように、宝石は赤色をより深くした。実験は成功である。時間にしてみれば一瞬だ。しかし、簡単に見える成功の難しさをアストレアは知っている。彼女が望んで止まなかった一瞬を、今ここで越えたのである。
「う、うそ……」
「アストレアも持ってみなよ」
彼女は恐るおそる受け取った。宝石はほのかに暖かい。かざして見ると、内部で魔素の光がぐるぐると回っているのが確認できる。何度見ても成功だ。アストレアは安心したように石を抱きしめた。
「良かったぁ……私の理論は間違っていなかったのですね」
「ふふん」
誇らしげなティアと、なぜか胸を張るララ。アストレアが成功できるかは別の話だが、理論上は間違っていないとわかっただけでも大幅な進歩だ。それだけでも青春を賭ける意義がある。死にかけていたアストレアの表情に光が戻った。彼女の道は正しかったのだ。
「どのような魔素が込められているのですか?」
「試作だから特別な魔素は込めていないよ。強いて言えば土の扱いが上手くなるかもしれないけれど、体感できるほどではないと思うね」
「なるほど……その辺りも今後の課題として研究ですね」
うんうん、と自分に頷くアストレア。彼女の脳内には既に研究のことでいっぱいなのだろう。飽くなき探究心は留まることを知らず。少女は更なる高みを目指す。
○
学術会までの数日間。アストレアは以前に増して研究に没頭した。自分の力で魔素の定着を成功させるべく、彼女は必死に試行を繰り返した。残された時間は少ない。そして、彼女の魔素もまた多くない。限られた時間と資源。迫り来る焦りと緊張。魔素が枯渇するまで挑戦するものだから、気絶したアストレアを介抱するためにティアも付き添うことになった。
ローベンスタッドの町外れにて。一晩中もれる魔素の光。流石に心配になったティアが止めようとするも、アストレアの探究心は静まらない。魔素を込めて、割れて、気絶して、起きてまた挑戦して、日が昇ったことすら気付かぬまま、少女は身をすり減らす。
「で、できました……!」
学術会の前日、研究室に嬉しそうな声が響いた。アストレアの手には輝きを増した宝石が二つ握られている。ティアの目にも魔素が正常に込められているのが確認できた。これならば学術会も問題ないだろう。二人は抱き合って喜んだ。アストレアの研究は明確な一歩を進んだのだ。人と化け物が手を組んだから掴めた成功。二人は達成感に満たされた。
「やったじゃんアストレア!」
「やりましたよー!」
良い夜だった。食卓には久しぶりに全員が揃い、ララとアストレアが軽口を言いながら肉を取り合った。食事を必要としないティアは二人を温かく見守った。何もかもがギリギリだったのだ。時間も、資源も、体力も。限界を越えて魔素を使わなければ、この光景は手に入らなかった。
アストレアは宝石に込めた魔素について自慢げに語った。明日の発表についてやルークとの関係についても話した。幼馴染でずっとルークの後ろに隠れていたのに、いつの間にかライバルのような関係になっていたこと。学術会でいつも張り合っていたこと。
「明日は頑張ります……!」
今日は暖かくして眠るのだ。宝石は失敗していないか何度も確認をした。発表に来ていく衣装も用意したし、準備も問題ない。心配することは何もないのだ。
そうして万全を期した翌朝、アストレアは高熱を出して倒れた。
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