第201話:お伽の街編 浪漫と葛藤

 

 学術会の当日、ベッドの上には苦しそうなアストレアの姿があった。実験の成功によって張り詰めていた糸が切れてしまったのかもしれない。立っていられないほど憔悴しているのに学術会へ行こうとするアストレアを、ティアが無理やり寝かせている。


「わ、私、行かないと……」

「駄目だよ。そんな状態では発表前に倒れちゃう」


 先ほどから同じ会話ばかりしている。ティアは絶対に行かせないつもりだ。ゴーレムに風邪の苦しさはわからないが、人間の体が想像以上にもろいことは知っている。無茶をすれば簡単に壊れてしまうのだ。たとえ好きな魔道具をあげると言われてもティアは拒否するだろう。


「お願いですから連れて行ってください……!」

「取り返しがつかなくなってからでは遅いの。悔いを残して死んだ人間の末路は知っている?」

「亡霊になって蘇るってやつですか。探求者は自分で見たものしか信じません……」

「とにかくダーメ。やり直す機会はあるんだから」


 また次の学術会まで待てば良い。支援が受けられずとも研究を続ける方法はいくらでもある。ルークだって事情を話せば納得してくれるはずだ。焦りが良い結果を生むことは絶対にあり得ない。

 しかし、アストレアは食い下がる。彼女もまた必死だった。


「今でなければ駄目なのです。物事には流れがあり、一度乗り過ごした波は二度と帰ってきません。変革の時代が迫る今、次の学術会がまともに開かれる保証なんてないのです」

「学術会にこだわる必要はないさ。あなたは焦りで視野が狭くなっている。無理をしてでも出る必要が本当にあるの?」

「あるから、私は探求者なのです……!」


 アストレアが叫んだ。


「私たちを動かすのは理屈ではなく浪漫です……! 魔素の定着は間違いなく今後のローベンスタッドに影響を与えられる。かの天才ジルベールを超える発見になるかもしれない……それほどの価値があるのです!」

「……私は反対だよ」

「最善の道を進むだけが人生ですか……!?」

「浪漫を取るには危険が大きいって話なの」


 ティアは内心で悩んでいた。彼女もどちらかといえば探求者よりの思考だからだ。浪漫を求めて森を出たティアは、無理にでも学術会に出ようとするアストレアの気持ちが理解できた。人も魔物も理屈ではない。浪漫こそ知恵のある生き物の原動力。大いに理解できるが故、ティアはどうするべきか決めかねる。


「でも……!」


 アストレアは起きあがろうとした。しかし、途中で力が抜けてしまい倒れた。やはり無理がある。


「……その体では発表なんてできないよ」

「できます……探求者に、不可能はない……」

「本当に頑固だなぁ……」


 ティアは額にぐりぐりと握り拳を当てた。呼吸なんてしないのに何度もため息を吐いてしまう。どう考えたって安静にさせておくべきなのに、アストレアを理屈以外で納得させる方法が思い当たらない。否、一つだけあるのだが、逆にそれはティアにとってリスクの高い選択肢である。


「学術会が楽しみに思ったのは初めてなんです……義務ではなくて、自分の意思で出たいと思った……だから……」


 やがてティアは諦めた。ジルベールのことをどうしても嫌いになれないように、所詮はティアも同類なのだ。浪漫を語られては否定できない。自分たちは満足して死ぬために生きているのだから。


「わかった、わかったから。あなたは寝ていなさい」

「でも学術会が……」

「私がなんとかするから大丈夫」

「なんとかって……?」

「それは秘密だよ。でも、安心して。あなたの研究は間違いなく伝えられるから」

「……?」


 それまで静観していたララが目を細めた。彼はティアが何をしようとしているのか、察しているのだろう。鋭い爪がわずかに顔を出し、長い尻尾がくるくると丸まる。あれは無言の忠告だ。この旅は療養も兼ねているというのに、ここで力を使ってもいいのか。相棒からの忠告はたしかに伝わったが、ティアは既に決断していた。


「さぁ、眠りなさい。あとは私に任せて」

「ほわ……」


 幽玄草の花びらを一枚だけ取り出した。変死体で猛威を振るった白い花だ。人に悪影響を与えないよう、慎重に魔素を散布させる。少量であれば安眠薬となる、というのはジルベールと確認済みだ。夢見の花に誘われて、アストレアはゆっくりとまぶたを閉じた。


「小さいくせに立派な探求者なんだから困ったものだ」

「俺はどうしたら良い?」

「アストレアの様子を見ていてあげて。学術会は私だけで大丈夫だよ」

「了解ダ」


 ボコッ、とティアの体が歪んだ。まるで土粘土のように全身がへこみ、彼女の体を作り替えていく。ゴーレム特有の擬態する力だ。儚げな印象だった少女は瞬く間に姿を変えた。赤い瞳は深緑色へ。藍色の髪も栗色に変化し、緩やかなカーブを描きながら瞳の上に被さった。縁の薄い丸眼鏡も忘れない。


「姿を変えるのは久しぶりカ?」

「他人の姿を借りるのは……あの夜以来だね」

「アストレアはそんな喋り方じゃないゾ」

「おっと、そうだった」


 こほん、と咳払いを一つ。


「私は、探求者のアストレアです……!」


 姿勢を正し、眼鏡を上げて宣言する。声音すらもアストレア。されど中身は化け物だ。一夜限りの大変身が始まった。


「――ってね」



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