番外編:空白の二年間

第196話:お伽の街編 町外れの少女

 ――ファルメール邸襲撃戦のあと、ティアとララが街を離れていた空白の二年間。そのとある一幕のお話。


 ◯


 西の果てに「おとぎの街」と呼ばれる都市がある。その名をローベンスタッド。様々な意味で有名な天才・ジルベールの生まれ故郷であり、失われた魔法を現代に伝えようとする探求者たちの街だ。


 街の空には巨大な輪っかが浮かんでいる。ローベンスタッドの星見魔具、といえば誰もが知っているだろう。大小様々な輪が街全体を覆っており、初めて街に訪れた者は口を開けて見上げるのだ。


「ほわぁー……」


 例に漏れず、大きすぎる輪っかを見上げる少女が一人。藍色の髪に先端ほど白くなる、という珍しい髪色だ。彼女の肩には同じく白い猿が一匹。少女とそろって空を見上げている。


「大きいねぇ、ララ」

「まさに想像以上だナ。てっきり旅人が誇張しているんだと思っていたゼ」

「嘘じゃなかった」

「あぁ、嘘じゃなかった」


 周囲の住人は微笑ましそうな表情で二人を見つめた。きっとローベンスタッドの噂に憧れて来たに違いない。この街は、そんな浪漫を求める探求者の集まりだから。二人の嬉しそうな声を聞くだけで、住人たちは誇らしげな表情を浮かべた。


 ちなみに、ララが喋っていても住人が怖がることはない。道行く住人は微笑みながら手を振ってくれる。彼が魔物だと気付いていない可能性もあるが、あからさまに敵意を向けてくる人はいなかった。むしろ、トーカスの魔物に対する恐怖が異常なのだ。子供の頃から微睡みの森に怯えて暮らしたからだろう。


「……ティア、俺は重大なことに気付いたゾ」

「なに?」

「この街には他にもいろいろな噂があったダロ?」

「そうだね。魔法を使える人は特別待遇を受けられるとか、魔素を新たな力に変える研究をしているとか……あとは、世界中の珍味が集まる、とか」

「それだ!!」


 ビシッ、と音が出そうな勢いでララが指をさした。


「星見魔具が実在したんダ。世界中の珍味が集まる、という噂も本当に違いない」

「人を指差すんじゃないよ」

「おいティア、これは本当に凄いことだゾ! トーカスですら味わえないような食があふれているんだ! この重大さがわからないのカ!?」

「わからないよ。ゴーレムだもん」


 ララがてしてしと頭を叩いた。そうは言ってもゴーレムには味覚がない。ララの気持ちを共感することはできないのだ。

 ちなみに、旅を始めてからララの体重は少し増えた。行く先々で美味しい食べ物を食いあされば、猿の横幅も増えるというものだ。「トーカスに帰るまでにララを痩せさせよう」とティアは密かに決意する。


 二人は楽しげに街を散策した。ローベンスタッドは広い街だ。探求者の街であるためか、至るところに魔道具があふれている。魔素を集める街灯のランプ。奥が見えない謎の路地裏。雑貨屋にならぶ奇妙な道具たちはティアの好奇心を存分に刺激した。


「あれは……!」


 ティアがとある花屋に立ち寄った。


「みてみてララ! これって落楼草らくろうそうだよ!」

「へぇー、こんなところで見かけるとはナ」

「ジルベールの治療薬が広まったおかげかも。落楼草が原材料だから、一緒に育てているんだよ」

「お嬢ちゃんたち、この花を知っているのか?」


 店主が声をかけた。人の良さそうな男性だ。見たところ探求者ではなさそうだから、恐らく学者向けの商人だろう。


「何を隠そう、落楼草らくろうそうの発見者は私なのだ」

「ハハッ、そいつは凄いなお嬢ちゃん。探求者も顔負けじゃないか」


 店主は冗談だと受け流した。隣では憎たらしい猿がゲラゲラと笑っている。


「……本当なのに」

「拗ねるなよお嬢ちゃん。それで、この街には観光に来たのかい?」

「そうだよ。特に目的はないんだけど、おすすめの場所はある?」

「それなら中央の星見塔へ行ってみるといい。中に入るのはできないが、外から見上げるだけでも充分凄い建物だ」


 ローベンスタッドが盆地であることも相まって、街のどこからでも星見塔を見ることができる。上空の輪っかに繋がる巨大な塔だ。様々な街を巡ったティアとララだが、これほど大きな塔は見たことがない。探求者が集いし塔は、さながら城のごとく君臨する。


 ついでに美味しいお店や安い宿について教えてもらい、お礼に花を一輪購入した。落楼草ではなくてローベンスタッド特産の花だ。西の最果てに来てまでトーカスの花を買う必要はないだろう。


 二人は星見塔へ向かった。道中では変わった紋章を何度も目にした。。なにかの宗教が関係していると思われるが、トーカスで主流のファルス教ではないようだ。また時間があれば聞いてみよう。


「あっ、あそこが入り口かな。もうすぐだよララ」

「んぐ、ほーだな」


 肩の上からもごもごとした声が聞こえた。いつの間にか白猿は美味しそうに肉を頬張っている。


「……その手に持っている串肉はどうしたの?」

「可愛いお猿さんね、って露店の姉ちゃんがくれたゼ」

「食いしん坊め。まだお昼まで時間があるんだよ」

「時間に縛られないのが俺の生き方ってナ」

「だから太るのさ」


 やいのやいのと騒がしい二人。


「……ん?」


 ティアは奇妙な魔素を感じた。無理やり閉じ込めた魔素が膨張するような感覚だ。ララもその大きな耳が、争うような声を拾った。二人は顔を見合わせて気配の方角を向く。


「争いごとの予感だね。ララさんや、どうしたい?」

「無視して飯を食おう」

「了解。それなら様子を見に行こうか」

「なんでダ!?」

「ララが太るよりも人助けをした方が有意義だからだよ」


 ララを無理やり連れて魔素を感じた方角へ進んだ。何となく、行かなければならないような気がした。魔素に込められた想いがティアを呼ぶ。導かれるように路地裏へ、二人の姿が消えていく。


 懐かしい雰囲気だ。道端に捨てられたポスター。主義主張を書きなぐった壁。魔素を扱える者と扱えない者との隔たり。初めてトーカスの裏側へ踏み込んだ日を思い出すような光景である。


「――! それは、私の――!」

「誰に――わかって――!」


 声がだんだんと近付いてきた。ララは静かに姿を隠し、ティアも足音を殺しながら進む。最近は平和な旅を続けていたため、この緊張感は久しぶりだ。


「やめてください……!」

「ふん!」


 パキン、と何かが砕けるような音がした。悲鳴は聞こえない。ティアは物陰から様子をうかがった。ゴーレムの瞳は暗い路地裏であろうとも見通すことができる。闇に潜む赤い瞳。隣には白い霧。


 どうやら数は襲われている少女を含めて四人ほどだった。襲撃者は少女を囲んで何かを奪おうとしているようだ。彼女は鞄を抱えて必死に抵抗している。しかし、大人の男性が相手ではほとんど意味がないだろう。


(どうするんダ?)

(明らかに襲われているみたいだし、助けようか)

(いいのか? 俺たちは観光で来たんだゾ?)

(見て見ぬふりは後味が悪くなるよ)


 ティアは音もなく襲撃者に接近した。男はまだ気付いておらず、苛立たしそうにしながら仲間に指示を出していた。後ろを取られても気付かないような相手だ。まだ防人の方がマシである。


「早くしろ。ただでさえ時間が――」


 くるりと回転するティア。鮮やかな回し蹴りが、男の側頭部を捉えた。細い足が綺麗な弧を描き、男の意識を刈りとった。

 軸がぶれない理想的な回し蹴りだ。ティアは旅の先々で武術や知識について学び、それらを自分なりに吸収した。いつかトーカスに帰った際に、街の発展に役立てるためである。睡眠を必要としない彼女は瞬く間に習得した。その速度はまさに化け物染みていたという。

 異変に気付いた仲間が振り返った。そして、倒れる仲間とティアの姿に目を丸くする。


「なんだてめ――」

「うるさい」

「ガッ……!」


 地面から突き出た柱が男の顎を打ち抜いた。ゴーレムの土魔法は健在だ。男は何が起きたのかもわからぬまま、白目を向いて倒れた。

 あとは少女の鞄を奪った男だけだ。彼は二人の仲間が倒された時点で敵わないと悟り、すぐさま逃げ出していた。その判断は正しい。ここにいるのは悠久を生きた化け物なのだ。


「動くなヨ。俺はあいつみたいに器用じゃないからナ。ついお前の首を掻き切ってしまいそうダ」


 男の動きが止まった。彼の背中にはいつのまにか白い猿が抱きついている。くりくりとした可愛らしい顔とは対照的に、白猿の爪は刃のごとく鋭利だ。


 男の柔らかい首をつんつんと遊ぶララ。男は恐怖のあまり、意識を失った。

 崩れ落ちる男。同時に、彼が持っていた鞄も地面に落ち、パキンパキンと小気味良い音を立てた。


「あぁ……!」


 少女は思わず悲壮な声をあげた。よほど大事なものだったのだろう。慌てて鞄の中身を確認し、その全てが割れていることを知った彼女は地面にへたりこんだ。その絶望感は男に襲われていたときよりもよほど強烈だ。何が彼女をそこまで追い詰めるのか知らないが、ティアはとりあえず謝った。


「えっと……間に合わなくてごめんなさい?」

「いえ……ど、どのみち彼らに奪われたら同じでしたので……」


 そこで、少女は助けてもらったことを思い出した。


「あっ、すみません! 助けていただいたのにお礼も言わなくて……!」

「気にしないでいいよ。余計なお世話だったかもしれないし」

「そ、そんなことはありません! どうもありがとうございました!」


 ふちの薄い、大きな丸眼鏡が印象的な少女だった。栗色の髪に深緑色の瞳。癖のある前髪は目にかかりそうだ。ローベンスタッドのローブを羽織り、耳には綺麗なイヤリングをしている。


「わ、私は、魔素と宝石の関係を調べる……えーっと、ほら、なんでしたっけ……」


 彼女は咄嗟に思い浮かばなくて焦っている様子だった。小柄な見た目も相まって、小動物のような可愛らしさを感じさせる。


「そうだ、あれです、探求者! 探求者・アストレアです!」


 少女はわたわたと頭を下げた。



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