第194話:残された者達

 

 傷だらけの体で下層部を走るフィズの姿があった。走るといっても骨が折れているらしく、片足を引きずっている。引き連れていた獣は魔物とティアによって殺された。途中までは順調だったのだ。巨躯の獣がいれば問題はなかったのに、防人の妨害によって計画が狂った。彼らに対応するべく巨躯の獣を残したのが間違いだ。


「ハッ……ハァ……せめて、もう一体作っておくべきだったわ」


 悔やんでも時既に遅し。この反省は次に活かすとしよう。ジルベールと合流し、一緒に遠くの街へ逃げるのだ。脱出する手筈は整えており、後は彼と合流するのみ。二人で新生活を始めるのは想像するだけで気持ちが高まった。次はどんな研究をしようかと想いを馳せる。


(昔みたいに星の研究を再開するのも良いわね。ジルは嫌がるかしら。それか、世界の秘境を巡るのも楽しそう。護衛を付けずに二人で旅をするの。それならジルも賛成してくれるに違いないわ……あれ?)


 フィズの行く手を阻むようにが立っていた。全体的に細身で居るのかも分からないような存在感の薄い少女だ。しかし、どこかで見たような気がする。フィズは自らの記憶をひっくり返した。


 そうだ、彼女はジルベールの小間使いだったはずだ。名を確かアンバーという。


「あなた、アンバーといったかしら? どうしてここに?」

「フィズ様を迎えに来ましたよ」

「それなら丁度良いわ。私をジルベールの元まで護衛して頂戴。全く、防人が邪魔してくれたおかげで私の計画は滅茶苦茶よ……痛っ」


 フィズは安心したように警戒を解いた。途端に自分が負傷していることを思い出し、右足に激痛が走る。ティアに蹴り飛ばされた際に折ったものだ。焼けるような鈍痛がフィズを襲い、彼女は端正は顔を痛みに歪めている。


「そうだ、あなた治療薬は持っていないかしら?」

「持っていますよ。最後の一本ですけどね」

「流石はジルの小間使いね。見ての通り足が折れているのよ、それを私にくれるかしら」


 アンバーは治療薬を手に持ってフィズに近寄った。そして、フィズに手渡すと思われたその時、フィズの首すじにナイフが添えられた。あまりにも自然で殺意のない動き。フィズが反応できずに固まった。見開かれた瞳がアンバーを映す。

 首すじから感じられる冷たい感触。生殺与奪を相手に握られた瞬間、人は恐怖に陥る。唾を飲み込むことすら恐ろしい。フィズは震える瞳で相手を見つめた。そこには何処かの化け物と同じ冷たい瞳の少女が立っていた。


「あなた、ジルの味方では……」

「そんなわけないでしょ。私は金で雇われただけに過ぎませんし、そもそもあんな人に協力したいとは思いません。散々身を尽くしたピケの最期を見れば、ジルベールについて行こうなんて思うはずがないです」

「そんな……」


 ナイフを握る手に力が込められた。ビクッ、とフィズの肩が跳ね上がる。


「やり過ぎたんですよフィズ様。越えてはいけない一線があるんです。あなたの才能はもちろん本物ですが、そのために無関係な市民を巻き込むべきではなかった。まぁ、一応の顔見知りとして私が終わらせてあげます」

「待って、私は――」


 ナイフが引かれた。赤い一文字いちもんじがフィズの首を裂く。才女とうたわれたフィズ・コーペンハット。その最後は呆気ないものであった。誰よりもジルベールを愛し、ジルベールの隣に立ち続け、そして報われなかった彼女。その想いもまた、魔素となって世界の何処かに溶けていくだろう。


 フィズが倒れると同時に、微睡みの森から膨大な魔素が奔流した。森の奥から天高く昇る灰色の魔素。アンバーにとって唯一大切なあの人の魔素。花畑という一点から昇った灰色の魔素は、森の上空で徐々に広がっていく。その様はまるで花のようだ。魔素によって彩られた花が森の上空に消えていく。


 終わったのだ。それを感じ取ったアンバーは静かに涙を流した。本当はティアの姿を最後に一目会いたかったが、結局別れの挨拶はしなかった。会えばきっと彼女についていってしまう。自分はそれほど我慢強い性格ではない。だから、彼女の戦いを邪魔しないために敢えて会わなかった。


「……最後まで自分勝手なんですから」


 アンバーが身をひるがえす。ティアのいないこの街にアンバーが残る理由はない。彼女がいたから、彼女が望んだから街を支えた。裏街道に通う日々も今日で終わりだ。生意気な白猿と飯を取り合うのも、目つきの鋭い男に剣の稽古を無理やりさせられるのも、全ては過去の話。大切な思い出として胸の奥にしまうのだ。


 ○


 下層部にせりあがった大樹の丘から、白猿は南方の空を見上げる。一つの時代が終わった。良くも悪くもトーカスという街はこれから大きく生まれ変わる。“発展の怪物”カルブラットが消え、新たなる王が台頭する。魔法省は長き歴史に幕を下ろした。防人は未だ改革の途中。人が、歴史が移り変わる。


 そこに自分は必要ないだろう。今回の戦いで街の人々は魔物という脅威を明確に理解した。ここからどう歩んでいくかは次代の王が決めることだが、少なくとも自分がいると邪魔になる。王は一人でいい。英雄は孤独の中に生まれる。


「キキッ、また楽しそうなことを探さないとナ」


 大樹の丘が霧に包まれる。白猿の姿は段々と見えなくなり、やがて甲高い笑い声だけが残響した。



 残された者達は様々な想いを抱いて空を見上げた。古き時代に哀愁を覚える者もいれば、森に消えた化け物へ敬意を捧げる者もいる。最下層からは修道女の子守唄が聞こえた。優しい歌声と共に、最下層への道は霧によって再び閉ざされる。


 街の住民も、戦いが終わったことを悟った。喜びの涙を流しながら口々にファルメールの名を口にする。街を守ったミリィ・ファルメール。森をしずめたユースティア・ファルメール。二人の名前は半ば英雄譚として語り継がれるだろう。


 今夜は宴だ。戦いの終結。時代の変遷。全部ひっくるめて宴を開くのだ。酒を用意しろ。商人は店を開け。酒場はどこだ、祝いの花は残っているか。沈んだ雰囲気はこの街に似合わない。悲しい空気は笑い声で吹き飛ばせ。この日、ウィーン祭よりも大規模な宴が行われた。彼らの声は混沌とした街に夜通し響き渡ったという。



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