第193話:人に殉ずる
ジルベールが自らの体から魔素を解放した。それは最後の手段だ。彼の肉体を構成する魔素そのものを力に還元する。そんな無茶な戦い方をすれば長く持たないであろう。実際に、彼の体は少しずつ魔素に溶け始めていた。未来のない最後の戦い。天才の命が最大の輝きを放つ。
「僕を止めて見せてくれよ、ティア!」
ジルベールが悪魔のような表情で刃を振るう。相手が受け止められぬであろう隙を正確に付く最適解の剣。彼は天才と呼ばれたが、それは精神力に過ぎない。今まではいくら最適解が見えようとも体が追いつかなかった。しかし、この肉体であれば話が違う。自らの理想に答えてくれる最高の肉体。
「これが、人間の可能性だ!」
ただの薙ぎ払いが冗談のような威力をもってティアを襲う。受け流そうとしたティアはすぐに悪手だと気付いた。彼女の体が衝撃に耐えられないのだ。天才の剣を逸らすたびに、ティアの体がパラパラと崩れ落ちた。ゴーレム特有の再生能力は殆ど残されていない。
天才と化け物は互いに身を削りあった。ジルベールの体が魔素を失うのが先か、ティアの体が崩壊するのが先か。未来なき戦いに彼女らは挑む。伝えるべきものは街に残してきた。あとは満足のいく決着をつけるのみ。
「人間と呼ぶには異様な体じゃない? 少なくとも、私の知っている人間は体から魔素を放出したりしないけどね!」
「僕は人間だよ。獣は誇りのために戦わない。魔物は自ら死を選ばない。こんな非合理な生き物は人間しかいないよ」
「じゃあ私も人間ってこと?」
「僕からすれば変わらないさ。そもそも、人だ魔物だと区切る意味が分からない。体の構造なんてものは些細な違いだ。思想の違いなんて言い出したらキリがない。人か魔物かというのはそんなにも重要なことなのかい?」
「大事なことだよ!」
話ながらも互いの殺意は緩まない。一手一手が当たれば致命の一撃を振るう。白き花畑はいつの間にか沢山の光虫に囲まれていた。観客は誰もいないと思っていたが、太古の魔物が見守ってくれるようだ。花と光に包まれながら二つの綺羅星が輝きを増す。
「大抵の物事は経験しなければ理解できない。見聞や知識は表面上のものでしかないんだ。そして、私は人間を真に理解することはできない。少しでも経験ができれば分かるのに、その少しが絶対に届かないから」
「分かったところでどうなる? 知らない方が綺麗な世界だよ」
「あら、探求者のくせに知らない方がいいって言うんだ」
「そんな時もあるものさ」
ジルベールの魔素がより一層暗くなる。彼の魔素に呼応するように、光虫が慌ただしく空中を飛び回った。ぐるぐる、ぐるぐる、急かすように光が旋回する。巻き上がった花びらが影を落とし、花畑を別世界のように色分けた。
「僕は君を追いかけ続けたが、君がユースティアに似ているからではない。君自身に魅力を感じたからだ」
「やっぱり口説いているんじゃん」
「それだけ人間が複雑だって話だよ。その日の気分で愛も友情も、敵味方も移り変わる。いつまでも昨日が続くとは限らない。だからこそ、君の姿は美しかったよ! 君は変わらぬ愛を貫いた。その人間性に惹かれたのさ! 僕に限らず、君の仲間もそうだったのではないかい?」
「そうだといいね……それこそ、あなたの言葉通り、彼らにしか分からないさ!」
ティアは戦いの最中で相手の動きを観察した。ジルベールの癖、花畑の地形、剣筋の流れ。力で敵わぬなら技で返す。剣を振るわれてから対応するのではなく、ジルベールが動き出した瞬間に彼の動きを予測する。ティアの首に迫る天才の刃。仰反るように避けたティアはそのまま花畑を転がった。勢いをのせて背後に飛び、二人の視線が一瞬だけ交わる。
互いに次で決めると目が言う。話したいことは沢山あるが、残念ながら体が持ちそうにない。二人は崩れかけの体で剣を構えた。花畑に訪れる一時の静寂。飛び回っていた光虫も羽ばたくことを止めて彼女達を見守る。
地を蹴ったのはほぼ同時。二人を遮るものは何もない。剣が交わるまであと数歩。脳裏に無数の選択肢が現れた。言葉を発する余裕はない。瞬きをすれば死ぬ。ジルベールに至っては呼吸すらも止めた。極限状態の中で正しい選択を探す。最後の選択、その責任は生きるか死ぬか。
ジルベールは袈裟懸けに剣を振り下ろした。天才の魔素を力に還元し、自らの肉体をも剣に捧げて振り下ろす一撃は万物を破壊する。受け止めれば必死。ティアは走りながら体を無理やり捻った。ここまでは、見えている。ジルベールも一撃で決めるつもりはなく、振り下ろした剣を瞬時に引き寄せる。
「ここだろう!?」
人の身ではあり得ない速さで引かれた剣。続けて放たれた神速の突き。天才の剣先はティアの右胸を正確に捉えた。彼女の核が埋まっている唯一の弱点。未だ回避態勢のティアは自らに迫る剣が避けられないと悟った。直撃は避けられぬ。見てから避けるにはあまりにも速すぎる剣。
ティアは突きを「点」として捉えた。外せば死ぬ。引き伸ばされた時間の中で彼女の瞳が赤く光った。血のように赤い魔素が目から流れる。彼女もまた肉体を捧げ、埒外な動体視力を手にするのだ。ティアは流れるように剣を左手に持ち替えると、天才の突きを「点」で返した。
ジルベールはまさか、と思った。純粋な力で争えば自分が勝る。突きに突きで返したのは驚愕に値するが、それだけだ。ティアの剣は衝突と同時に折れ、天才の剣が少女の胸を貫いた。
「ッ!?」
しかし、ずれた。ジルベールの刃は彼女の核を傷つけたが砕くには至らず。点で返されたが故にジルベールの予測が外れたのだ。レーベン卿、最後の誤り。ティアはずっと隠していたもう一つの剣を引き抜いた。剣、と呼ぶには歪な形だ。仕立て屋の友人が握っていた刃を修道女が剣に整えた代物。時代の先を往く剣が、古き時代を終わらせる。
「ハァアア!!」
ジルベールの胸に剣が突き刺さった。一拍の静寂。ジルベールの纏っていた魔素が霧散する。花畑に吹き荒れていた風が止んだ。最後の戦いが終わったのだ。無理な戦い方をしたせいでティアの左腕も砂となって崩れ落ちている。満身創痍。限界の果てに少女が勝った。
「ガハッ……強いな、君は」
剣を引き抜かれると、ジルベールはゆっくりと仰向けに倒れた。その顔は負けたにも関わらず晴れやかである。こうなると予知していたように満足気だ。最後に言葉を発しようと彼の唇が動いたが、もう力が残されておらず、彼の口からは何も発せられない。その代わりに、よくぞ終わらせてくれたと安心するようにジルベールは笑った。
天才が眠る。森を覆っていた青い炎も勢いを弱め、彼の想いから生まれた魔素がゆっくりと消えていく。戦いを見届けた光虫は役目を終えて森に帰った。月光虫は最下層へ。灯光虫は微睡みの森の更に奥へ。静かになった花畑に化け物が一人、残される。
ティアは空を見上げた。真っ赤に染まっていた空も段々と元の色に戻っている。やがて森の炎もおさまるだろう。役目を、終えた。何とか間に合った。化け物の体を嘆いたこともあったが、この体でなければ成せなかった。
ティアは右手を天に伸ばす。上へ、上へ、更なる高みへ。やがて、立つ力を失った少女もまた、仰向けに倒れた。白き花畑に沈む黒と灰。祈祷草が二人を包む。
「おしまい、かぁ……案外早かったな。退屈も……しなかった。死に場所が故郷っていうのも悪くない。心残りはあるけれど……名残惜しいぐらいが私には丁度良いのかもしれないなぁ」
ティアの意識に靄がかかり、見えていた空が徐々に暗くなっていく。最下層で経験した眠りとは違う、もっと根本的な眠りだ。ティアの炎が消えた。やがて完全な暗闇が訪れるだろう。冷たく寄り添う静かな世界。少女はそれを受け入れた。
「じゃあね、皆……がんばってね、ミリィ。化け物の体も……悪くなかったよ」
最後の言葉が口にできたかは分からない。けれど、きっと届いているはずだ。彼女の残した炎が愛した街を守り続ける。これから激動の時代が来るはずだ。それを乗り切るための力を託した。もう、心配することは何もない。脳裏に懐かしい友人達の姿が浮かび上がる。
口元を軽く緩めた後、彼女の核は砕け散った。
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