第190話:赤の獣

 

 演説の効果で避難民の暴動が鎮静化したため、中層部に援軍を送ることができるようになった。ミリィは最大限の人員を率いて中層部へ向かう。経験の浅い新人隊員も全てだ。使えるものは全て使わなければ勝てない戦い。これは防人のみならず、トーカスにとっての総力戦である。


 中層部に到着した時、ミリィは真っ先にクォーツ隊長を探した。彼と合流せねば始まらないからだ。


「クォーツさん、お待たせしました!」

「おう……って、ミリィ様!? なぜここに!? しかもアディまで!?」

「……色々あってな」

「話は後! 援軍です!」

「お、おお? よく分からねえが助かったぜ! もう援軍は来ないかと思っていたからな!」


 ミリィは戦場に目を向けた。中央に立つのは。見上げるような巨躯の体だ。

 獣が暴れるたびに、冗談のような大きさの瓦礫が空を舞った。人間程度なら掠っただけでも致命傷になるだろう。怒りを体現するように獣は何度も咆哮を上げた。


「あれが巨躯の獣……想像以上の大きさだわ」

「今は何とか抑え込んでいますが、一体いつまで持つか……」

「むしろ、よく持ち堪えましたね。戦力も足りていなかったはずでしょうに」

「あぁ、それならが」


 クォーツが指さした先を見ると、なんとアンバーが戦っていた。しかも一番前で、だ。地上ではおろか、最下層でも彼女の戦っている姿は見たことがなかったためミリィは驚きの声を上げた。ピルエットと肩を並べて風のように戦場を駆け回るアンバー。それはミリィの知っている姿ではない。


「嘘?」

「戦えたんですね、彼女。しかも、下手すればそこらの防人よりも断然強いですよ」

「そりゃあお姉ちゃんと一緒にいるから普通の女の子ではないでしょうけれど、これは……予想外だわ」

「アンバー二等兵はアストレア一等兵……つまりティアさんの訓練を最初に受けた隊員らしいです。援軍も呼んでくれまして……彼女がいなければとっくに崩壊していたかもしれません」


 アンバーもミリィの到着に気が付いたようだ。アンバーが戦線を離脱した。離れる際にピルエットが絶望的な表情を浮かべていたが、アンバーは気にした様子を見せない。頬を膨らませながらミリィのもとへ駆け寄ってくる。


「ミリィさん遅いですよ! 私、もうへとへとです!」

「あなた……いえ、ありがとう。おかげで助かったわ」

「ふふん、もっと褒めてもいいんですよ」


 いつもと変わらないアンバーに安心感すらも覚えるミリィ。しかし、事態は深刻なままである。援軍のおかげで戦力は申し分ないが、問題はどうやって巨躯の獣を倒すかだ。数で押して勝てるような相手ではない。むしろ、策を練らなければ無駄に命を散らすだけである。


「ミリィ様が来たのなら、俺も前に出るとするか。司令塔は二人もいらないだろ」

「クォーツさん、いいのですか?」

「むしろこっちからお願いしたいくらいだ。アディとも積もる話があるし、ちょっと行ってきますよ」

「そう。では、お願いしますね」


 任せろと言わんばかりに、クォーツは親友の肩を叩いた。むすっとした表情のアディだが険悪な空気ではない。闘気をたぎらせる二人。かつては共に肩を並べた仲だ。久方ぶりのクォーツ班が戦場に往く。


 戦場の空気が変わった。それは末端の兵士にも伝わった。ミリィが現れたことで彼らの顔に希望が灯る。ファルメールに敵はなし。ミリィ・ファルメールが獣を打ち砕く。王の子が現れただけで、士気が向上したのが分かる。


「アンバーは彼らを支援してあげて。もちろん状況によっては前に出ても構わないわ。あなたの判断に任せる」

「疲れたので嫌です」

「は?」

「ひっ、冗談ですって。まぁ私の役目は終わったようなものなんで、気楽にいきますね。ミリィさんも肩の力を抜いた方がいいですよ」

「……そうね、ありがとう」


 なんとも気の抜ける言葉を発しながら、アンバーは戦線に戻っていった。ああ言いながらも期待以上の成果を上げてくれるだろう。アンバーがいなくなった後、ミリィは誰に言うでもなく呟いた。


「見ててねお姉ちゃん。私、頑張るから」


 幼き王の子が銀の覇気を昇らせる。戦場を塗り替える少女の光。眩しいほどの輝きは防人だけでなく、我を失った獣にも届くであろう。


 ○


 巨躯の獣へ真っ直ぐに向かうクォーツとアディ。こうして肩を並べるのは何年ぶりだろうか。クォーツは隊長の仕事に追われるようになり、アディも天才の隣で日夜、実験に付き合っていたため、アディが防人を抜けてからは会うことも殆どなくなった。すれ違った時間を取り戻す時間がきたのだ。


「一丁前に鎧なんか着やがって、随分と偉くなったじゃねーか」

「偉くなったのはお前だろう。サルバ班長に毎日怒られていた奴がいつの間にか隊長だ……もしかしてコネか?」

「努力と人望だ馬鹿野郎。ほら、獣とご対面だぜ。気を引き締めていけ」


 巨躯の獣が戦場に君臨する。ただ瞳を合わせただけで吹き飛んでしまいそうな威圧感。一挙一動が化け物じみた破壊を生む。体内に保有する膨大な魔素が滲み出していた。最前ではピルエットが警戒するように剣を構え、その周囲を防人の精鋭部隊が囲んだ。


「……? 動きが止まっている?」

「よく分からねえがチャンスだ。おいピルエット! 一気に攻めるぞ!」

「了解です先輩……って、ええ!? アディさん!?」

「同じ反応をするな。ほら、いくぞ」


 クォーツ隊ここにあり。もう三人が並んで戦うことはないと思っていた。故に、ピルエットの胸に懐かしさが込み上げてくる。感傷的になっている場合ではないと分かっているのだが、彼女の頬が自然と笑みを浮かべた。


 やがて、獣が動き出す。


 ○



 巨躯の獣は光を見た。懐かしい、温もりを感じられる光だ。光の源には王の子が立っている。凡人にはない圧倒的なカリスマ、そして、戦士にも劣らぬ強い覚悟を持った少女だ。その容姿は憧れたあの人に似ている。あの人のように強くなりたいと願った。美しく生きたいと、思った。


 更に足元を見やれば力強い瞳の少女が剣を構えている。純粋な武力だけを追い求める真っ直ぐな覇気だ。銀髪の少女とは違う道であるが、彼女も良い瞳をしていた。二人の男と一人の少女、並ぶ姿は勇ましい。


 知っている、獣は知っている。しかし、どうにもならない。女研究者の声が頭の中でずっと反芻はんすうするのだ。くそったれな探求者がもっと怒れと命令した。もっと、壊せと命令した。そのたびに獣は力のかぎりに暴れ回る。


「ガァァアア――!!!」


 神は人を愛せと言った。しかし、かつての獣はそんなもの存在しないと思った。汚い世界ばかりを見たせいでとっくに心は汚れており、どんな感動的な光景もまるで心に響かない。信仰を謳っても所詮は汚い大人の世界だ。救いたいと薄っぺらい笑顔でのたまう姿は吐き気がする。人間なんて利己主義で、社会というのは息苦しい。知れば知るほど心が冷めていった。


 しかし、愛は存在するのだ。あの人が教えてくれた。純粋な愛と圧倒的な力。何度壊れても挫けない姿は獣が憧れた美しき生き様。近くで見ているだけでも幸せであったのに。あの人にもっと近付きたいと願ったせいで、汚い心が焼け焦げてしまった。

 全ては過去の話。これは命を奪った報いであろう。あぁ、でも確かに、報いを受けるという意味では神は存在するのかもしれない。やはりくそったれな神様だ。



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