第10話:防人寮は騒がしい

 

 防人さきもりの本部と寮が建てられているのはトーカスの中層部だ。昔ながらの古くさい建物だが、今でもたくさんの寮生が利用している。内部は三階建てで、中央の吹き抜けを囲うように各部屋が向かい合う構造だ。そして、体を使う仕事の関係上どうしても男性の比率が多いため、寮内の雰囲気も雑然としているのだ。部屋の前の廊下には洗濯物や届け物、部屋に収まらず溢れた嗜好品などでごった返していた。


「ただいまー」

「クォーツとアディかい。おかえり」

「……ただいま」


 寮の入り口にある寮母室でモーランが二人を出迎えた。昔から寮を見守ってきたモーランには皆頭が上がらず、しわが目立ってきているがまだまだ元気である。


「おや、良い香りがするね。クォーツが花なんて珍しいじゃないか」

「あー、ちょっとね。面白い店があって」

「渡す相手は大体想像できるけどね。アディは買わなかったのかい」

「俺は興味ない」

「ハハッ、そうだろうね」


 モーランは笑った後、元の作業に戻った。寮母室を抜けると大広間が二人を迎える。三階まで吹き抜けとなっている広間は天窓から明るい光が差し込み、寮生の談笑する声が響いた。広間を囲うような階段を上り、物に溢れた廊下を抜けて自室へ向かう。


「お、クォーツじゃん。愛しの修道女シスターに会えて楽しかったか?」

「イージアか。楽しかったぜ。お前こそ今日はデートじゃ無かったのか?」

「あー……色々あって殴られた」

「また二股かよ。懲りねぇな」


 廊下で同僚のイージアに声をかけられた。相変わらずこの男はクズである。会うたびに違う女の子と一緒におり、そのたびに相手を泣かせる最低な男だ。あまり話すとクズが移ってしまう。早々に話を切り上げると、クォーツは足早に自室へ向かった。



「ふぅー、疲れた」


 紙袋を台に置くと、クォーツはその疲れた体をベッドへ投げ出した。ボスッと湿気た音がする。ろくに干していないベッドからは軽く埃が舞った。

 仰向けになりながら、クォーツは今日のことを思い返す。ゴーレムの数が増えていること。リーベが可愛かったこと。奇妙な花屋と出会ったこと。普段の代わり映えない現実から変わり始めているような気がした。何かが起きるような、もしかしたら既に起きているような――。


「ま、それを考えるのは俺達じゃないな」


 頭を働かせるのは魔法省の仕事だ。クォーツ達はただ、体を鍛えて街を守ればいい。森の魔物達や他の都市からトーカスを守るのだ。防人の使命はただそれだけである。


 コンコンと扉を叩く音がした。誰だろう、とクォーツは体を起こす。


「クォーツさんいますー?」

「ああ、どうぞ」


 ちょこんと橙色のアホ毛が扉から顔を出す。まだ新しい制服はしわ一つ無く、訪問者がまだ日の浅い防人であることを示している。くりっとした瞳が部屋の主を探した。


「ピルエットじゃん。どうした?」

「どうもー、班長がお呼びですよ」

「うげっ、まじかよ……了解だ」


 どうせ面倒事を押し付けられるんだろうな、とクォーツはゲンナリした。いつもそうなのだ。森の様子を見てこいだとか、魔法省に顔を出せだとか。隊長のご機嫌取りをしてこいと言われたこともある。


「なんか良い香りがしますね」

「あ、分かるのか。ちょっと花を買ってきたんだ。表街道のすみに面白い花屋を見つけてな」

「クォーツさんが花!?」

「うるせぇよ。俺だって花ぐらい買うっての」

「えー、いやいやー、クォーツさんは花よりも食いっ気でしょ」


「嘘おっしゃい」と言いたげな顔をするピルエット。彼女はクォーツと同じ班の一員であり、最近防人になった新人だ。女性が少ない防人に女の子が入ると聞き、男達は大いに喜んだとか。実際、抜けている部分は少々……いやかなりあるが、腕は確かである。試験である隊長との一騎討ちを難なく合格する実力者だ。見た目とのギャップも相まって、男性隊員から人気である。


「まあいいや、行ってくるわ」

「はーい、いってらっしゃい」


 ピルエットが手を振った。何度見ても細い体つきだが、ああ見えて隊長を斬り飛ばすような力の持ち主だ。あの華奢な腕のどこにあんな力があるのか、クォーツは不思議に思いながら部屋を出る。

 防人は兵士、班長、隊長、防人長と別れている。兵士は一階の部屋を使っており、班長は二階、隊長と防人長は三階だ。上の階にいくほど部屋が広くなり、人数が少ない隊長と防人長の部屋は三階を広々と使っている。

 二階に上がったクォーツはとある部屋の前で立ち止まった。扉には直接“サルバ”と彫られており、ここはクォーツの上官であるサルバ班長の部屋だ。コンコン、と軽くノックをした。


「班長ー? クォーツです、入りますよー」


 返事を待たずにクォーツは中へ入った。クォーツの部屋とは違い、箪笥たんすの上まで掃除されている様は部屋主の几帳面さをよく表している。机には手記と聖書が置かれていた。サルバ班長は敬虔けいけんな信者なのだ。


「返事を聞いてから入りたまえ。それではノックの意味がない」

「はいはい、次から気を付けます」


 軽く流す姿に、サルバはため息をついた。


「態度がだらしない。お前はもっと上官への敬意を持つべきだ。そうすれば唯一神ファルス様が――」

「あー、分かりましたって。で、今回の面倒事は何ですか?」

「……まぁいい。今回はレーベン卿の屋敷へ行ってもらう」

「レーベン卿……ジルベール様ですか。何故ですか?」

「あまり詳しくは聞いてないが、屋敷の警護らしい」

「はぁ……」


 警護、と言われてもクォーツはピンと来なかった。なにせ、相手はあのレーベン卿だ。魔法省の人間でありながらも、その実力は防人の隊長に匹敵すると言われている。並みの相手に負ける人ではないし、クォーツが居たところで役に立てるとも思わない。何故、と首を捻った。


「俺が行って役に立つとは思えないのですが」

「役に立つか判断するのは向こうだ。レーベン卿が来いと言っているんだから、諦めて行ってこい」

「はーい」


 クォーツは渋々了解した。レーベン卿の屋敷警護となると、恐らく仕事は少ないと思われる。最悪、一日中立ちっぱなしもあり得るのだ、特別な任務時に支給される特別給も期待できないだろう。


「あぁ、ちなみに二人寄越してほしいと言われていてな。もう一人はクォーツが選べ」

「わかりました」


 クォーツの返事を聞いて満足そうに頷くと、サルバは自分の業務に戻った。「失礼します」とクォーツは部屋を出る。分かっていたことだが、やはり面倒事であったとため息をついた。


「もう一人……アディでいいか」


 真面目なアディなら嫌な顔をせず了承するだろう。せめて話し相手がいるというのは救いだったな、とクォーツは思う。重い足取りで相棒の部屋へ向かった。


 ○


 日は流れ、警護任務当日だ。ジルベールの屋敷へ向かう二つの影があった。


「で、なんで私なんですか」


 クォーツの隣で不服そうな声が上がる。むすっとした顔を向けているのはピルエットだ。防人の隊服をきちんと着ている姿は若干の初々しさが感じられた。


「アディが無理だったんだ。俺らの班は班長含め四人なんだから、消去法でお前だろ?」

「うー、分かりますけど……」


 理解は出来るが納得は出来ない、と言いたげな顔。アディは別の任務があって断ったのだ。いくらレーベン卿からの依頼といえども、先に受けた任務を優先するのは仕方がないだろう。そこで白羽の矢がたったのがピルエットだったというわけだ。


「そもそもどうして私達なんですかねー」

「さぁな。ジルベール様は変わり者だって噂だし、俺ら一般兵には分からねぇよ」

「凡人に天才の考えは分からないっことですか」

「……それってもしかして俺に対する悪口か?」

「私たちはみんな凡人ですよー」


 話しているうちにジルベールの屋敷が見えてきた。立派な門構えは屋敷の主人の品格を表しており、裕福な人が多い中層の中でも特に別格である。ジルベールの元へ来るのは初めてだったが、想像以上だとクォーツは思った。


「さ、着いたぜ」

「帰りたいです」

「俺だって帰りてぇよ。ほら行くぞ」


 防人の隊長に匹敵し、魔法省の中でも屈指の変わり者・ジルベール。彼の屋敷へ二人は足を踏み入れた。



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