第9話:盲目の修道女

 

 雑多に賑わう街中を、小さな子供達が走り回る。本通りメインストリートには出店が立ち並び、多くの人が買い物をしていた。聖都や新興都市に並ぶ賑わいを見せ、急成長を遂げている街――トーカス。そんな街中を二人の男が歩いている。


「今日もこの街は平和ですっと。いい気なもんだね、俺達は命張って魔物と戦っているってのに」

「聞こえるぞ。それを望んだのはお前だろ、クォーツ」

防人さきもりになればたくさんお金を貰えるし女性にもモテモテだって言ったのは親父だぜ? あー、騙されたなぁ。こんなに大変な仕事だとは聞いてなかったぞ。大体、街の連中で俺らの仕事を知ってる奴が何人いるんだか。なぁ、アディ」

「そんな不純な動機で選んだお前と一緒にするな。ほら、もうすぐ着くぞ」


 通りの外れに大きな教会が見えてくる。白十字を掲げたその建物は大きさも相まって荘厳な雰囲気だ。教会特有の神聖な空気が感じられ、クォーツの背筋が自然と伸びる。教会の前には庭が設けられており、隣接する孤児院の子供達が楽しそうに遊んでいた。二人は一番年長である少女に声をかけた。


「こんにちはクリスちゃん。プーロ司祭殿はいるかい?」

「あ! クォーツお兄ちゃんだ! ちょっと待っててね!」


 少女は司祭を呼びにタタタと駆けていった。少女の元気な後ろ姿を見つめていると、隣の友人が不快そうな声をあげる。


「なあ、俺は別の任務があるんだが帰っていいか? 用があるのはお前だけだろ?」

「そう言うなって。折角だから挨拶していけよ」

「……それはお前が彼女に会いたいだけだろう」


 アディが呆れたような顔をするが、肝心のクォーツはどこ吹く風といった様子だ。アディも早々に説得を諦めた。そうして二人が話していると、教会の主であるプーロ司祭が修道女を連れて現れた。修道女の方は白杖を普段持ち歩いているのだが、今日は手ぶらのようである。隣に立つ司祭がしゃがれた声で挨拶をした。


「こんにちはお二方。いつもご足労感謝します」

「……どうも」

「こんにちはプーロ司祭殿。それからリーベさんも」


 アディとクォーツが挨拶をすると、リーベと呼ばれた修道女はクォーツが立っている方向に顔を向けた。煌めくような金髪がフードからこぼれ、風に巻き上げられてふわりと揺れる。


「お久しぶりです、クォーツさん、アディさん。ここは街の端ですから大変でしょう」



 そう言ってニコリと彼女は笑った。口元しか見えずとも、優しそうな微笑みは彼女の人柄をよく表している。彼女の笑顔が見れただけでクォーツは上機嫌になった。


「今日は杖をお持ちじゃないのですね。お体は大丈夫ですか?」

「お気遣いありがとうございます。院内はよく知っていますから杖が無くても大丈夫なのですよ」


 リーベは軽く頭を下げた。彼女は目が見えないらしい。「使えぬ瞳は敢えて晒すものではない」とまぶたを閉じている。それをクォーツは勿体無いと思っていた。きっと彼女の性格と同じ綺麗な色をしていたのだろう。


「それで、今日はどのようなご用件で?」


 プーロ司祭は立派な髭に手を当てながら尋ねた。もう七十は越えているはずだが、背筋の伸びた立ち姿は実年齢よりも若々しく感じられる。街の住民からも信頼される司祭だ。


「注意喚起のようなものです。最近、森の魔物……というかゴーレムが少々活発になっておりまして」

「ゴーレムですか。しかし、奴らは同族同士で喰らい合い、森から出てくることはないのでは?」

「今まではそうだったのですが、最近数が増えているんですよ。実際にうちの隊で襲われたという報告もあります」

「なんと……」



 プーロ司祭は瞼が垂れて細くなった目を見開いた。その瞳は自然と坂の下、微睡みの森へと向けられる。建物に遮られて殆ど見えないが、あの向こうには微睡みの森と呼ばれる未開の地が広がっている。龍が眠るというお伽噺が有名だ。


「元々謎が多い森じゃからなぁ。しかし、人を襲うとなると我々よりも子供達が心配ですな。彼らはここ以外に行くあてがありませんから」


 司祭は元気に走り回る子供達に目を向けた。トーカスには身寄りのない子供が溢れかえっており、彼らのためにプーロ司祭は自らの資金を全て孤児院に寄付している。


「そうですね。奴らは意思を持たない分厄介です。この辺りではまだ起きていませんが、充分に気を付けて下さい」

「ふむ、知らせて頂き感謝します。しばらくは外出も控えようかの」

「それがいいかもしれません。リーベさんも気を付けて下さい。特に夜はあまり出歩かないほうがいいですよ」

「ありがとうございます。クォーツさん達も気を付けて下さいね」



 再度、リーベの輝くような笑顔。クォーツの心もパァーッと輝く。


「では、そろそろ帰りますね。また来ます」

「はい、また」



 手を振る修道女と司祭に見送られて二人は教会を後にした。クォーツの顔は修道女の姿が見えなくなっても緩んだままだ。あまりにも情けない表情に黙っていたアディがようやく口を開く。


「お前、本当に外面だけはいいよな。普段あんな敬語使わないだろ」

「そりゃ仕事中だからな。アディはもっと柔らかくなったほうがいいぜ? それにもっと喋った方がいい」


 寡黙な相棒はフンッと鼻を鳴らした。同期で入ってから長い付き合いになるが、取っ付きにくさは何年経っても変わらないようだ。


「……俺はいいんだよ。大体、いつまでにやけてるんだ」

「いやぁ、やっぱリーベさんかわいいよなぁ。あの笑顔、見たか?」

「言いたくないが、俺はあまりあの女が好きじゃない。どうもあの人の良さはむしろ人離れしているというか……」


 人体で最も雄弁なのが目だとアディは考えている。しかし彼女は目で語らない。それなのに人々の心を掴んでいくのだ。アディはそれが――怖い。


「気にしすぎだっての。大体、“慈しみの修道女”とまで呼ばれる程だぜ?」

「プーロ司祭と共に周辺の街を巡って身寄りのない子供達を助けているってやつか。それが余計に胡散臭いんだろ。普通の人間ならそんなことはしねぇよ」

「普通の人がやってないから“慈しみの修道女”と呼ばれているんだろ。あの輝く笑顔が嘘のはずがないんだ。それに――」

「……」


 リーベを褒め称えるクォーツを尻目に、ハァとため息をこぼす。リーベについて語り続ける友人は変質者と大差ない。もし防人の格好をしていなければ詰所へ連れていかれてもおかしくないだろう。


「また始まった……そんなことよりゴーレムの件、話して良かったのか?」

「下手に言いふらすと街が混乱してしまうが、司祭殿なら大丈夫だろう。その辺はうまくやってくれるさ」

「それならいいが」

「何で急に増えたんだろうな。しかも街に降りてくるってことはよっぽどだぜ」


 クォーツは首を傾げた。


「森に異変が起きて逃げてきた……は無いか。あいつらに意思はないもんな。なら逆に奴らを喰う天敵が居なくなったとか」

「ゴーレムを好んで食べる魔物なんて、それこそ同族喰らいのゴーレムだろうさ。化け物みたいなゴーレムが現れたなら話は別だけどな。まぁ、その辺を考えるのは俺たちの仕事じゃ無いか」

「原因を調べて研究するのは魔法省の仕事だ。俺たちは街を守ればいい」



 魔法省。主に魔法の研究や森の調査などを行っている機関だ。何か問題が起きた際には防人が調査し、持ち帰った結果を魔法省が研究することが多く、それぞれの結びつきは強い。しかし、それはあくまでも仕事上の関係だ。実際は互いに衝突することが多く、アディも魔法省のことを毛嫌いしている。


 やがて表街道の端、大通りの横にある路地に入った。大通りほどではないが、小さな露店が立ち並び賑わっている。その前を通ろうとしたとき、一つの露店が目に入った。


「ん? なんだありゃ」

「どうした?」


 アディが尋ねるが、クォーツは答えずにふらふらと歩いていく。


「これは……花か? いや、光っているよな。魔道具か?」

「おい」


 後から来たアディも、店に並ぶ綺麗な二種類の花に目を見張った。一つは一見普通の花だがとても良い香りがし、もう一つは仄かな光を放っている。二種類しかないが、どちらも美しい花であった。


「いらっしゃい」


 奥から声が掛かった。そこでようやく二人は店主の顔を見る。いや、結果的には顔を見ることはできなかった。その顔は奇妙な仮面で隠されていたからだ。何かの動物と思われる骨を加工してあるようだが、何の動物なのか二人には分からなかった。肩ほどまでの藍色の髪は先にいくほど白くなっており、見たことのないような色合いをしている。


(女か。幼いな)


 中性的な声だったが、背丈や髪型から恐らく女だろう。少女、といっても差し違えない。小さな背丈がその雰囲気を柔らかくしているが、それでも奇妙な仮面や店から感じられる雰囲気は怪しいと言える。


「お嬢ちゃん、これは花なのかい?」

「そうですよ。仄かに光っていますが特に害はございません」

「へぇ~。こんな花があるんだな。どうするアディ、買っていくか?」

「いや、俺は止めておこう。花には興味が無いからな」

「あー、そうだったな。俺は良い香りがするほうを一束買おっと」

「お前だって花に興味なんてあったか?」

「自分用じゃなくてリーベさんのためだよ。次会うときに持って行ったらきっと喜んでもらえるぜ」

「あぁ……なるほど」



 注文を受けると、店主は紙袋を用意した。安価な紙袋は花を入れただけで破けそうになる。これは慎重に持って帰らないといけないな、とクォーツは思った。


「贈呈用ですか。喜んで貰えるといいですね」

「ありがとお嬢ちゃん。また来るぜ」



 店主の励ましと共に花を受けとると、クォーツは満足そうに店を離れた。紙袋に入れられた花は、袋に入っていても柔らかい香りがする。花を大事に抱えると、二人は再び帰路に立った。


「いやー、良い買い物をした。どうせなら教会に行く前に買いたかったな」

「どうせまたすぐに行くだろ」

「まあな。そんときはまたよろしく」

「あ? 俺は行かねーぞ」

「そりゃあ無理だね。付いてきてもらうぜ」

「面倒臭いから嫌だ」



 そんな他愛のない言い合いをしながら、防人寮へ二人は帰っていった。赤目の少女が仮面ごしに彼らを見送る。



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