2-101.ジェニファー・ツィキー

「たしかに組織はお前を手放さなかっただろうがな。俺が『レッドドラゴン』を潰してきたぜ。勿論、お前に任務を命じていたローウェス・ウッドも、他の幹部連中も、ほとんどが捕まった」


「嘘だ!ネズミボウズの話など信じるものか!」


 日常の義毅が見せている言動から、ジェニファーは彼の言葉を簡単には信用できなかった。しかし義毅は普段は見せない真剣な顔を見せていた。


「ツィキー、お前だって気付いてんだろ?二日前からローウェスと連絡が取れていないはずだ。俺が奴を制圧したからな」


「……私の、家族はどうなっている?」


「安心しろ。家族はもう『レッドドラゴン』の支配下から解放されている。ネオヨークの家に帰ったが、しばらくはローデントロプス機関から派遣された『源将尖兵マージスター』の保護下にある」


 義毅は動揺するジェニファーにさらに決定的な証拠を見せるため、マスタープロテタスを取り出した。テーラキントを繋げると、通信先では一組の夫婦らしき男女と少年がリビングで座っている立体映像が宙に映し出された。


「ジェニファー!久しぶりだね、もう8年か。まさか私たちがこんな形で再会するとは思わなかった」

「お父さん?!」


 ジェニファーの表情に初めて動揺の色が現れ、口が半開きになり、目が丸くなっている。


「ああ、私の最愛の娘、宝物のジェニファー。ずっと会いたかったわ。あなたの顔を見て、あなたを抱きしめたい」

「お母さん……」


「ジェニファー、ずっと君には謝りたかった。君を傭兵団の訓練施設に送ったのは私だ。失業し、莫大な借金を抱え、学費を払えなくなったのも、その代わりに君が組織に売られてしまったのも、全て私のせいだ。長い間、嫌な思いばかりさせた。私は父親失格だ。君に殺しの仕事までさせて……、こんなことなら最初から、君を傭兵団の施設に送り出すべきではなかった……」


 父親の告白を聞きながら、ジェニファーの頬には涙が伝った。のぞみに向けていた険しい殺し屋の顔ではなく、彼女は父と母の娘の顔になった。


「わ、私は……お父さんが悪いなんて、一度も思わなかった。グラム使いの学校に進学したくて、でも何度も落第していた私の将来を考えて、学費の高い傭兵団に入れるために、多額のローンを組んでくれた。お父さん、あなたのせいじゃない。これは私が償うべき、血なまぐさい罪です。巻き込み、苦しませてしまって……」


「ジェニファー?」と、父は優しい声で言った。


「これからはもう、家族のために暗殺の仕事を受ける必要はない、ジェニファー。君を苦しめた組織はもうないんだ。君の担任の先生のおかげで、私たちは解放された」


「先生が……」


 家族が安全でいることを実感し、父の言葉から改めて義毅の話の裏付けを取ると、ジェニファーは義毅に向き合った。


「ジェニファー、私たちはもう大丈夫よ。だから心配しないで。あなたは自由の身よ。これからは、誰かの言いなりになるんじゃなく、自分がどうしたいのか良く考えて、やりたいことを、しっかりやりなさい」


「……はい、お母さん」


「それにしてもさ、お姉ちゃんの先生、たった一人であの組織を潰したって聞いたんだけど。そんな格好良い先生に教われるなんて、お姉ちゃん羨ましいな」


 ジェニファーの弟は、彼女の持っていた写真よりも8年成長していた。16歳になった少年の、場違いで素直な言葉に、ジェニファーは顔を赤く染める。


「ビリーのバカ……」


「ジェニファー、きっとこれから、色々と大変だと思うわ。でも、罪を償って、また顔を見せに帰ってきてちょうだいね」


「はい……いつか、きっと……」


 ジェニファーの瞳から、はらはらと涙が落ちた。


テーラキントの映像が宙に散らばるように消えると、ジェニファーは膝から崩れ落ちた。

 戦意を失ったことを察し、コミルはジェニファーから離れる。それでもまだ、冷たい視線を向けていた。


 入れ替わるようにジェニファーの前に立ったリュウが、ミョルニル隊副長として告げる。


「ジェニファー・ツィキー。君を、メビウス隊の権限を悪用し、殺人及び殺人未遂を行った疑いにより、拘束する。私たちと共にイールトノンまで来なさい」


「はい」

「悪いが、連行させてもらうよ」


 エルヴィが源を吸い取る手枷をジェニファーの左手に付ける間、彼女は全く反抗しなかった。


『尖兵』たちがジェニファーを連れていこうとする。立ち上がった彼女は大人しく歩き出したが、途中で足を止め、義毅を振り返った。


「Mr.トヨトミ。あんた、何故わざわざ手を出した?」


 ジェニファーは、義毅が『レッドドラゴン』を壊滅させたことがどうしても引っかかっていた。アトランス界では個人意志が尊重される。教え子も成人として扱われ、教諭であっても個人的な事情に関与することはできないはずだ。


「お前が暗殺の依頼を受けているのは、もっと前から知ってたぜ。組織に脅かされていることも、勿論だ。本来ならお前が相談してこない限り、手を出すつもりはなかったんだが、神崎がな。お前のために相談に来た。それで考え直した」


 ジェニファーはのぞみを振り返る。


「Ms.カンザキ、いつから気付いていた?」


「今でも確信はないままですが、ルビス先生のダンジョン課題の時は、まだ本気で殺そうとはしていなかったでしょう?恐らく、本格的に暗殺に乗り出したのはその後……?」


「テスト初日に君は、願いがどうのとふざけたことを抜かしていたが、あれは私を試していたのか?」


「あのお話しを聞いて、私はツィキーさんを見捨ててはいけないと思いました。……もしもツィキーさんが組織の支配から抜け出せないまま捕まったなら、ご家族はさらに危険に晒されてしまうでしょう?」


「何故?どうして君はそこまで……。私は君を一度も友人とは思っていなかったのに……」


 ジェニファーはいつからか心に壁を築いてきた。冷たい壁だ。誰も乗り越えることはできないだろうと築いたはずのその壁を、のぞみは温め、壁ごと溶かそうとしている。


「友だちと思っていただけなくても、未熟な私に色々なことを教えてくださいました。そのご恩を忘れられるはずがありません」


 のぞみの体温を感じさせる言葉に、ジェニファーは激しく問いかけた。


「君は、例え自分の命を狙っていると知っていても、それでも私を助けたいと?!」


「母の教えです。人はその時々の事情によって、心が変わってしまうんです。でも、何か悪事を働いたとしても、その人がいつも、全て悪いわけではない。だから私は、初めてお話しした頃のツィキーさんの気持ちが本心だと信じます」


「まったく、君は本当に……」

「さて、続きはイールトノンで聞こう」


 蘇が会話を打ち切らせると、ジェニファーは目を伏せ、口をつぐんだ。ジェニファーが空間の穴へ入っていき、その姿が見えなくなるまで、誰も声を出せなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る