1-1. 始業日の朝 ③
シェアハウスの食卓の真ん中に、サラダや肉など沢山の料理が並んでいる。シェア用のそれらとは別に、それぞれの席にはワンセットの食器が置かれており、栄養バランスと個人の好みを考慮し、特別に作った逸品料理が盛りつけられている。全てのぞみが作ったものだ。
六人はそれぞれの席に着いている。ミナリはダッフルコートのように大きな留め具の四つついた、白地に赤のマントを着ている。マントの下からは白のスコートが覗き、暖かそうなブーツを履いている。着替えはばっちり終わっていたが、眠気がまだ残っているのか、ミナリは大きな欠伸して言った。
「う~~寒い。どうして始業式の日がこんなに寒いニャー?」
のぞみはスープ鍋を持ち、キッチンから出てくると、その鍋をテーブルの真ん中に置いて言った。
「ミナリちゃんはいつも短いスコートを着てるから寒いよね」
「むー仕方がない!うおうお~、タイツになれ~」
「うおうお~」というミナリの声に呼応するように、周りに浮かんでいた光る魚たちは光の糸となった。糸はミナリの両足に纏い、魚紋様のタイツになっていく。自らの
「これで暖かくなるニャー」
席に着いているミュラは、両手を胸元に合わせ、穏やかに微笑みながら、なにやら呪文でも唱えるかのように歌っている。目の前の全ての料理が、ほぼ分子合成の食材で作られたものであっても、彼女にとっては豊かな食事だった。この唱え歌はミュラにとって、物に対する敬意と、この食事を作るために必要な全ての者たちから受けた恩恵に対しての感謝であり、皆に幸せを与え、祝福するためのものだ。
ミュラはアトランス界の人類と、エルフに近いミーラティス人のハーフであった。彼女は子供のころからミーラティス人の国で育ったため、人類よりもミーラティス人らしい価値観を持っている。食事や、多くの人が集まっている場面で、彼女はよくこのような呪文を唱える。
イリアスは目の前の美食の外見といい匂いに耐えられず、口から涎が出ている。両手にフォークとナイフを持ち、もう待てない!という顔をしているのを見てのぞみが言った。
「イリアスちゃん、お行儀が悪いですよ。ミュラさんはまだ呪文を唱えている最中です」
我慢出来ず、イリアスはいつものように文句を言った。
「まだ〜?私もうお腹ぺっこぺこ!」
歌が終わると、ミュラは両手を下ろして言った。
「はい、祝福の儀は終わりましたよ。さ、食べましょうか」
「皆さんどうぞ召しあがってくださいね。パンとご飯はおかわりもありますよ」
ガリスは自分の逸品料理、白身魚のソテーを見て感心している。
「神崎さん、これで適当に作った料理なんですか?本当にすごいなあ!」
のぞみは同じシェアハウスに住んでいる男子に対しても友好的に接する。
「いえいえ、実家でちょっと料理の修行をしたので、このくらいは普通です。遠慮なく食べてくださいね!オリエンス君」
「はい!いただきます!」
ガリスはフォークを手に取り、嬉しそうに食べ始めた。
「今日の俺の逸品料理はスープ入りの水餃子か?ん、いや、形がちょっと違うな」
「スープ小籠包ですよ」
茶碗に肉をゼリー質になるまでじっくり煮込んだ濃厚なスープが注がれている。その中に生姜と、肉まんのように大きい小籠包が入っている。楊はガリスよりもさらに素直に喜びを表現した。
「めちゃくちゃ美味いぜ!神崎さん、こんなに料理上手なんて。神崎さんと結婚できる男は幸せ者だなあ」
友だち同士、他愛ない話題として済ませることもできたが、縁結びに敏感なのぞみにとっては聞き捨てならない台詞だった。のぞみは苦笑いし、真面目な調子で楊に返事をする。
「楊君、褒めすぎですよ。料理を美味しく作れる女性なんてたくさんいますよ。それに、料理ができなくても、
「いやー、俺は謙遜な女が好きだぜ、神崎さん」
直情的な楊は、場所や状況を選ばず、自分の思ったことを、思ったときに、思ったとおりに口に出すところがある。朝の食卓で寮生、皆がいる前でものぞみに告白できるのは、そんな彼の性格のためだった。
ほかの心苗との交流を多く行いたい者たちは、のぞみのいるようなシェアハウス式の寮を選ぶ。共同生活をし、同じ釜の飯を食うというのは、心苗にとって大きな刺激を受けることになる。
心苗は一年生の時に入りたい寮の要望を書き、くじ引きで決定する。
このシャビンアスタルト寮はエリートルーラーを育てる、フミンモントル学院所属の男女混合のシェアハウスである。とはいえ、フミンモントル学院のエリア外に建っているため、のぞみは転校してもこの寮に住み続けられることになっていた。
聖光学園では、ルールのないことについては、心苗自身の自由意志を尊重する。それは、自分で選んだことの責任を自分で取らせるためである。心苗に自律を教えることも教育の一環であり、自律した心苗こそが優秀なウィルターに育つと考えられていた。
また、この学園では、信頼できるパートナーのことを『ホミ』と呼ぶ。それは、互いに深い信頼関係にあるペアのことを言い、校内の組合授業を一緒に受けたり、今後、任務を受けるときにも行動を共にする仲間である。同性・異性を問わず、二人が『ホミ』を結ぶことを決めたら、大衆の集まる場所で宣言することができる。狭義には、恋人同士という意味でもあった。
学校内での恋愛は禁じられていない。いわゆる『不純異性交友』であっても、双方の合意の上であれば、処罰もない。男女混合のシェアハウスが少なからず人気を博しているのには、そういう事情もあった。
生まれてこの方、のぞみは父と祖父しか、男性というものを知らない。
のぞみは最近、どうやら楊が自分のことを好きらしいということに気がついていた。だが、生まれる前にすでに、許嫁は決まっている。だから、告白をされたときはいつも似たような返事をしてはぐらかした。
「あははっ、楊君はもう王級聖霊と契約してるんですよね。
楊はのぞみの返事を聞いてもショックを受けた様子ではなかったが、少し憂鬱そうな表情になって言った。
「別に俺の才能なんかじゃないぜ。子供の頃にはもう定められたこと、血筋が契約した式神みたいなもんだ。授業で他の神霊系の心苗がどの聖霊と契約するかワクワクしてるのを見てるだけ。俺はそのワクワクを奪われたんだ。自由に聖霊と契約できる奴のことが羨ましいぜ」
楊の出身は神崎家と同じように、遠い昔から神と契約し、神に代わって世の安泰を守るよう、『神祇代言者』の先祖代々が定めた使命を受けた血筋である。のぞみは、血筋で生き方を左右されたことについては楊の気持ちを多少理解できるが、まだ聖霊と契約したことがなかった。楊がすでに王級聖霊と契約しているということは素直に羨ましいと思っていたが、楊の気持ちを汲み、優しい口調で言った。
「その気持ち、分かる気がします。でも、そんなふうに言ったら、敖潤様がかわいそうですよ。子供の頃からずっと、楊君を守ってくれている神様なんですから」
「でもよ。みんなで戦ってて相棒を作るってときに、俺はいくつになっても保母さんとしかペアになれないみたいな感覚なんだぜ?」
のぞみは自然と楊の気持ちに共感していた。
「そうなんですね。確かに、ちょっと恥ずかしいですよね」
そう言ったのぞみの透明な笑顔に、楊は癒され、ほんのりと顔が赤く染まっていく。
(ったく、神崎さんはなんで俺の気持ちに気づいてくれねぇんだ。まあ、そこが可愛いんだけどよ)
「ヨウ君」
ミュラに声をかけられ、先刻、ロロタスに殴られたことを思い出す。楊はビビり、慌てて返事をした。
「はい!ミュラさん、なんでしょう?!」
食事中は怒らないようにと決めているミュラは、涼しげな笑みを見せて言った。
「ヨウ君がお話ばかりしていると、のぞみちゃんはお食事できないでしょう?」
楊は直ぐに合掌して言った。
「おぉ、悪かったな神崎さん!それじゃ、いただきます!」
数十分間後。
食卓の上に並んでいた皿は、綺麗に食べ切られ、空になっていた。
朝から暴飲暴食したイリアスは、膨らんだお腹を支えるようにしている。
「ああ、美味しかった!」
ミナリは真正面に座っているイリアスに向かって言う。
「イリアスちゃん、食べ過ぎだニャ」
イリアスは鼻息を荒くして言い返す。
「朝食はこれくらい、いいの!始業式の日は体力訓練の授業だってないんだから!」
黙々と料理を堪能していたガリスは、のぞみの料理スキルに心から感服している様子で言った。
「それにしても神崎さん、本当にすごいです。毎回違うものを作ってくれるから、
また次の料理が楽しみになるし、期待させられます。僕なんて実家の味の、洋食風のものしか作れないから、飽きられないような工夫ってすごいと思います」
「オリエンス君、男の子なら料理ができるってだけでもすごいと思いますよ」
それぞれの好みを考慮して作った料理には、のぞみの優しい気持ちが込められている。寮生たちは皆、今日一日、元気いっぱいで過ごすことができそうだという思いで満たされていた。
楊は爪楊枝を使って歯を掃除しながら言う。
「でも、神崎さんが当番だと、いつも満足だぜ」
皆の満足そうな様子を見て、のぞみは嬉しくなった。
「皆さん、お粗末様でした!」
のぞみが食器を片付けようとすると、ミナリも手伝い始める。その様子を見てミュラが声をかけた。
「のぞみちゃん、片付けまでしなくていいのよ」
「でも、家事をすることは、私にとっては当たり前なので……」
「それはのぞみちゃんの悪い癖よ。女子が食事当番なら、男子が片付け。そう決まっているでしょう?」
「そうですけど……」
立ち止まっているのぞみの横から、ガリスが食器を片付け始め、柔らかい笑みを浮かべて言った。
「いいんですよ。神崎さん、皆で決めたことです。食器の片付けは僕たちに任せてください」
荒い仕草で片付けを始めた楊は、手早く皿と茶碗を重ね、トレーに置きながら
言った。
「何ぼーっとしてんだよ。これくらい俺たちでさっさと終わらせるから。神崎さんは入学院手続きがあるだろ?」
男にたくさん家事をさせるのは良くないことだと、親に教えられた。
のぞみが作る料理は、男子の準備したシンプルな食事とは比べものにならないほど、片付ける食器が多い。事情があり、朝食を作れないときには寮の食堂のビュッフェもあるので、そういったことも考慮すると、男子の片付けの方が多いのではないかとのぞみは思っていた。シェアハウスに住んでいる以上、お互いに助け合う仲間関係なのだから、少しくらい頼っても良いと思ってはいるが、親からの教えは深く心に根ざしており、のぞみは少し申し訳ない気持ちになって、困ったような笑みを浮かべて言った。
「楊君、オリエンス君。じゃあ、あとは頼みますね……」
「のぞみちゃん、一緒にお出かけしにゃい?」
ミナリがのぞみに声をかけると、イリアスも混ざる。
「そうよ、浮遊船でもハイニオスに行けるでしょ?」
今まではよく三人一緒に登校していたが、のぞみは断った。
「ごめん、ミナリちゃん、イリアスちゃん。私、今日から歩きで登校しようと思ってるんです。もっと、体力をつけないと、鍛錬についていけそうにないから……」
イリアスは目線をそらし、少し寂しい表情で言った。
「そっか、ハイニオスは逆方向だし、仕方ないね」
ミナリは目に涙をウルウルさせ、のぞみを見つめている。
「のぞみニャン……」
抱きついてきたミナリの頭を、のぞみは子供にするようによしよしと手で撫でながら言う。
「ミナリちゃん、大丈夫ですよ。学院が変わったからって、住む場所は変わりません。帰ったらまたお話ししましょうね」
ミナリを引き剥がすと、のぞみは部屋に戻り、自分のマスタープロテタスと鞄を持った。
「では、ミュラさん、私は先に出かけます。行ってきますね」
前庭のゲートへ出ると、のぞみは転送装置に入る。踏み台に転送陣の紋様が光り、その光に包まれたのぞみは、あまりの眩しさに目を閉じた。
次に目を開けると、彼女はシャビンアスタルト寮中央棟の転送ゲートホールの間に立っていた。天井がドーム型になったホールに、10台の転送装置が輪状に設置されている。
のぞみは転送ゲートホールから出ると、同級生・上級生問わず、挨拶する。そして、寮の玄関入り口で掃除しているお爺さんに声をかけた。
「ホプキンス寮長先生、おはようございます!」
マコス・ホプキンス。痩せた体躯に銀髪、鼻の下に髭のある彼は、アトランス界の人間種族であり、北国の出身である。元はフミンモントルの教諭をしていたが、15年前からずっと、この寮の寮長を務めている。
「オホーホホ、Ms.カンザキ、おはよう。いつもよりずいぶん早いお出かけじゃな」
地味な外見だが慈愛に満ちた雰囲気のある60才のお爺さん先生を見ていると、寮に住む心苗の生活や門限や秩序などを厳しく管理する寮長先生とは誰も思わない。
のぞみは微笑んで返事する。
「ええ、歩きで登校するんです」
快活なのぞみの言葉を聞くと、ホプキンスは右目をやや開け、にやりと口を歪ませて助言した。
「ホホ、元気でよろしいことじゃが、今日は思わぬトラブルが起こるそうじゃ。相手の挑発に付き合わないようにすると安泰じゃよ」
「そうなんですか。ご助言を賜りまして、ありがとうございます、ホプキンス寮長先生。では、行ってきます!」
のぞみは玄関から出る。
つづく
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