1-2. 出会い
シャビンアスタルト寮は
のぞみが手に持つマスタープロテタスをライトアップすると、学園のマップが宙に投影される。広い学園のマップには、たくさんの区画がある。細かく書かれているところもあるが、グレーゾーンになっていて見ることのできない場所もあった。心苗、一人ひとりに合わせ、提供する情報がそれぞれ異なるため、のぞみに立ち入り権限のない場所はグレーゾーンで示されている。
進行ルートを確認すると、のぞみは体に源を発した。薄い椿色の光が身体を纏う。これは一年生が体得すべきスキルの一つで、身体を鍛えるための『
のぞみはさらに自分の源を調整する。源を筋肉と臓器に集め、身体の筋骨を強化させる。これは闘士ウォーリアにとって基礎スキルの一つ、『
少し真剣な表情になったのぞみは、『雲身健体』の状態で走り出す。階段などなかったかのように飛び降りるとくるりと前転しながら着地し、低い壁もなんなく跳びこえ、フェンスを上り、建物の玄関屋根を伝うように飛び移る。パルクールのような動きを次々に繰り出し、素早く進んでいく。
彼女は『
のぞみはこの調子で一時間かけ、ようやくハイニオス学院のエリアにたどり着いた。マスタープロテタスが示す時間を見てから、呟く。
「入学院手続きまではまだ早いなぁ。これから毎日通うキャンパスだし、ちょっと散歩でもしようかな」
ハイニオス学院のキャンパスは、教室棟を始め、道場と闘技場が建ちならび、その間にはいくつもの広場がある。
建物はどれも大きいが、所有面積も広いため、視野は開けている。緑の茂る木々や芝生、小さな人造渓流が、建物の区域を綺麗に分けている。遠くを見渡すと、高い樹木の後ろには
ハイニオス学院は創立当初から変わらず、九つの『カレッジ』に分かれている。それぞれ九つの方向を意味し、カレッジの名前にはかつての英雄の名が刻まれている。カレッジごとに制服のデザインが若干異なるが、帯をモチーフしたベルトは共通している。のぞみが入学するのは第三カレッジの、アテンネス・カレッジというところだ。
のぞみが通過するエリアには、たくさんの広場と室外のバトルステージが設置されている。あちこちの広場には朝稽古をする心苗の姿が見られる。拳法の型の鍛錬のため、叫んでいる声が聞こえる。バトルステージの上では打ち合いをしている者もいる。のぞみは、同じ制服を着た女子心苗や、道着のようなものを着た人々とすれ違う。刀を鞘に収めている者、大きな武器を背負っている者など、いろんな心苗がいた。前学期まで通っていたフミンモントル学院とは雰囲気が違い、陽気な印象を受ける。
他学院に出入りする心苗も多いが、今年二年生になるのぞみは、あまりハイニオス学院に来たことがなかった。キャンパス内をきょろきょろと眺めていると、ふと、優しい音楽が耳に入った。鬱々とした気持ちは晴れ、怠け者でもやる気が出るような美しいメロディーが聞こえてくる方へと、のぞみは歩みを進める。耳を頼りに一つのバトルステージに入ると、誰も使っていないのか、石の積み重なる観覧席に、一人の少女が座っている。エメラルドグリーンの髪と純白のドレスが朝の光に映えていた。近づくと、少女の首の後ろから、六本の触覚化した羽が伸びているのが見える。近くの壁の上には一羽の白い梟が止まっている。のぞみが近づいていっても、その梟は女の子を見守るかのようにその場を動かない。
少女は太ももに水晶石で作られた皿状の楽器を置いて、手はまるでハンドドラムを奏でているように滑らかに動く。音楽が止むと、のぞみは拍手した。少女は顔をのぞみに向けると問いかけた。
「お姉さんはあたしが演奏した曲を聞いたの?」
「はい。すごく綺麗な音ですね。なんという名前の楽器ですか?」
「クリトンドラムだよ!あたしの国の特別な楽器なの」
「へぇ~。初めて見ました。お嬢さんは、このイトマーラの住民ではないの?」
「ううん、違うよ。リリアスはヌテンロンムから来たの」
アトランス界の人間であるタヌーモンス人は、長い年月をかけて多元文化教育を実施してきた。社会を多角的に発展させるため、個性や興味を注視する。子供たちは6才から三年間の基礎教育を受けた後、家業の修業を始め、旅の修行、源の基礎修業といったさまざまな勉強法を通して、自分に見合った力を得ていく。その方針は実を結び、心苗が個々に得た経験から、幾多の個性的な力が開発された。
10才くらいに見えるリリアスだが、彼女もまた旅の修行をしているのだろうと、のぞみは感心する。
「すごいですね。ヌテンロンムのような遠い国から、どうしてイトマーラに来たんですか?」
フェイトアンファルス連邦は、タヌーモンス人が遠い昔から建設してきた国で、現在は49の国を持つ巨大な連邦国となっている。ヌテンロンムはイトマーラからは遙か遠く、西南に位置する国だ。リリアスが興味津々な表情で言った。
「リリアスは旅をして、このクリトンドラムの音色を世界中の人々に聞かせたいの。イトマーラの闘士を見たいから」
アトランス界では一年は640日ある。現在イトマーラがある場所は、200年前ほど歴史を遡ると、とても強盛なアズオンツュマンという帝国だった。この帝国の闘士は総じてヌオハルコン金属のように丈夫な身体を持ち、溶岩のように熱血な精神を持つ戦士だった。アズオンツュマン帝国の強盛が1000年以上という長い年月を保つことができたのは、彼ら闘士たちがいてこそだったろう。
リリアスという少女は、おそらくこの歴史に興味を抱き、遠いヌテンロンムから、イトマーラまで出てきたのだ。
「なるほどね」
「でも、ちょっとがっかりしちゃった……。リリアスが奏でる曲、ここにいるお兄さんお姉さんたちには興味ないみたい……」
「そうなんですか。私も闘士全体のことはわからないけど、
「制服を着てるってことは、お姉さんも闘士なの?」
「私は転校したばっかりで、なんというか、まだ実感がないですね」
(私ってば、どうして子供にこんなことを言ってるんだろう。でも、こんなに小さな子が一人で旅してるなんて、きっと侮れない子ね)
「そうですか」
リリアスが、よく分からないという表情をしているので、のぞみは話を戻した。
「イトマーラの北にあるフミンモントルとか、東のアイラメディス、それか、センター学園の商店街の方が聞く人が多いと思いますよ」
「わかった、お姉さんありがどう」
リリアスがポケットから白の機元を持ち出して、上のボタンを押すと、小さな宝箱がたんすのように開いた。これはアトランス界で旅によく使われるポケット納屋というアイテムだ。クリトンドラムをポケット納屋の中に入れて閉じる。リリアスは楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「お姉さん、また会おうね」
リリアスが立ち上がると、壁の上にいた梟が羽を広げる。羽ばたきに合わせて一瞬、吹雪が起こった。
それは奇妙な現象だった。のぞみは手でその雪を触ってみたが、冷たくない。よく見ると、源が化けた小さな白い玉の嵐だった。源の嵐が止まると、目の前にいたはずのリリアスの姿はもうなかった。
「消えた?不思議な術……、あの子もしかして、ウィルターの子供なのかしら?」
両親が優秀なウィルターなら、その子供も優れた才能に恵まれている可能性が高い。両親に憧れ、旅をして自分の目で闘士を見にくるというのもおかしいことではないだろう。
リリアスのいなくなったバトルステージから出ると、のぞみはまた学院を見て回る。気づけば知らず知らずのうちにどこにいるのか分からなくなっていて、マスタープロテタスのマップを調べても、未開示の文字が映されているだけだ。まだ入学院手続きをしてないせいで、情報が更新されていないらしい。彼女は自分の状況を認識した。
「ここはどこ?まさか私……迷子になっちゃった……?」
立ち止まり、解決方法を考える。
「ホワプロシスは確か、ピラミッドのような三角錐で、山のように大きな建物だって……。うーん、でも、そんな建物このあたりにはなさそうだし、高い建物ばっかりで見通しが悪いなぁ。ちょっと高いところから探したほうがいいかな」
のぞみが頭上を仰ぐと、一つのビルが目に入った。そのビルは三階までが広大な土台階になっていて、その上に六棟の高層ビルが放射状にそびえたつ。ビルとビルの間は60度の空間があり、ビル同士はドーナツ状の空中回廊で繋がっている。空中回廊の下には、透明な球体が埋め込まれたように、丸く穴が空いていた。
この建物は普通の教室棟で、一般の心苗は広場や階段など、建物の外にある施設には自由に立ち入りできる。
のぞみは一階の道路から二階の連絡通路までジャンプし、さらに三階の台に移り、別の建物の外壁の上にある細い踏み台に沿って歩くと、また土台階の屋根に跳び移る。建物の反対側にある外壁に辿り着くと、大通りを見つけた。
視野は広がったものの、雪が降り始めているせいで遠く景色が白く煙っていて、何も見えない。
「どうしよう……、誰に聞いてみようかな?あっ、あの子、制服が同じ!」
のぞみは下の大通りの様子を見て、屋根の下、連絡通路に、のぞみと同じ制服を着た心苗の女の子が歩いているのを見つけた。のぞみはその女の子に呼びかける。
「すみません!あの、ちょっと待ってください!!」
声に気づいていない様子で歩いていく心苗に、のぞみはもう一度呼びかける。
「すみませ~ん!」
通りを歩く人々はのぞみの存在を気づきはじめたが、呼ばれたその女の子は、呼びかけを無視するように歩くスピードを上げ、小走りで去っていく。のぞみは
降りた先の路面は凍結していて、着地するはずが滑ってしまい、尻餅をつく。
「きゃっ、痛いっ……」
腰をさすりながらものぞみが頭を上げると、少女は手に源で作った甲刀を翳している。刃の切っ先は20センチほどの距離でのぞみの喉を捉えている。のぞみはいきなり武器を向けてきた少女に、命の危険よりも驚きを隠せなかった。
「えっ?刀?!」
刀身が仄かに青く光る刀は、微動だにしない。髪飾りなどもつけず、艶のある黒髪を腰まで伸ばし、深紅の瞳をした少女は鋭い目でのぞみを睨みながら問いかける。
「こそこそうちのこと尾けて、喧嘩売ってんの?」
突然の臨戦態勢を示す言動にのぞみは少し恐怖を感じ、体が硬直してしまう。のぞみらしからぬ下手くそな笑みを浮かべ、慌てて言った。
「そ、それは誤解です」
「さっきからずっと、うちのこと狙ろてたやろ」
のぞみは両手を上げ、投降の仕草で少女の誤解を解こうとした。
「お、落ち着いてください。私、そんなつもりじゃありません。ただ迷子になって、道を訊ねたいだけなんです。とにかく、その刀をおろしてから話しませんか?」
のぞみの無害な表情を見ると、少女は刀から手を放す。青く光る甲刀はさらりと消えた。彼女は目線を伏せ、のぞみの制服を見て言った。
「しゃあないな。今回はその制服に免じて許したるわ」
彼女の着る制服の、肩の上の二重袖と、赤い色をした襟の線は、のぞみが着ているものと同じだ。のぞみは彼女の言葉の意味が理解できず、問い返す。
「はい?」
「あんた、見ぃへん顔やな、名前は?」
のぞみは立ちあがり、名乗る。
「神崎のぞみです。今日、転入したばっかりですけど」
のぞみが転入生だとわかっても、少女の、虎が獲物を狩るような獰猛な目つきや態度は変わらない。
「そうなん。どっから来たんか知らんけど、一個だけ言うといたげるわ」
「はい」
厳しさのこもる少女の言葉をのぞみは真摯に受け止める。
「ハイニオスでは、うちら
のぞみにはそんなつもりはなかった。ハイオニスでの規則を知らなかったのぞみは反省し、少女に謝る。
「ごめんなさい、気をつけます……。それで、あの、ホワプロシス行政棟には、どうすれば着きますか?」
「ホワプロシス?こっからやとちょっと離れてるな……」
少女は少し考えると、体を反対側に向け、指を差した。
「この道をバーッと行くと、でっかい通りが見えるねん。そこで左に曲がってダーッと行ったら中央筋街道っていうところに出るから。そっから浮遊船の線路に沿って下っていったら、ホワプロシスが見えてくるはず。大っきい建物やから、遠くからでもよう見えるで」
「そうですか……。案内ありがとうございます」
「ほな、道中気ぃつけて」
黒髪を風雪にたなびかせながら、少女はクールな言葉だけを残し、去っていこうとする。
「あの、あなたのお名前も教えてくれますか?同じカレッジ所属でしょう?」
少女は歩みを止め、振り返らずに言った。
「
少女はそのまま歩き去る。
(すごく真面目な人ね……。闘士は自己防衛意識が高いって聞いたことがあるけど、まさかこんなに敏感に反応されるなんて……。もっと用心しないといけないのね)
のぞみは歩き出す。風見の案内に沿って行ったのぞみは、大きな通りに差しかかると右に曲がり、目的地から外れたどこかへと向かっていった。
つづく
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