小説練習~人称変更~

さゆり

第1話 夢十夜 第三夜

子供の視点

 雨に背をうたれている。額を滑ったそれが瞼を滑り顎へと落ちた。寒い。触れ合う身体が汗とも雨ともつかないものでじっとり湿る。男も気になるのか軽くおれを背負いなおす。やわい浮遊感。肌がズレあってあつく、触れていなかった場所は水の中にあったように冷たい。

 暗いのだろう、足元を確認するように歩くことからわかる。男は素直に教えてやるまま進み、木々のさざめきと踏みしめられる草葉の音のするそこへたどり着いた。

 盲目の自分に嫌気がさしていることはこれだけ触れ合っていれば当然わかった。阿呆な男だ。

 道が悪いのか、少しふらついておれを背負いなおした。子どもは軽いか。足が止まる様子もない。

「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」

 ふらふらと先へ行ってしまいそうな男に一声かけて止める。何も気が付いていない男に教えてやる。杉の下は上から降ってくる雨には濡れなくて済む。その代わりというように杉の匂いを含んだ風が男とおれに雨を叩きつけた。

「御父さん、その杉の根の処だったね」

「うん、そうだ」男は言った。ただ相槌を打った、というような中身のない返答だった。

「文化五年辰年だろう」

 あの日の晩は杉が分かるほど明るかっただろうか。盲目のおれには到底わかりようもない。

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」

 知っているだろう。わかっているだろう。釘を刺してやった。

 糠に打っても仕方がない。入れ物の底に着くまで念入りに教えてやる。

 今から百年前文化五年の辰年のこんな晩に、この杉の根で。御前がおれを殺したのだ。

 男は忽然とそこに転がる事実に始めて気がついた様子で重そうに自分を背負いなおした。

 そうだ。御前は人殺しであった。




第三者の視点


 雨は長らく降っていた。道はもう暗い。

 男は夢中で前へ前へと歩を進めた。自我があるのかないのかわからぬような足取りで子の言うがままに歩き続ける。子は男の鏡でしかなかったが、男はそれが深淵であるかのように恐怖していた。

 男は草木をかき分け森を進む。男は子を捨てようとしているのに、その両の腕はしっかり落とさぬようにと支えられている。

「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」

 子は確認を取るような声で男へ言う。

「御父さん、その杉の根の処だったね」

「うん、そうだ」男は鷹揚に答えた。

「文化五年辰年だろう」

 子は念を押したが男は露ほども気づかずに杉を仰ぐ。

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」

 子が、静かな声で男の分からぬ事実を白昼のもとに晒上げた。男の体がギシと強張る。

 子は鏡であり、盲目の死者であり、地蔵であるがゆえに閻魔であった。

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小説練習~人称変更~ さゆり @sayuri_kobayashi

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