永遠の赤い海

忍野木しか

永遠の赤い海


 赤い海を見下ろす岩場。静かな夜の波を眺める老夫婦。

 永遠の平和と繁栄を祈る老女は涙を流した。夫の後を追って海に飛び込む老女。冷たい渦に沈む白い髪。赤い海の底で目を瞑る老女の耳に声が届く。

「変わるな」

 無数の赤い泡。木霊する遠い声。はっと目を覚ました老女は、自分を抱く自分の悲しい目を見た。

 

 赤い入江。活気のある村。

 俗世と離れた山奥の集落に旅人が訪れる。バックパックに白い帽子を被った長身の男。カメラを持った男は美しい村の入江を写真に収めた。

 祭りの最中。男を歓迎する村人。川で採れた魚で、畑で育った野菜で、旅の男を迎える村の女。男は自分を持て成す美しい女に好意を抱いた。

「良い村だ」

 村の夜。囲炉裏に灯る火。狭い部屋で味噌粥を啜る男。

「そうですか?」

酒を温める女は細い首を傾げた。

「ああ、美しい村だ。ご飯も美味いよ」

「何もない、ところですが」

「それが良い、何もないから美しいのさ、全てが鮮やかだよ」

 男は大きく口を開いて笑った。女も浴衣の裾を口に当ててクスリと微笑む。その慎ましい動作に唾を飲む男。涼しげな女の瞳。華やかな赤い浴衣。長い肢体が男の目に艶かしく映る。強く頭を振った男は誤魔化すように大きく咳払いをした。赤い海の話を始めると、静かに目を瞑る女。

「あの赤潮とかいう現象はプランクトンの異常発生で起こると聞くが、実際に見てみると、なんとまぁ、綺麗なもんだね?」

「あれは、随分と久しぶりの赤潮です」

「へぇ? まぁ、不思議なもんさ、何せ、一面が真っ赤だったからね。いや、あなた方には見慣れた景色かもしれないが、はは、初めてみる僕は目がチカチカしてね、空がいつもよりも青く見えて、全く驚いてしまったよ」

「はい」

 白磁の器に揺れる酒。酔いを楽しむ男は、女の浴衣に覗く白い足から目が離せなくなる。

「君は、この家に一人なのかい?」

「いえ、父と母がおります」

「そうか」

 フラつく足で立ち上がった男は暗い廊下に出た。階段下のトイレで用を済ませる男。明かりの漏れる襖をそっと覗くと、涙を流して抱き合う老夫婦が目に入る。

 慌てて目を逸らした男は急いで部屋に戻った。

 

 翌年も村に訪れる男。両親を亡くしたという女の涙。同じ家で一夜の過ちを犯した男は、女と共に生きていく決意をする。

 新たな村の男を歓迎する村人。美しい自然に囲まれた活気ある生活。

 やがて、男と女の間に娘が生まれた。妻の腕に抱かれる目元の涼しい赤子。相好を崩した男は平和な村の繁栄を喜んだ。

 時の流れに変わっていく村。赤潮の見えなくなった海。いなくなった魚。ニシンを畑の肥料としていた村に凶作が訪れる。

 村の人々の焦燥。活気を取り戻そうと再び始まった祭り。夜通し神に祈る村人は赤潮を待った。赤い浴衣を着る娘。毎夜涙を流す白髪の妻を抱きしめる男。

 祭りの続く村に念願の赤潮が到来する。活気づく村に訪れるカメラを持った青年。昔を思い出した男は旅の青年を歓迎した。

 村の外を知らぬ娘の笑顔。清々しい旅の青年の笑い声。安心した男は外に出た。海に向かう男の後を追う妻。

 赤い海を見下ろす岩場。静かな夜の波を眺める老夫婦。

「良い夜だ」

 男は平和な村の繁栄を喜んだ。

「ええ」

 女はそっと涙を流す。

「全てが鮮やかだ」

「はい」

 赤潮を覗き込む男。その背中を押す女。

 永遠の平和と繁栄を祈る老女の白い髪。岩場に打ち付けられる体から流れる血。赤い海の底で目を瞑る老女の耳に声が届いた。

 

 


 

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

永遠の赤い海 忍野木しか @yura526

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ