第2話 本物の天ぷら

 私は佳子かこ。うつ病。

 僕は未来みく。ネオンテトラと白身魚の天ぷらが好き。


「ねえ佳子。本物の天ぷらってあると思うのよね。

「天ぷらに本物や偽物があるの?

「あるでしょう。例えば天ぷら二つ差し出されて、どっちが本物の天ぷらですか?って問われたら。どっちかが本物でしょう。

「どっちも本物とは考えないの。

「どっちが本物か?って言われたらどっちかが本物なのよ。

「じゃあどうやって本物って決めるのさ。

「決める、ねぇ。わかるんじゃないかしら。例えば味とか食感とか。

「味や食感がいいと本物なの。じゃあやっぱり分かるんじゃなくて決めてるんじゃないの。

「え、どうして。

「だって、味や食感の好みは人それぞれでしょ。誰が天ぷらを味見するかで答えが変わっちゃう。ならどっちが本物の天ぷらかは食べた人が決定するんじゃないの。本物の天ぷらの答えが決まるのはその人に味見されたときなんだから。

「その理屈はわかるけど、僕はそう思えないな。

「どうして。

「やっぱり本物はあると思うんだよね。この世のすべての天ぷらを全人類で食べ比べしたら、誰もが文句なく美味しいっていう天ぷらが一つはあると思うんだよ。この世のすべての天ぷらじゃ足りないかな。可能なすべての天ぷらっていうか。

「天ぷらの範疇で出来上がる食べ物を全部食べ比べるのね。今この世界で作れるものだけじゃなくて、まだこの世界にはないものも。わかるわかる。

「そう。そしたら絶対一つは誰もが美味しいって言う本物の天ぷらがあると思うの。

「でもそれ、この世に存在しないんじゃないの。言いたいことはわかるけど、そんなすごい天ぷらがこの世で作られるとは思えない。だって、天ぷらの具材とか形とか大きさまで合わせたらほぼ無限の数の天ぷらがあり得るよ。そのうちの一つなんてとんでもない確率で出来上がる天ぷら、この世で拝めるとは思えないよ。

「うーん、まあそうかもね。でもあり得る天ぷらよ。もしかしたら次食べる天ぷらがそれかもしれない。そう思うだけでもワクワクしない?

「猿が適当にキーボードを叩いてシェイクスピアが出来上がるよりも確率低いんじゃないかしら。そんなの期待できないよ。

「ネガティブね。空が落っこちてくるかもしれないとか、悪い可能性だけ過敏に怖がって生きてるくせに。

「……。

「ご、ごめん言い過ぎた。とにかく、本物はあると思うの。この世で拝めなくても本物はあるし、本物があるなら本物により近い偽物だって偽物どうし比べられるはずよ。そういう話。

「本物なんて無いよ。やっぱり。

「なんで。

「今考えた本物って、すべての人類が美味しいと判断する天ぷらでしょ。でも人類の舌がそれぞれどういう味覚を持ってるかとか、どういう食文化かとかって偶然的じゃない。もしそんな偶然の味覚全部に美味しいって判断させられる天ぷらがあったら、何かのインチキか、それこそとんでもない偶然でしょ。偶然いたすべての人類が偶然美味しいと判断する天ぷらを本物と呼べるのかしら。すべての人類に美味しいと判断される天ぷらがあり得るなら、すべての人類に美味しいと判断される天ぷらをまずいと判断する人間もあり得るんじゃない。やっぱり本物なんて無いよ。あるのはそのつど本物と決めたことだけなんだ。本物がわかるなんて全部嘘っぱちだよ。

「じゃあ、あなたのその答えも、あなたが勝手に、本物って決めたわけ。そんなのズルいしおかしいよ。本物だってわかる本物がなきゃ、みんな好き勝手になっちゃう。みんな繋がれなくなっちゃう。話ができなくなっちゃうじゃん。

「でもないんだよ。本物なんて。全部ウソなんだよ。

「どうして。嘘でも信じてよ。お話してよ。

「帰って。

「え。

「いますぐ帰って。


 引きこもってベットから出られなくなった佳子を見舞いに来ていた未来だったが、どうでもいい雑談のつもりで話したことが佳子を傷つけてしまった。

 佳子は未来を睨みつけて追い出したが、佳子の目は真っ赤になっていたし声も震えていた。部屋から出て扉を閉めるとすぐに鍵が閉まって、しばらくしてくぐもった慟哭が聞こえた。布団に顔をう詰めて泣き叫ぶ佳子の姿が目に浮かんだ。

 しかし未来はどうすることもできず、おずおずと帰るしか無かった。佳子の両親が外出していて本当に良かった、と未来は思った。



 参考

「「天ぷら」をサクサクに揚げる温度・作り方&温め直しのコツ&レシピ 」『東京ガス ウチコト』、最終閲覧日2021/07/12、URL=<https://tg-uchi.jp/topics/3801>



 追記

 プラトンの「テアイテトス」だったと記憶しているが、ノートを見てみるとデモクリトスからプロタゴラスへの批判だったと書いてある。うーむ。とにかく出典はよく覚えていないが、こういう話がある。

 相対主義の哲学者がいた。彼に言わせればあらゆる真実はその他人事に決まると言う。そこで絶対的な真実を信じる哲学者はこう言った。お前の説が本当なら、お前はお前の説が自分勝手な真実の一つに過ぎないことを認めることになる。しかし絶対的な真実があると信じる私は、お前の説が正しかったとしても正しいことになる。お前はお前の説を自分で相対化してしまう。だから議論して私に勝つことはありえない。

 今回はギリシア古典の時代からある古い対立をベースに、コミニケーションの可能性も話題にしつつ佳子と未来のふたりに会話をしてもらった。本物の天ぷらは人間が決めると考えた佳子が相対主義の哲学者を、本物の天ぷらは存在してそれはわかると考えた未来が絶対主義の哲学者を担った形になる。

 パッションとおしゃべりののりで接着してあるから厳密な理論とかはない。読者はなんとなく「こういう話題や対立があるよな」と感じてもらいたい。

 次の話は決まっていない。採用するかはわからないが、コメント欄で思考実験やパラドクスを紹介してもらえると嬉しい。できそうなら次の短編に盛り込むし、駄目なら個人的に楽しむ。読者は知識自慢のつもりでコメントされたし。

 ではまた。次の不定期更新まで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る