非正規介護職員ヨボヨボ日記 真山剛

ノエル

ほんとうに明日、わたしたちはつながれる存在であれるのだろうか。

Rokoさんの書評『ねぼけノート 認知症はじめました』を読んで、そのコメントに

わたしなどは、確かにしたと思っている「事実」を否定されるのが一番つらい。最近、とくにそういうのが増えたと家内は言っていますが、本人にその自覚は薄っすらとしかありません。相変わらず自分のほうが正しいと心のなかでは信じているのです。

と書いたことがきっかけで、従来からあった、わたしの認知症に関する家内の疑いの眼差しにますます情けなさを覚えて、この手の本を読みたくなってきた。


◇◇◇


そこで、これまで読んできて馴染みのあった、三五館シンシャさんの超人気シリーズ(老人を主体にした労働者をテーマ)から、その手の本がまた新たに出たと知って、読んでみることにした。元来がモノグサで、長い話を読むのが苦手な評者だが、このシリーズだけは珍しく管理員夫婦の悲哀を描いた『マンション管理員オロオロ日記』を始めとして、いずれも面白楽しく読み進めてきている。


で、その本のタイトルは、というと――。

例によって、例のごとく『非正規介護職員ヨボヨボ日記』ときている。しかも、いつものヨレヨレ・ボロボロなイラストで飾った書影である。

これほどインパクトのある表紙もまたとあるまい。先の『マンション管理員~』などは、読者が思わず「ジャケ買いした」と書いているくらい、妙に惹きつけられ、印象深いデザインの本なのだ。しかも、分量は208ページと割と少ない。読書が苦手な人にも軽く読めるだろう。


◇◇◇


ま、そんなことはともかく、この『非正規介護職員ヨボヨボ日記』、実を言うと、なかなか読み進められなかった。

他のものは比較的早く、半日もしないうちに一気に読み終えられたというのに、それができなかった。面白くなかったのではない。面白かった。そして詰まらなかったのではない。実に詰まった。詰まりすぎて、読み進められなかったのだ。実にその間、手にしてから一ヶ月以上も要したのだ。

なぜかというに、その中身があまりにも悲しく、しかも身に詰まされる内容だったからだ。これを他人ごととしてみるなら、それを面白おかしくワハハと笑って読み飛ばせることだろう。しかし、家内に認知症の走りと見做されているわたしには、笑ってすますことはできなかった。そこにあるのは、わたしの行く道であり、辿り着く末路でもあるのだ。


著者は言う。

毎日深刻に真正面から彼らの「老い」や「認知症」と向きあっていては、それこそこちらのメンタルが持たない。面白がるくらいでないと、とてもこの仕事は続けられない。それは正直な感想である。

――と。


◇◇◇


そして、彼は自問して「では、なぜ私はこの仕事を続けているのか」と我々読者に投げ掛ける。「もちろん生活のためである」、と……。

しかし、と彼は続ける。

私は人と関わることが好きな性質なのだ。高齢者の語る人生の来し方を聞くこと、それが事実であろうがなかろうが、わたしは会話がしたいのだ。そして、その中で彼らの人生に触れられることが喜びなのだ

――と。


◇◇◇


この前、わたしが献本を受けて書いた書評に『日本国勢図絵』がある。それにも書いたように、わたしたち人類は系統発生的に「人類を生きてきた」。だが、いまはどうだろう。ほんとうに系統発生的に手を取り合って生きているのだろうか。あまりにも個的に生き急いでいるのではないだろうか。そこには紐帯もなければ連帯もなく、SNSだけでつながる「世界」がある。幻想でしかないデジタル・リアリズムの世界。


最近の若者は、同意を貰えない相手は理解しあわない。むしろ孤立を選ぶという。実質的にヒトとして触れ合わず、肉声も交わさない。そのような交流を果たしてコミュニカシオンと言うのだろうか。このひとの本を読んで、つくづくいまの世のなかとはいったい、何なんだろうと考えさせられた。

ほんとうに明日、わたしたちはつながれる存在であれるのだろうか。


出典 https://www.honzuki.jp/book/298714/review/263219/

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