1章④
目が覚めると、
薄暗い廊下の先に、扉の開いた部屋がある。
それは水玉模様ではなく、血しぶきだった。
模様と勘違いするほど、カーテン中に飛び散っている。
床は一面の血の海だ。その中に、女の人がうつ伏せに倒れている。
廊下から足音がして父親らしき男の人が現れた。彼は目を見開いて硬直し、我に返ったとたん、絶叫した。走り寄ろうとして血で足が滑り、床に倒れ込む。
服を血で汚しながら
その声を聞いても、寛太は動かない。眉ひとつ動かさない。
場面が急に切り替わった。
包丁を持ち、
武器を奪われた寛太は、それでも必死でどこかに行こうと前進しながら、繰り返す。
『殺してやる! 殺してやる!』
父親は泣きながら、何度も何度も寛太の名前を呼び続ける。開け放たれた玄関の奥から、テレビの音声が漏れ聞こえてくる。
『繰り返します。先ほど、大阪主婦強盗殺人事件の犯人が逮捕されました。犯人逮捕、犯人逮捕です』
再び目が覚める。今のは夢だったのか。
すぐに状況が
時計は五時を指していた。夢のせいで、まだ心臓がどきどきしている。
口の中は苦いままだ。
昨日、
起き上がって寝汗を拭きながら、カーテンを開ける。サッシの鍵に手をかけようとして、境内の木の下に寛太が座っているのを見つけた。
「どうしようもないじゃないか!」という昨夜の彼の叫びがよみがえる。夢の中で見た、
宮子に対してだけ無愛想だった彼の態度に、ようやく納得がいった。
気づかれたくなかったのだ──心の壁の向こうに隠した
そっとカーテンを閉める。泣けない寛太の代わりなのか、涙がにじんでくる。
寛太にとっては、何の落ち度もなく強盗に殺された母親と、義父に殺されて幽霊になってしまった
沙耶のことも寛太のことも、自分は何もわかっていなかった。
宮子はカーテンを握ったまま立ち尽くした。
朝食をすませた寛太が、
昨夜のことを謝ろうとしたが、寛太は「今、洗濯中」と宮子の言葉をさえぎった。ちらりと見せた弱さを「なかったこと」にしたいのだろう。
肩まで袖をまくった彼の左腕に、茶色く変色した
痛々しさに目をそむけながら、宮子は家族の分の洗濯物を洗濯機に入れた。
ベランダで洗濯物を干しながら空き地の方を眺めるが、屋根に
昨日、「また明日」と約束したのに、このまま父に祀られてしまっては、沙耶も納得できないだろう。でも、どうすればいいのか、まだ心が定まらない。
「宮子」
階段下から父の声がした。
「隣町の信者さんが
玄関まで父を見送ると、今度は寛太が来た。
「
「うん、わかった。いってらっしゃい」
沙耶に会うなら今しかない。とにかく行こう。
テレビを
空き地に着いて、宮子は
四隅の棒に、
──お父さんだ。
空き地に入り、正方形の結界に歩み寄る。前は
「サーヤ……」
ぼこり。
結界内の土が割れ、人の頭が出てきた。
あのオレンジ色の髪飾りは、沙耶だ。目の下まで出たところで、動きが止まる。
「サーヤ。ごめん、こんなことになって。あの……」
何と言えばいいのかわからない。沙耶の頭がさらに出て、首まで現れる。唇が、
「宮子、あんたのこと友達だと思ってたのに。父親に告げ口して、あたしをあっちへ送ろうとするなんて」
沙耶の目が、不自然に
「ちが……、確かに、サーヤが自然霊に乗っ取られちゃう前に、あっちの世界へ行った方がいいと思うけど、これはお父さんが……」
「ほら、やっぱりあたしをこっちの世界から追い払いたいんじゃない!」
裂けているかのように大きく開いた口で、沙耶が叫ぶ。昨日とはまるで別人だ。怖さで足がすくむ。
「私、サーヤのためにできることがあれば、協力したいの。未練をなくせば、あちらで幸せになれると思うから」
「宮子。あんたって本当に、苦労知らずのイイ子チャンね。あたしは幸せになんてなりたくないの。不幸でみじめなこの姿を、ママに見せつけてやりたいのよ。ママのせいでこんなになったんだ、どうしてくれるのよって」
沙耶が土の中から両手を出し、胸のあたりまで
「久しぶりに会えたのに、ママったら、あたしのこと見て逃げ出したのよ! 顔をくしゃくしゃにして『迷わず
下手な同情は相手のためにならない、という寛太の言葉が重くのしかかる。
自分は甘かったのだ。友達のためにと思いながら、結局は自己満足で、沙耶の
「そうだ、宮子。協力したいって言うんなら、体を貸してよ。あたし、どうしてもママのところに行きたいの。このままじゃ気がすまない」
腰まで出てきた沙耶が、地面に這いつくばってこちらに手を伸ばす。結界を出ることはできないはずだが、宮子は思わず後ずさった。
「お姉ちゃん、電話だよー」
鈴子だ。どうしてここがわかったのだ。振り向くと、妹がすぐそばまで来ていた。
「鈴ちゃん、だめ。一緒に帰ろう」
あわてて駆け寄ったが、鈴子は宮子の手をすり抜けて、結界の方へ近づいた。
「なに、これ。お父さんのバサバサ
鈴子が紙垂に触ろうと手を伸ばす。
「鈴ちゃん!」
鈴子の肩をつかみ、引き戻そうとする。が、一瞬早く、鈴子の指が結界内に入ってしまった。それを、沙耶がすかさずつかんで引っ張る。
「いやあ、痛い、痛い!」
指を引っ張られた鈴子が泣く。
「案外強そうだし、この子でいいわ。宮子、手を離して」
宮子は必死に鈴子の体を抱きとめた。絶対に、渡してはいけない。
「痛いよう。指がとれちゃうよう」
鈴子が泣き叫ぶ。宮子は結界に腕を突っ込み、沙耶の手を振りほどこうとした。
「やっぱり、あんたの方がいい」
沙耶が素早く鈴子の指を離して、宮子の手首をつかむ。骨が折れるかと思うほどの痛みが走った。
「鈴ちゃん、お父さんを呼んできて!」
「でも……でも、お父さん、どこ~?」
鈴子が泣きじゃくる。そうだ、父は出かけていたのだった。
沙耶の力は強く、必死で踏ん張っても結界の中へと引き寄せられていく。長くはもたない。どうすれば……。
誰かが走ってくる足音がする。寛太だ。彼は気合と共に、
「ぎゃあっ」
沙耶の手が離れる。宮子は反射的に手を引っ込めた。握られたところが、赤黒く変色している。
「なにするのよ、このくそボウズ!」
「ああ、来週には
寛太が立ちはだかって、宮子と鈴子を隠す。
「うるさい、あんたなんかにわかるもんか。義理の父親にひどい目に
沙耶の大きな口がゆがみ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「そうか。それは悔しかっただろう。……じゃあ、お前の望み、
寛太が低い声で言う。後ろ姿だから、表情は見えない。
「
「俺にも、呪い殺したい
沙耶が動きを止めて、寛太を見上げる。
「呪いたい相手の住所と名前、生年月日がわかればいい。さあ、母親の名前は?」
沙耶は唇を
「どうした、名前だよ。……そうか、義理の父親の方を先にやってほしいか。じゃあ、二人まとめて呪ってやるよ。ほら、名前は?」
上目遣いに寛太を睨んでいた沙耶が、眉根を寄せて目をそらした。その表情はどこか、
寛太が小さくため息をつく。
「お前、本当は、母親を呪いたいわけじゃないだろう。母親が今までのことを
沙耶がうつむいて顔を隠す。
「憎めないんなら、もう
寛太が
「やめて、やめてよ! 赦したりなんかしたら、あっちへ行ってしまったら、もうママに会えなくなっちゃうじゃない……。やめてってば」
沙耶の肩が、小刻みに震える。
「あたしはただ、ママに会いたかっただけなのに、ママが逃げたりするから……」
真言を何回か唱えた寛太が、宮子に耳打ちする。
「このままそっとしておこう。あとは、
寛太が鈴子を連れて、神社へ戻ろうとしている。けれども、宮子は動けなかった。
──本当に、これでいいの? 私がもしサーヤだったら……。
宮子は、沙耶の周りを囲う
「バカ、よせ! 結界が破れる」
寛太があわてて駆け寄ってくる。
「破ってるのよ!」
寛太に手を押さえられる。
「ここにとどまっても、余計に苦しむだけだろう。あちらに送ってやった方が、こいつのためだ」
宮子は寛太の手を振りほどき、正面からその目を見据えた。
「ホントにそうなの? 自分の目で見たの?」
寛太の動きが止まる。
「お父さんだって言ってた。死んだことがないから、自分にも本当のところはわからないって」
宮子の剣幕に押された寛太が、目を丸くしてこちらを見ている。
「あっちに行った方が楽になるのに、サーヤがこの世にとどまっていたのは、理由があるからでしょ?」
宮子は、視線を寛太から沙耶に移した。
「それだけ、お母さんに会いたかったのよ。恨むとかそんなんじゃなくて、もう一度『沙耶』って呼んでほしくて、抱きしめてほしくて、その
寛太の目が泳ぐ。
「お願い、何も知らなかったことにして」
宮子は、再び
「ひとつ聞く。結界を破って、どうするんだ?」
沙耶に聞こえないよう、寛太が小声でささやく。
「お母さんに会わせる。最近、骨折して救急車で運ばれたって聞いたから、市内の総合病院にいるはずよ。捜せば見つけられると思う。……私が一緒にいれば、サーヤを外に連れて行けるんでしょ?」
縄を
「貸せ。コツがある」
意外な手助けに、寛太の横顔をまじまじと見つめてしまう。彼の額から流れる汗が
「よし」
寛太がほどけた縄を手繰って、
結界から解放された沙耶に、宮子は駆け寄って手を差し出した。
「サーヤ。……会いに行こう、お母さんに」
赤く
宮子が引っ張ると、腰まで埋まっていた沙耶の体は、すんなりと地表に出てきた。
「ママ……」
その顔は青ざめ、心なしかふらついている。結界が強かったから、力を奪われてしまったようだ。
「お姉ちゃん」
妹が、寛太の後ろに隠れてこちらを見ている。宮子と寛太の霊視能力に同調しているのか、今は鈴子にも沙耶を知覚できるらしい。何もないところから突然人が現れたように見えるのだから、驚くのも無理はない。
「鈴ちゃん。お姉ちゃん、友達と出かけてくるね。家に帰ってお留守番してて」
「やだ、鈴子も行く!」
「お願い。家でお父さんが帰ってくるのを待ってて。お姉ちゃん、大事な用があるの」
「やだ!」
途方に暮れていると、寛太が鈴子の前にしゃがみ込み、芝居がかった声で言った。
「
寛太がアニメの
「いいかい、この任務は、全員のチームワークがあって初めて成功できる。鈴子少佐は、通信部主任として、管長さんにメッセージを伝えるという大事な役目を任されたんだ。できるだろ?」
「はいっ!」
とびきりの笑顔で、鈴子が答える。寛太が「お前もうまく話を合わせろ」とばかりに宮子を目で促す。
「えっと……鈴子少佐、これより帰宅し、我々が
戸惑っている鈴子に、わかりにくかったか……と宮子は
「家に帰って、お父さんに『お姉ちゃんたちは青垣総合病院に行きました』って伝えて」
ようやく理解した鈴子が、宮子に向かって敬礼する。
「はい! お父さんに、アオガキソーゴービョーインに行きましたって伝えます!」
地面に置いておいた
「よし。では、各自任務に当たれ」
家の方へと走り出す鈴子を見て、宮子は
「ありがと。子どもの扱い、上手なんだね」
「お前だってまだ子どものくせに。同じ目線でものを考えた方が、話は早いぞ」
「アニメが好きってこと?」
「仲間はずれは嫌ってことだ」
寛太が、沙耶の方をちらりと見る。
「大分
「じゃあ、お金を取ってこなきゃ」
宮子が言うと、寛太は首から下げたお守り袋を手繰りよせ、中の一万円札を見せた。
「
「そんな大事なお金……」
「見くびるなよ。俺は絶対、しっぽを巻いて逃げ帰ったりしない。だから、この金は別のことに使う」
走り出そうとする寛太を、宮子は呼び止めた。
「あの……ありがとう、本当に」
振り返った寛太がかすかに苦笑する。
「あれだけ必死になられたら放っておけないだろ。そいつのこと泣かせたままじゃ、後味も悪いし。……三輪駅のタクシーを回してくるから待っててくれ」
走り去る寛太の背中を見送ると、宮子は沙耶を気遣いながら、道路際まで慎重に歩いた。
「宮子、ごめんね。あたし、宮子にひどいことしたのに……」
「いいって、いいって」
「どうしても、ママに会いたかったんだ」
「うん。……疲れるから、もうしゃべらない方がいいよ」
エンジン音がしてタクシーが現れた。助手席に寛太が乗っている。ドアが開くと、沙耶を後部座席の奥に座らせ、宮子も続いた。
タクシーが目的地へと走り出す。運転手は自分たちのことを、入院中の親の元へと急ぐ子だと思っているのだろう。子どもだけでは駄目だと乗車拒否されなくてよかった、と宮子は思う。
十分ほどで、青垣総合病院の玄関前に到着した。先に行けという寛太に支払いを任せ、宮子は沙耶を連れて車を降りる。
案内板によると、外科病棟は五階だ。エレベーターを探し、ボタンを押して待つ。ちょうど扉が開いたところで寛太が追いついた。
ようやく五階に着く。建前上面会はナースステーションで記名しなければならないが、大半の人は素通りだ。宮子たちは平静を
寛太が沙耶に母親の名前を聞いて名札を確認して回り、奥から二番目の病室前で手招きをした。やはりここに入院していたのだ。
「サーヤ、もうすぐ会えるよ」
だが、沙耶は急に立ち止まった。
「……やっぱり、怖い。また逃げられたら、どうしよう」
大丈夫だよ、と言おうとして、宮子は言葉を
確かに死んだはずの沙耶が会いに来たら、母親は自分が恨まれていると思い、
ためらっていると、寛太がこちらに来た。
「水野
母親の名前を確認されて、沙耶が小さくうなずく。
「六人部屋だけど、二人は寝ているし、三人は留守だ。今のうちに」
しかし、沙耶は力なく座り込んでしまった。
「いい。やっぱりいいよ。ママに嫌われたくない。また『幽霊だ!』って怖がられるのは、いや」
そうか、母親が沙耶を怖がったのは「幽霊」だからだ。
母親も「見える人」なのだと、沙耶は言っていた。それならば。
「サーヤ、私に任せて。お母さんが、絶対怖がらないようにするから」
不安げに見上げる沙耶に、宮子は思いついた計画を話した。
宮子は静かに部屋へ入ると、ベッドの脇に座り込んだ。
気配を消して窓際まで進んだ寛太が、そっと遮光カーテンを閉めてベッドの陰に座る。廊下から光は漏れるが、これならかなり薄暗い。
沙耶がためらいがちに入ってきた。ベッドの正面に立ち、母親の寝顔をそっと見つめる。
「ママ」
沙耶が声をかける。母親の
宮子は全神経を集中させて、光の粒を集めた。
母親が、はっと息を
ベッドの向こうに立つ沙耶に、目を奪われているのだろう。
純白に輝く羽を背中に生やし、頭に金色の輪をつけた娘の姿に。
「沙耶……」
宮子はこっそりと沙耶の母を
沙耶の背後から金色の光が放射状に放たれて、さらに
沙耶の母親の目から、涙がこぼれ落ちる。彼女は起き上がり、
「ごめん、ごめんね。こんなママで、ごめん」
泣きながら
言い表すことのできない感情をすべて吞み込むように、
「もういいよ、ママ」
顔をあげた母親に、沙耶が
「沙耶」
母親は、ためらうことなく沙耶を抱きしめた。
「……ママぁ!」
ずっと堪えてきたものが
抱き合う二人をはさんで、宮子と寛太は顔を見合わせ小さくうなずいた。
しばらくして、母親は睡眠薬でも飲んだかのように眠りに落ちた。
「無意識とはいえ霊視能力を使いすぎたからな。疲れて寝ているだけだろう。心配ない」
沙耶が涙を拭いて、こくりとうなずく。
「ありがとう、二人とも。これでもう思い残すこと、ない」
そう言ったとたん、沙耶は体をびくりとさせ、
「サーヤ、大丈夫?」
「ん……。上に行きたい。行かなきゃ」
「上? 上って……」
突然、沙耶が我に返って走り出した。先ほどまでの弱々しさが
「何? サーヤ、急にどうしたの?」
寛太が横に並び、息ひとつ乱さずに言う。
「
階段を駆け上がっていった沙耶に続いて、屋上への扉を開ける。強風にはためく洗濯物を
視線の先を追うと、
「あそこに行きたい」
振り返った沙耶が、白い雲を指さす。
「
引き返そうとする寛太に、沙耶が首を振る。
「ううん、宮子に送ってほしい」
「無理だ。集中力が養われていない
「やだ。宮子がいい。それにもう時間がない」
沙耶の
今、沙耶を天へ送らなければ手遅れになるのだ、と宮子は直感した。
沙耶は七年半もこの世にとどまり、しかもこの数日でかなり無理をしている。もう自分の力では天にあがれないほど弱ってしまったのだ。
宮子は拳を握りしめ、心を決めた。
「私、やる。
宮子と沙耶を見比べた寛太が、しょうがないとでも言いたげな顔でうなずいた。
「わかったよ、もう止めない。ただし、危なっかしくて見てられないから俺も手伝うぞ。
三人は、人目につかないよう隅に移動した。洗濯物がちょうど目隠しになってくれる。
「ようは、あの光る雲のところまでサーヤを連れていけばいいんでしょ?」
「ああ。こいつがあそこまでたどり着くところを、具体的にイメージするんだ。はしごを作ってのぼらせてもいいし、鳥に乗せて飛んでもいい。ただし、絶対に集中力を切らすなよ。少しでも雑念が入ると、術がほころんでしまうからな」
集中力、と自分に言い聞かせ、宮子はうなずいた。
「サーヤ、私、がんばる」
「ありがと。信じてるよ、宮子のこと」
沙耶の笑顔を心に刻みつける。とうとうお別れだ。
すぐ隣で寛太が
──集中しなきゃ。サーヤを無事に送るために。
その端を沙耶の前にしっかりと置き、空へ向けてはしごを一段ずつ延ばしていく。
沙耶がはしごに手をかけ、足を乗せた。強度を確認すると、上に向かってのぼり始める。
近くの工場の屋根を越し、一段また一段と、沙耶が光る雲へと近づいていく。宮子は沙耶に追いつかれないよう懸命に光の粒をイメージし、空中にはしごをかけ続けた。
しかし雲にはまだ遠く、宮子がはしごを延ばす速度は、だんだんと落ちていく。少しでも気を抜くと注意が他へ向いて、頭を休めようとしてしまうのだ。全身から汗が噴き出し、足がふらつく。
とうとう、沙耶がはしごの先に追いついてしまった。
「宮子、大丈夫?」
沙耶の心配そうな声がする。
正直、大丈夫じゃない、疲れで集中力が今にも切れそう──。
突然、何かの警報音が鳴り響いた。
「ひゃっ」
車の盗難防止装置の音だと気づいたが、びくりとしたほんの一瞬で、イメージのはしごが崩れ出す。
あわててはしごをかけ直したが、強度が足りない。このままでは消えてしまう。
「サーヤ!」
とっさに手を差し伸べる。
いつの間にか宮子の体は、沙耶の手をつかんだまま宙に浮かんでいた。
眼下に、病院の屋上が見える。真っ白な洗濯物がはためく隅に、寛太が座っていた。その隣に倒れているのは、宮子自身。
意識が体を飛び出してしまったのだ。
自分の状況を把握したとたんに、かろうじて残っていたはしごがすべて消えた。
──落ちる!
宮子が身をすくめた瞬間、腹に衝撃が走った。
腹に巻きついた縄が、落下を止めてくれている。沙耶の手をしっかりと握ったまま、宮子は縄の出どころを見上げた。
「あ……!」
そこには、炎をまとった寛太がいた。
意識を体の外に飛ばして助けに来てくれたのだ。
縄のもう一端を握って宙に浮かぶその姿は、
「何分かは時間を稼げる。今のうちにはしごを出すんだ!」
寛太が叫ぶ。
宮子はあわててはしごをかけ直そうとした。しかし今度は地面から距離がありすぎて、ここまではしごを延ばすのが難しい。早く早くと
「落ち着け! はしごじゃなくていい、鳥でも、空飛ぶ
寛太の声に、宮子は気を取り直して大きな鳥を作ろうとした。自分の手にぶら下がっている沙耶の真下へ、ちょうど鳥の背が来るように──。
そのとき、腹に巻きついていた縄が解け始め、体ががくんと前のめりになった。
「きゃあっ!」
せっかく形になりかけていた鳥が消えてしまう。
姿勢が傾いたせいで、胸元にしまっていた
あ! と思ったときにはもう、大切な母の形見は落ちていき、宮子の視界から消えた。
「お母さん……」
腹に巻きついていた縄が完全に解け、空中に放り出される。
宮子は沙耶の手をぎゅっとつかんだまま、真っ逆さまに墜落した。
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