第15話毒親被害者は被害を訴えられない
皆さん常々疑問に感じてらっしゃるのではないでしょうか?
“何で今更?”
“その時にどうにか出来なかったの?”
とか。
先ず、子供の認識でどこまで自分の被害状況を認識しているのか?また相手に伝えられるように十分な説明ができるのか?っていう問題があります。
中学生や高校生になればできるだろうと思うかもしれませんが、毒親の被害は長期に渡るものです。ですから、精神のダメージが大きく説明しようにも出来ないという事態に陥ることもあります。
例えば、私の高校生時代の話ですが、あの当時私は“母の事がなんとなく信用できなくてよく解らないけどなんか嫌い”って感じでした。
どういうことかというと、色々あった幼少期の出来事が嫌なことが確かにあったのは覚えているのに詳細がどうしても思い出せないのです。
だから周囲に相談しようと試みますが、どういうことがあって母を信用できないのか具体的に説明できずただの反抗期や勉強嫌いのための逃げや八つ当たりなどと取られ“お前が悪い”と説得されてしまう。それに、今は段々と認識が変化していってるようにも思いますが、日本って人間の性善説が強すぎるんですよね。
特に“母親”ってのは聖女のように考えられて、被害を訴えても笑い話にされたり、ちょっと厳しいお母さんぐらいに考えられてしまう。それがつい十年くらい前まで当たり前だった。それなのに被害を訴えたりできますか?
今更っていうのは“今になってやっと声を上げられるようになった。”ってだけなんですよね。
だからこそ本を出版したり、民事で親を訴えたり、道を開いてくださった先人には感謝と尊敬に絶えません。
因みにですが、幼少期のことをはっきり思い出せるようになったのは結婚してから。今思えば、私の自衛本能が働いて思い出せなくなっていたのだろうなと思います。マジ高校生の頃って人生史上最高に精神不安定でボロボロだったから(泣)。
それと、その当時に解決できなかったのか?ってことですが。
子供にできることといえば反抗するくらいなものですし、子供の細やかな反抗程度で親が改心するなら毒親なんてできないんですよ。
それに子供は圧倒的経済弱者なのです。稼げる手段ができるまで親に依存せざる負えない。しかも先程も述べたように“母親は聖女”なのだから公的機関の類はだーれも助けないどころか“お母さんを困らせるな!”と善人面で子供を地獄に突き落とす。人間不信になるのも大人を信用できなくなるのも他の大人で復讐的に加害を加えるような子供になってしまうのも無理からぬ事だと思います。
昨今騒がせる山上徹也容疑者もそんな犠牲者の一人だったのでは?と私は感じます。
彼の取った極端な行動は赦されるものではありません。
が、彼もまた救われるべき一人であったはず。
性善説は個人の自由ですが、実際の事柄や真実を見てみぬふりをしてまで後生大事にするものではないし、美しい理想のためになぜ子供が生贄にならなきゃいけないのでしょう?
政治家のオッサンおばさんは少子化をどうにかしなければ!!と言ってたりしますがそれは、
“将来自分が搾取するため或いは消費するための生贄が減ったら困る!!!”
ってことなんでしょうか?そう思うと怖いですね~稲川淳二のDVDよりおっかないかもしれません。
少子化対策もいいですが、本気で子供を助けることも考えてあげてほしいです。
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