第5話 石造りの街並み
空が青く晴れ渡っている。
「いい天気~。」
絶好のお出かけ日和だ。今日は引きこもりのノアを連れて、街へ行く日。
「気が乗らない……。用が済んだらすぐ帰るからね、エマ。」
そう言いながらも、ちゃんと一緒に行こうとしてくれるのだから、彼は優しい。この調子で、彼の引きこもりが改善されれば尚いいのだけれど。
「エマの洋服、可愛いね。」
ふと、ノアが私の洋服を褒めてくれた。今日の洋服は、黒の生地で、袖がレースになっている上品なもの。昨日、ルカさんが仕立ててくれた洋服の1つだ。今朝、クローゼットを開けたとき、一番最初に目が合ったからこれにした。
「ありがとう。」
と、私は返事をする。そこへ、ロンがお見送りにやってきた。
「では、ノア様、エマ様。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「はーい。」
「行ってきます。」
お留守番のロンの言葉に背中を押されるかのように、ノアと私は歩き出す。私は今日初めて、この屋敷の門から外へと出ることができた。屋敷の周りは木々に囲まれている。こんな景観の中にあの屋敷は建っていたのか。童話の中に出てきそうな、”森の中にある屋敷”という感じだ。
「自然が綺麗だね。」
思わず、そう言葉が出る。
「久しぶりに外に出たから、俺もちょっと新鮮な気持ち。」
今、私たちは違う角度から、同じ新鮮な気持ちを味わっている。ノアは、久しぶりの感覚による新鮮さ。私は、初めての感覚による新鮮さ。同じようで少し違う。
「なんかデートっぽいことしようよ。」
唐突にノアがそんなことを言い出す。
「デート……?」
これはデートなのだろうか。確かに2人きりでお出かけしている、という点ではそうかもしれない。だけど、今日の目的は、不治の病にかかっている人を私の魔法で介抱することだ。それに……。
「ノア、さっきまで用事が終わったら帰るって言ってたじゃん。」
さっきと言っていることが全然違うじゃないか。
「久しぶりに外に出て、なんとなく気が向いたんだ。帰りにどこか寄って行こう。」
「私としては、構わないけれど……。」
「あ、でも、気が変わったら、すぐ帰るよ。」
なんて気まぐれな人なんだ……。はあ……と、溜め息をついて、ふと視線を前方に戻すと、綺麗な街並みが目に飛び込んできた。
「綺麗……。」
ロンが言っていた通り、街並みは確かに、ひと昔前のイギリスっぽい。石造りの建物が並んでいる様子が、そのイメージにぴったりだ。そして、空を飛んでいる人が何人か見えるのは、さすが魔界だなと思った。
「ノアも飛べるの?」
空を見上げながら、彼にそう聞いてみる。すると、急に体を引き寄せられる。
「ちょ、何っ……!?」
ひょいっと体を抱きかかえられて、私はいわゆるお姫様抱っこをされている状態。
「見せてあげる。」
彼の長い紫がかった銀髪が、はらりと舞って、私の頬をかすめた。間近で見る彼の整った顔立ちと、妖艶な微笑みは、まるで甘ったるい毒のようで、中毒性がありそうだ。
「危ないから、ちゃんと掴まっててね。」
「え、待っ……。」
その瞬間、私は声を発することができなくなった。急速に変わっていく視界と、体が浮き上がる感覚に、思わず目を瞑る。それと同時に、ノアに思いっきり抱きついてしまっていた。
「ほら、エマ。目を開けてごらん。」
ノアにそう促され、私は恐る恐る目を開ける。
「わ……。」
よくわからない声が出た。確かに今、私はノアに抱えられて、空を飛んでいる。そっと下を見れば、あの街並みが見えた。
「今日行くお家は、魔界でもかなり有名な、フローレス家っていう家なんだけど……ほら、見えてきた。あの豪邸。」
ノアにそう言われてよく街並みを見てみると、石造りの街並みの中に、一際大きな家が存在しているのがわかる。ノアの住む屋敷ほどではないが、それなりに大きさがある。
「病にかかっているのは、イザベラ・フローレス。フローレス家のお嬢様だよ。」
え、私……今からそのお嬢様に会うの?なんだか無駄に緊張してきた。
「ちゃんとエマの治療を受け入れてくれるといいんだけど。」
「それって、どういう……。」
「さて、もう着くよ。」
あ、下降する。そう思った瞬間、もう既に下降していく感覚が体を襲った。私はまた、目を瞑ってしまう。ノアが漏らした意味深な言葉のことなんて、今はどうでもよくなっていた。
「はい、到着。」
そのセリフを聞いて、目を開けると、あの豪邸の目の前に私たちはいた。ノアがそっと、私を下ろしてくれる。久しぶりに足が地面についた気がする。と、そのとき、豪邸の扉が開いた。扉の向こうから、ミルクティーベージュの髪を結った、女性が現れる。服装からして、恐らく、メイドだろう。
「わざわざお越しいただき、ありがとうございます。」
素敵な笑顔と共に、彼女は私たちにそう言った。ロンとは大違いだ。
「ノア様直々に起こしくださるとは、大変恐れ入ります。」
彼女はノアに一礼し、今度は私の方を向いた。
「エマ様、お初にお目にかかります。私、イザベラお嬢様のもとでメイドをしております、アメリー・ヒルと申します。エマ様のお話は伺っております。」
どうやら、私のことは街中に知れているという、ルカさんの言葉は、本当だったようだ。
「どうぞお入りくださいませ。客間に紅茶をご用意いたします。」
「いや、紅茶はいいよ。」
中に足を踏み入れると同時に、ノアはアメリーさんに言う。
「イザベラは、きっと治療するまでに時間がかかる。アメリーもわかってるでしょ?」
ノアの言葉に、アメリーさんは困ったような表情を浮かべる。私は2人が何の話をしているのか、まるでわからなかった。
「今すぐにイザベラのところへ案内してもらえるかな?その方が手っ取り早い。」
「かしこまりました。では、そのようにさせていたたきます。こちらへどうぞ。」
なんだかよくわからないまま、私たちはそのお嬢様のもとへ案内されることになった。私の今の気持ちを簡潔に表すとしたら、不安と緊張だ。私の魔法で本当に治療ができるのか、という不安。それから、今から会うお嬢様がどんな人なのか、という緊張。これらが相まって、心の中は混沌としている。
「こちらが、お嬢様のお部屋でございます。」
はっと気づいたときには、既にとある部屋の前にいた。色々考え込みすぎていた私には、ほんの一瞬の間に到着したかのように感じられた。アメリーさんが、その部屋の扉をノックする。
「お嬢様、失礼いたします。お客様をお連れいたしました。」
アメリーさんは柔らかな口調で声をかけた。すると、扉の向こうから、
「入ってよろしくてよ。」
可愛らしい声なのに、かなり上から目線な返事が返ってくる。それだけでわかる。扉の向こうにいるお嬢様は、本物のお嬢様気質な性格である、と。アメリーさんが扉を開けてくれるので、ノアと私は部屋の中へ足を踏み入れた。部屋の内装は、全体的に淡いピンクで統一でされていて、非常に可愛らしい。
「ノア様……!」
部屋の奥にあるベッドの上にいた彼女が、突然ノアの名前を呼んだ。ノアが彼女の方へ近づいていくので、私を後に続く。
「まさかノア様が、私に会いに来てくださるなんて……。」
そう言葉を発する彼女は、綺麗な亜麻色の髪を慌てて手で整え、モスグリーンの瞳を小動物のように潤わせている。
「とても光栄ですわ。」
どちらかといえば童顔で幼い印象を受ける、その可愛らしい顔立ちで、彼女はノアを見つめていた。
「俺はただの付き添いだよ。イザベラ、話は聞いてるでしょ?この子がエマ。」
ノアが私の肩に腕を回し、私を紹介してくれる。しかし、その瞬間、私に向けられた彼女のモスグリーンの瞳は、非常に冷たいものに変わっていた。
「私、あなたのことが嫌いよ。」
堂々と突きつけられた、私に対する嫌悪感。はっきりとしていて、逆に清々しいくらいだ。
「お嬢様……。」
ベッドの横で立っていたノアと私の為に、椅子を用意してくれていたアメリーさんが、ふと言葉を漏らす。
「何よ、アメリー。私に文句を言うつもり?」
「いいえ、お嬢様。しかし、エマ様はお嬢様の命を救える、ただ1人の人物でございます。」
私たちに椅子を用意してから、アメリーさんは彼女にそう言った。ノアに促され、私たちは用意してもらった椅子に腰を掛ける。
「この女に"様"をつけて呼ばれる価値なんてないわ。」
どこまでも、真正面からストレートに放たれる敵意だ。
「つい先日、人間界から来たばかりな上に、古代魔法の使い手だなんて、そう簡単に信用しがたいものよ。」
確かにそうだ。彼女の言うことも、なんとなく納得できる。
「何より、そんな女がノア様の婚約者となったことが気に入らないわ。」
ああ……言いたい。声を大にして言いたい。私はノアの婚約者という肩書きを名乗れ、と言われただけなのだと……。それを明かしてしまっては、元も子もないのだけれど。
「ノア様、どうしてこの女を選んだのですか?どうして私を選んでくださらないのですか?」
私に対するストレートな敵意を吐ききったと思ったら、今度はノアに対するストレートな好意を述べる彼女。はっきりと言えるその性格が凄いと思う。
「俺が誰を婚約者に選ぶかは、俺の自由だからね。」
ノアはきっぱりとそう言い切った。そして、付け加えて、こうも言う。
「でも俺は、イザベラのことが嫌いなわけじゃないよ。大切に思ってる。」
ノアのこういうところが、女たらしっぽいと思ってしまう。言葉選びが絶妙に上手いのだ。
「ノア様……。」
彼女の瞳に揺らぎが見えた。
「俺の大切なイザベラが、弱っていく姿をただ見てるだけなのは心苦しいよ。だから、エマの治療を受けて欲しいんだ。」
畳み掛けるようにそう言葉を放つノア。でも、私には、そのセリフが表面的なものに聞こえた。自分に対する好意につけ込んで、半分騙しているように感じられる。
「わかりましたわ……。」
そして、彼女はそれに騙される。結果としては、私の治療を受けてくれることになったから、良かったのかもしれないけれど。
「ありがとう、イザベラ。じゃあ、手を出して。」
大人しく、ノアの指示に従う彼女。
「エマ。」
ノアに名前を呼ばれ、私は椅子から立ち上がり、彼女のすぐ近くへ歩み寄った。
「ごめんね。嫌だと思うけど、触るね。」
彼女からの返答はなく、私はそのまま彼女の手を握る。その瞬間、私は、今まで感じたことのない感覚を覚えた。言葉で表現するなら、"流れる"感覚。恐らくは、私から彼女に魔力が流れていっている感覚だ。
「凄い……。」
その言葉を発したのは、私ではなく彼女だった。
「そろそろだね。」
ノアがそう言葉を発したのとほぼ同じタイミングで、私と彼女の手が、自分の意思とは関係なく、自然と離れた。
「完全に回復したね。」
ノアの言葉で、なんとなく状況を理解する。魔力が完全に回復すると、キャパシティを超えないように、自然と手が離れるのだろう。
「エマ、お疲れ様。」
ノアが私の頭を撫でてくれる。
「イザベラ、よく頑張ったよ。俺たちはもう帰るから、ゆっくり休んでね。」
彼女にそう言って、ノアは立ち上がった。私は腕を引かれて、彼と共にベッドから離れる。
「ノア様……。」
「またね、イザベラ。」
何か言いたげな彼女の言葉を遮って、ノアはそう言葉を放ち、私たちは部屋を出た。アメリーさんがすかさず、私たち2人を玄関先まで見送ってくれる。
「エマ様、お嬢様があのような態度をとったにも関わらず、本日はありがとうございました。」
アメリーさんが私にそう言ってくれる。
「とんでもないです。実際、本当のことですし。」
はっきり言われて、逆に清々しかったくらいだから、私としては特に問題ない。しかし、そこへノアが口を挟んできた。
「今回は見逃してあげたけど、イザベラが俺の婚約者にあれだけのことを言ったのは、俺は許してないからね。」
さっきとは態度が全く違う。そして、きっと、こっちがノアの本心だ。
「ノア様、エマ様……申し訳ございませんでした。」
アメリーさんが必死に謝ってくる。
「私は、大丈夫ですから。」
「いいよ。アメリーは悪くない。」
私の後に続けてそう言ったノア。
「じゃあ、俺たちはこれで。」
ノアが私の腕を引いて歩き出す。後ろからアメリーさんが「お気をつけて。」と言っているのが聞こえた。敷地内を出てから、私はノアに声をかける。
「ねえ、もしかしてだけど……。ノア、あの子のこと苦手?」
こんなに淡白なノアは初めて見た。
「エマは鋭いね。」
いや、今回ばかりは私が鋭いとかじゃなくて、ノアがわかりやすすぎたんだと思う。
「俺とは性格が合わない。俺に好意がある分、扱いやすいのはいいけど。」
やっぱり、彼女を言いくるめたときの言葉は、偽りだったのか。
「エマ、今のはここだけの話にしといて。」
偽りの言葉で騙された彼女を思うと不憫だ。しかし、この話を他言する理由もない。
「いいよ。」
なんだかノアの違う一面を見れたし、私は彼の言葉に従おう。
「よし、エマ。ちょっと付き合ってくれる?」
そう言われて、ノアの気が変わらなかったら、帰りにどこかに寄って行こうという話をしていたことを思い出す。
「どこに行くの?」
「まあ、ついて来てよ。」
ノアは自分の腕に、私の腕を絡ませる。そして、私たちは石造りの街並みの中を歩いていくのだった。
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