第4話 美人な仕立て屋

翌朝、起床した私は、着替えを済ませ、ノアを起こしに行った。躊躇いなく彼の部屋に押し入り、寝室へと繋がる扉を開ける。颯爽と窓際へ向かい、今度はカーテンを開けた。

「ノア、起きて。」

ノアのベッドに腰を掛けて、彼の肩を揺らしてみると、彼は目を覚ます。

「ん、エマ……おはよう~。」

ノアはその言葉を放つと同時に、体を起こした。昨日の朝とは大違いで、物凄く寝起きが良さそうだ。

「おはよう、ノア。」

やっぱり、昨日の朝に無理やりにでも起こしておいて正解だった。寝起きの良いノアが身仕度を整えようとする姿を見て、私は廊下に出て彼を待つ。そして、ノアが着替えを終えて部屋から出て来る頃合いを見計らったかのように、ロンがノアと私を迎えに来た。

「ノア様、エマ様、おはようございます。朝食の準備が整っております。こちらへどうぞ。」

「おはよ~。」

「おはよう、ロン。」

朝の挨拶を交わし、私たちは食堂へと移動する。今日の朝食も、ロンの手によって、丁寧で完璧に用意されていた。もう、もはや私が手伝う方が足手纏になってしまうレベルだ。ノアとテーブルを挟んで座り、朝食をとる。

「ロン、ルカの到着は何時?」

スコーンをかじりながら、ノアはロンに問いかける。

「午前10時頃と伺っております。」

ロンの返答を聞いて、ノアと私は同時に時計で時間を確認した。今の時間は、午前8時25分頃。

「あと1時間半くらいか。」

ノアが呟く。

「時間的にもちょうど良さそうだね。エマ、朝食食べたら、俺の部屋に一緒に来てよ。」

「ん?」

ノアは何を企んでいるのだろう。

「いいけど……なんで?」

私に何の用があるのだろう。

「後でのお楽しみ。」

こういうときにノアが浮かべる微笑みは妖艶だ。妖艶で、それでいて、逆らうことの許されない何かを感じる。

「わかった。」

私は彼の言うことに従うことにした。

……そして、朝食を終えると、私はノアに連れられて、彼の部屋にやって来た。いや、朝食の前にノアを起こしにここへは来ているから、どちらかというと、”戻ってきた”という表現が正しいかもしれない。

「さ、座って。」

ノアは私の手を引いて、私をソファーへと導いてくれる。そして彼は、流れるような滑らかな動きで、私の隣に腰を下ろした。私の左手は、まだ彼の右手と繋がれたまま、解放してくれそうな気配がまるで感じられない。

「ねえ、エマ。」

私を呼ぶ、彼の妖艶な声が、いつもよりも甘いものに聞こえた。さっきから自分の心臓がうるさい。返事をできずにいると、そんな私に追い打ちをかけるように、彼がこう言うのだった。

「俺……もっとエマのこと、知りたいな。」

ノアの発言に、私は何も返せない。ただ、心臓の音だけが、私の耳にはうるさく響いて聞こえてくる。どうしよう……どうすればいいのだろう。

「ねえ……いいでしょ?」

「そ、んな……。」

ノアは私の右の頬に自分の左手を添えてくるので、私は彼から視線を外せなくなってしまう。困惑と羞恥で心がいっぱいになった、その瞬間……。

「エマの魔法、試してみようよ。」

私を嘲笑うかのような笑顔で、彼は私にそう言った。状況を理解した途端、更に恥ずかしい気持ちになったのと同時に、彼に対する苛立ちが募る。この男……わざと私が勘違いを起こすような言葉を選んで、私を弄んでいたのだ。

「ノアっ!わざとでしょう!?」

「人聞きの悪い。それとも……本当は、俺とちょっと恥ずかしいことがしたかった?」

「なっ、違っ……。」

妖艶な笑みで愉しそうに私を弄ぶ彼は、ふっと表情を緩める。

「はい、お遊びはおしまい。エマの魔法を試してみたいんだ。」

もう自分で”お遊び”って言っているじゃないか。でも、ノアの今の表情は真剣そのもので、切り替えの速さに少々驚いてしまう。

「色んな本を漁ってみたけど、あんまり収穫はないし、それなら直接エマに試してもらう方が早いと思ってね。」

そう言われて、ふとローテーブルの上に目をやると、何冊かの本が置かれていた。言われるまで全然気づかなかった。

「回復魔法の方は発動条件が単純だ。エマと手を繋ぐ……それだけ。実際に、今もエマから俺に魔力が流れ込んで来ている。これを放すと……。」

ふいに、今まで繋がれていた左手が、解放された。それと同時に、ノアは満足そうな表情を浮かべる。

「うん、やっぱり。流れ込んで来ていたものが絶たれた。」

私の魔法の実験台に自分自身を使っていたなんて……ノアのやることには、いちいち驚かされる。

「エマは、手を握った者全てに、無差別的に回復魔法を使ってしまう。それを自分でコントロールできるようになるのが課題だね。」

「は、はい……。」

的確な分析とアドバイスを前に、なぜか私の発する言葉は敬語になってしまう。

「で、予知魔法なんだけど……、正直、未知の領域だね。」

「え……?」

てっきり、ノアならもう既に何か手がかりを見つけているものだと思っていた。

「本や記録を読んでも、古代魔法に関する情報は少ない。回復魔法は、エマが最初から使える状態だったけど……。予知魔法の方は使ってるのを見たことがないし、どうすればエマがそれを使えるようになるのかも不明。こっちは時間がかかりそうだね。」

ノアがそんな話をしていたとき、部屋の扉がノックされた。

「失礼いたします。グレイ様がお見えになられました。」

扉の向こう側から、ロンの声が聞こえてくる。

「ルカが来たみたいだね。魔法の話はまた今度。行こうか、エマ。」

「うん。」

ノアと共に部屋を出ると、ロンが立っていた。

「グレイ様は応接室にてお待ちです。参りましょう。」

応接室って、初めて行く部屋だなあ……。そんなことを考えながら、2人と一緒に廊下を歩いていた。自分が行ったことのある部屋なら場所はわかるけれど、行ったことのない部屋のことはまるでわからない。それだけこの屋敷が広すぎるということだ。

「到着いたしました。」

どのくらい歩いたのかもわからないけれど、どうやら応接室に着いたらしい。ロンが扉をノックして、「失礼いたします。」と声をかけている。彼はそのまま扉を開け、ノアと私を室内に入れた。そこにいたのは、ウェーブした長いブロンドヘアとグレーの瞳を持つ、見目麗しき美人……。

「グレイ様、お待たせいたしました。」

「大丈夫。ノアにはいつも待たされてるから。」

ロンの言葉に笑顔でそう返し、その人は席を立って、ノアと私の方に近づいてきた。

「久しぶり、ルカ。」

「本当だよ。ノアが婚約者を選んだって話、街中にもう知れてるよ。」

え、もうそんなに広まってるの……?そんなことを思っていた私の方に、ブロンドヘアのその人は、向き直る。

「はじめまして。僕はルカ・グレイ。こんな格好してるけど、男なんだ。よろしくね。」

丁寧な自己紹介を私にしてくれるその姿も、美しい。

「はじめまして。藍川エマです。」

彼はしばらくの間、じっと私の瞳を見据えていた。そして、すっとノアの方へ視線をやる。

「ノア……。」

「ルカ、今日はエマの洋服を頼む。」

私には、ルカさんが何か言いたげにしていたのを、ノアが無理やり遮ったように見えた。少し、空気が凍ったようにも感じられる。ルカさんは諦めたように、はあ……と、溜め息をついた。

「よし、始めようか。」

ルカさんのその一言で、少し重かった場の空気が、一気にほぐれる。

「じゃあ、まずはエマちゃんのクローゼットの洋服を見せてもらおうかな。あと、今からしばらくの間は男子禁制ね。ここで待ってて。」

「ルカだって男じゃん。」

「さあ、エマちゃん。お部屋に案内して~。」

ノアの言葉をさらっと無視して、ルカさんは私の背中を軽く押し、私と共に応接室を後にする。ルカさんの勢いに流されるまま、私は自分の部屋まで彼を案内することになった。

「エマちゃんは、転送花で人間界から来たんでしょ?」

廊下を歩いていると、彼がそう問いかけてくる。

「はい。本当に、つい2日ほど前に来ました。」

「そっかあ。まあ、すぐ慣れるよ。」

彼の言う通り、確かに、この屋敷での生活に順応しつつはある。

「私みたいに人間界から来る人って、少ないですか?」

ふとした疑問を投げかけてみた。

「多くはないよ。人間界に魔族が生まれること自体が稀だから。」

やっぱり、私みたいなパターンは珍しいのか。そう考えていたとき、「あー、でも……。」と、ルカさんが声を発する。何かと思い、彼に視線をやった。

「ロンも人間界出身だよ。」

「え?」

「その様子じゃ、聞いていなかったみたいだね。」

言われてみれば、確かに、ロンは人間界のことをよく知っているようだった。彼が人間界から来たと言われても、納得がいく。

「あ、。」

そんな話をしているうちに、私の部屋の前に到着してしまった。タイミングが良いのか悪いのか……。

「ここです。」

私がそう言うと、ルカさんの表情が一変した。仕事モード……、その言葉がぴったりだ。私が扉を開けると、彼は何の遠慮もなく中に入り、颯爽とクローゼットの前へと移動していた。私がクローゼットの前に着いた頃には、彼は既にクローゼットの中を漁っていて、なんだか声をかけるのも躊躇ってしまう。すると、彼の方から私に声をかけてきた。

「エマちゃん、もとの瞳の色って何色?」

「え……っと、黒です。」

この人、私のもとの瞳の色が違うってことに気づいていたのか。

「いいね。それなら、何色の洋服でも似合う。」

ルカさんは楽しそうに笑顔を浮かべる。

「ちなみに、この服は?」

彼が指差したのは、クローゼットの片隅にあった、私がこの世界に来たときに身に着けていた衣類だった。

「それは、私が人間界で着ていた服です。」

「それなら、これは思い出の品だね。このままにしておこう。」

そう言って、彼はクローゼットを閉めた。

「エマちゃんが今着ている洋服も、デザインがシンプルすぎるね。」

ルカさんが私の肩にそっと手を添える。その瞬間、着ていたワンピースの着心地が変わった。

「さあ、鏡を見て。」

言われるがまま、鏡で自分の姿を確認する。

「え、。」

シンプルなデザインだったはずの紺色のワンピースは、胸元と袖がシースルーの素材に変わっていて、ウエストから下はフレアで、全体に同系色で薔薇の花のような刺繍が施されている。

「凄い……。」

「エマちゃんは華美なデザインよりも、大人しめなデザインの方が好きだと思って。気に入ってくれた?」

笑顔でそう聞いてくる彼につられて、私も笑顔になる。

「はい、とても。」

「よかった。じゃあ、こっちも見て。」

ルカさんに腕を引かれて、私は再びクローゼットの前に移動する。

「開けてみて。」

まさか……。そう思いながら、クローゼットの扉を開けた。

「わあ……!」

そのまさかが起こった。クローゼットに入っていた洋服が、どれも素敵なデザインのものにカスタマイズされている。そして、ルカさんが”思い出の品”と表現したあの服は、そのまま綺麗に残されていた。

「これ全部、ルカさんの魔法……?」

「うん。サイズもぴったりだと思うよ。」

その言葉に、疑問が湧く。

「なんで私のサイズを知って……。」

「ん?目測。」

綺麗な笑顔でそう言われてしまう。目測って……。

「男の僕が、レディの体のあらゆるところに触れるのは、だめでしょ?いくら僕の見た目が女性でもね。」

ルカさんの言っていることは、至極真っ当なことだ。

「だから僕は、目測のスキルを身につけた。」

「なるほど……。」

彼の話に、私は納得した。

「さて、ちょっとだけ、お披露目会しようか。」

ルカさんの言葉で、私たちは応接室に戻ることになった。

「クローゼットにある洋服は、明日から徐々にお披露目してあげて。今日は、今着ている洋服のお披露目会ね。」

廊下を歩きながら、楽しそうに彼は話す。もと来た道を歩き、私たちは応接室に戻ってきた。

「ノア!ロン!見て~!」

応接室の扉を開けるや否や、ルカさんは嬉々として声を発する。彼に腕を引かれて、応接室の中に入った私を見て、ノアは満足そうな笑顔を浮かべた。

「いいね。エマ、似合ってるよ。」

その言葉に、心の内では、なんだか照れてしまう。

「ありがとう。」

それを隠すように、私はそう言った。隠したつもりだけれど、ノアにはバレていそうな気がするのは気のせいだろうか。そして、この状況で、ロンだけは相変わらずの無表情で、ノアの為に紅茶を淹れている。

「ノア。仕事は済んだけど、僕はまだノアと話したいことがあるんだ。」

ルカさんのその言葉とその声に、私は何かを感じた。わからないけれど、触れてはいけない何かだ。

「わかった。ロン、ルカに紅茶を。それと……エマ、席を外してもらえる?」

ノアの言葉で確信した。やはり、私には触れてはいけない何かがある、と。

「うん、わかった。」

今は気づいていないふりをしよう。

「ルカさん、今日はありがとうございました。」

「どういたしまして。またね、エマちゃん。」

ルカさんが笑顔で手を振ってくるので、私は軽く頭を下げて、応接室を後にした。……恐らく、廊下で彼らの話を盗み聞きしようとしても、どうせバレるだろう。気になるけれど、仕方がない。私は諦めて、書庫で本を読むことにした。

……書庫へと向かった私は知らない。

「ノア……。エマちゃんは、シャーロットじゃない。」

その言葉も、

「お前の私情に、何も知らないエマちゃんを巻き込むのはやめろ。」

その言葉も、

「シャーロットは、もういないんだ。」

その言葉さえも、私は知らない。

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