第3話 ステンドグラスの書庫
屋敷の廊下を悠々と歩くノアの後に、私はついていく。朝食を終えた私たちは、ノアの言う、”いい場所”へと向かっているところだった。まあ、私は未だに、それが一体
どこなのか知らされていないのだけれど、着けばわかるだろうと思って、ただノアの後ろを歩いている。
「さあ、着いたよ。」
ノアがそう言って足を止めるので、私もその場で足を止めた。そして、目の前に立ちはだかるのは、1つの扉。この扉自体は、他の部屋のものと色や質感が統一されていて、特に変わった点は見られなかった。ノアはその部屋の扉を何の躊躇いもなく開け、中へと入っていく。私も続いて部屋に入った。
「ここ……、何の部屋?」
カーテンが閉められているせいで、部屋の中が薄暗くてよく見えない。
「ちょっと待ってて。」
そう言うノアは、あっという間に窓辺に移動していた。そして、閉め切られていたカーテンを、颯爽と開けていく。すると、姿を現したのは、赤や青、緑、黄などの様々な色が散りばめられた、ステンドグラスでできた窓ガラスだった。陽の光がステンドグラスの窓ガラスを通り抜けて、部屋の中にも様々な色が映される。
「綺麗……。」
思わずそんな言葉が口から漏れた。ノアがすべてのカーテンを開けてくれたおかげで明るくなった部屋の中を見渡すと、私は再度驚かされる。部屋中に設置された本棚と、その中にずらりと並ぶたくさんの本。ちょっとした書店並みの本の数だ。
「ここは魔界に関するあらゆる文献や記録が揃っている書庫だよ。」
「これ全部、魔界に関する本なの……!?」
「うん、全部ね。」
驚愕すぎて、もう発するべき言葉もわからない。
「まあ、魔界や魔族、魔力とか、そういう情報がほんの少し載っているだけの本も、もちろんあるけどね。」
そうだとしても、圧倒的に数が多い。
「俺の部屋にも何冊か本が置いてあるけれど、あれも実際はこの部屋にあったものだよ。」
ああ……、確かに、ノアの部屋にもいくつか本が並んでいたことを思い出した。私の魔法を調べる為に読んでいた本などが、まさにそれだろう。そんなことを考えていると、ノアはどこか楽しそうに、再度口を開く。
「この書庫の窓も、昔は普通の窓ガラスだったんだけど、俺が魔法で少しだけいじって、ステンドグラスに変えたんだ。ステンドグラスに変えたのは、単純な俺の好み。」
「そんなこともできるんだね……。」
ノアの魔法の凄さにも驚いてしまう。黒だったはずの私の瞳を紫に変えたり、部屋の窓をステンドグラスにしたり、もうなんでもありじゃないか。
「エマが知りたいことは、きっとこの書庫が解決してくれるよ。好きに使っていいからね。」
確かに、この書庫ならなんでも学ぶことができそうだ。
「ありがとう、ノア。」
私がお礼を言うと、ノアは微笑みを浮かべた。
「俺も調べたいことがあるから、しばらくここにいるよ。」
そう言って本を探し始めた瞬間、ノアの表情はどこまでも真剣なものに豹変した。その変化を間近で見ていた私は、なんだかぞくっとして、鳥肌が立ってしまう。……私も、何か本を探そう。それにしても……、なんとなくわかってはいたけれど、ざっと見た感じでは、全ての本が英語で書かれたものだった。私は、おじいちゃんの教えで、小さい頃から洋書を読む機会がかなり多かったので、少しこの洋書の感覚が懐かしい。今、魔界に来て思う。洋書を読んできてよかった、と。
「あ、。」
ふと、小さく声が出た。ずらりと並ぶ本の数々の中で、私が今最も知りたい情報が載っているであろう本を見つけたのだ。その本を手に取り、表紙を開こうとした、その瞬間だった。
「いい本、見つけたね。」
急に近くで声が聞こえて、肩がビクッと上がる。声のした方を見ると、ノアが後ろから私の手元を覗き込んでいた。
「ノア……、びっくりさせないでよ。」
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
謝っているのに、ノアは愉しそうにクスクスと笑っている。
「それ読む?」
唐突にそう聞かれて、私は一瞬戸惑った。
「え?……っと、うん。読もうかなって思って……。」
「じゃあ、おいで。」
ナチュラルな動きで私の手を引いて、彼は私をエスコートしてくれる。彼のこういうところがずるいと思うのは私だけだろうか。よく見ると、彼の空いている方の手には2冊の本が握られていた。さすがにタイトルまでは見えない。
「よし、ここで一緒に読もうか。」
ノアにそう言われて、彼の視線の先に目をやると、そこはいわゆる読書スペースだった。本棚と同じ色合いと質感のテーブルと、それを挟む2脚の椅子。テーブルの上にはちいさな観葉植物らしきものが置かれている、素敵な読書スペースだ。
「ここと同じものが、この部屋にあと3箇所あるんだけど、今日はここにしよう。」
軽くそんな説明をして、ノアは先に片方の椅子に座って、本を読み始めた。そこにはもう、寝起きのときの、眠くてだるそうな素振りは全く見られない。私もそれを見て、もう片方の椅子に座り、自分が選んできた本の1ページ目を開く。……しばらくの間、穏やかで静かな時間が流れていた。ノアも私も、それだけ本の内容に集中していたのだ。しかし、先にしびれを切らしたのは、ノアの方だった。
「あー、収穫なし。ふりだしだ。」
ノアはそう言って、傍らにある、壁をくり抜いて造られたフリースペースのような場所に2冊の本を置いた。すると、それらはまるで羽が生えたかのように浮き上がり、書庫の本棚の影へと姿をくらませてしまう。少しの間考えてから、私は口を開いた。
「これって、ここに置いた本はもとの位置に戻ってくれるってこと?」
「そう。エマもなかなかに順応してきたね。」
なるほど、と私が納得していると、今度はノアが口を開く。
「で、エマの方は、収穫あった?」
その言葉に、私は静かに頷く。私も今さっき、最後のページを読み終えたところだ。ノアがさっきやっていたように、私も小さなフリースペースに、読んでいた本をそっと置いた。先ほどと同様に、その本は浮き上がり、本棚の影へと姿を消す。自分で実際やってみると、改めて感心してしまう。
「エマの収穫、俺にも聞かせてよ。」
私が魔法の凄さを体感している、一連の流れを見てから、ノアは私にそう言った。
「えーっと……、まず、魔族は人間の派生で……。」
私にとっては初めて知った事実でも、ノアにとっては当たり前の常識だろうに、彼は私の話をしっかりと聞いてくれる。
「人類史上初めて魔力を体に宿したリーノっていう人が使っていた魔法が、回復魔法と予知魔法……。後にも先にも、この魔法を使えた者はいなくて、だから古代魔法って呼ばれている……。」
「うん。そうだね。まあ、それを見事に覆しちゃったのがエマなんだけどね~。」
ふふっと、おかしそうに笑うノアを無視して、私は話を続ける。
「それから魔族は繁栄して、多種多様な魔法が生まれたけれど、時には魔法は人間の戦争にも利用されるようになって……。そして戦争が終わると、今度は人間が魔族狩りを始めた。そんな状況から魔族を守る為に造られた世界が、この魔界……。」
本から得た知識を、静かにノアに話していった。
「エマ、ちなみに、魔界の創造主の名前は書いてなかった?」
「確か、アラン・ローズブレイド……。」
……ん?ローズブレイド?
「まさか……。」
「うん、そのまさか。」
ノアはどこまでも妖艶な笑みで、私を見据える。
「ローズブレイド家は、魔界の創造主を祖先に持つ、魔界の絶対的王家。だから俺、ノア・ローズブレイドは、こんな感じでも一応、魔界の第一王子なんだ。」
納得すると同時に、疑問が湧き出る。とめどないその疑問の波に、私は逆らえなかった。
「第一王子って言うけれど、第二王子もいるの?それに、この屋敷……王様もいないし……。」
少し踏み入りすぎてしまっただろうか……なんてことを考えている私に、ノアは屈託ない笑みを見せる。
「俺の弟……第二王子のオリヴァーは、グレて家出中。街で薬屋を営んでるって聞くよ。」
グレて家出して、街で薬屋を営んでいる……?情報量が多い。
「あと、魔界の王様……っていうか俺の父親と、母親もそうだけど……。2年前に不治の病で亡くなったんだ。」
なぜ今、ノアの瞳は少し揺らいだのだろう。何かを隠そうとしたのだろうか。気になったけれど、私はそれをぐっと飲み込んで、話を進めることにした。
「不治の病……で、亡くなった?」
「うん。原因は不明だけど、徐々に魔力が失われていくんだ。魔族の持つ魔力は、生命力に等しい。魔族は魔力が尽きると命を落としてしまう。しかも、誰がいつかかるかわからない。」
ノアは淡々と不治の病について語る。
「そしてなぜか、その病には1人ずつかかるんだ。一度に複数の人がかかることはない。この病が流行し始めた約10年前から今に至るまで、わかっていることはその程度しかない。」
そう、なんだ……。そうか、それなら……。
「私の両親もね、もう亡くなっているの。」
ノアも私と似た境遇にいるのなら、この話も言える。
「1年前に両親を亡くして、一人っ子だし、頼れる親戚もいなくて、まさに天涯孤独。だから、この1年、一人でただ生きることだけを考えてきた。」
「なるほどね……、どうりで急に魔界に来ても、家族や身の回りの人の心配をしていなかったわけだ。」
ノアは、ふぅっと生きを吐く。
「まあ、今は俺がいるから。」
その言葉がふわっと私の心に広がって、なんだか温かい気分になった。
「ノア……、ありがとう。」
笑顔で笑ってみせると、ノアも楽しそうに笑った。そんなノアが、突如、何かを思いついたような表情を見せる。
「エマ、手出して。」
「手?はい。」
ノアに言われて何の躊躇いもなく、私は左手をノアに伸ばすように差し出す。ノアは、私の手と自分の手を重ね合わせた。
「なっ……何して、。」
「待ってて。そのまま。」
この状況をしばらくは心臓に悪い。しかも、ノアは今、何をしているのだろう。そんなことを考えているうちに、ふとノアの手が離れた。
「うん、やっぱり。」
何が”やっぱり”なのか。空中で行く場を失った左手を、私はすっと引っ込めた。
「エマの回復魔法は無尽蔵だよ。」
「ん?」
「回復魔法を使うときに魔力の消費がない。つまり、無尽蔵に回復魔法を使うことができる。これはまさに、魔族の父であるリーノと同じ力だね。」
私はこのとき、頭をフル回転させていた。そして、ある答えを導き出す。
「つまり、不治の病で苦しんでいる人の魔力を回復させることができるってこと?」
「エマは頭がいい。」
ノアは妖艶に笑ってみせる。
「でも、回復魔法で注意しなきゃいけないのは、自分自身には使えないっていうことだね。あくまで他者の為にあるものなんだ。」
なるほど。つまり、私が死に際になっても、私が私自身に回復魔法を使うことはできない、ということか。
「じゃあ、私……、病で苦しんでいる人を助けることができる?」
「できると思うよ。街の人と交流できるいい機会になるだろうし。ただ……。」
「ただ?」
ノアは溜め息に近い吐息をゆっくりと吐いた。
「俺、できれば外に出たくないんだよね。」
うわぁ……マジか。こんなところで引きこもりを発揮してくるか。ノアがだめならロンを連れて行くのも手だけど……。いや、一人では何もできないノアを屋敷でお留守番させる方が大変な気がする。困ったなあ……。あ、そうだ。まだ、もしかしたらいけるかもしれない手が残されている。
「ノア、私一人でも行ってくるよ。」
これが、残された最後の手段。これにはさすがにノアも驚いたようで、
「え?」
と、素っ頓狂な声を出す。
「レディが一人で外出?そんな危険なことさせるわけには……。」
「じゃあ、ノアがついて来てくれるの?」
私の言葉に、ノアは考え込む。
「エマに何かあったら大変だし……、仕方ない。俺もついて行くよ。」
ノアの返答は意外だった。もう少しごねるかと思っていたのだ。しかも、私について来てくれるとは思ってもみなかった。でも、これでなんとなくわかったことがある。ノアは私を大切に思っていてくれているんだ。
「エマ、病人を助けに行くのは明後日にしよう。」
「明後日?今日じゃないの?」
不思議に思っていると、ノアは妖艶な笑みを浮かべた。
「外出する為には、それなりにドレスアップしなきゃ。今、エマの部屋にある洋服はありあわせのものだからね。この機会に一新するのもいいと思って。」
……ちょっと、待って。
「え、私、そんな華美なものはとても着る勇気が……。」
「大丈夫大丈夫。エマのサイズに合った洋服を用意してもらうだけだから。」
なんだか不穏な予感しかしない。ノアはそんな私などお構いなしに、突然、テーブルの上にあった小さな観葉植物の小鉢を持ち上げ、左右に数回振った。すると、綺麗なベルの音が鳴る。ノアは小さな観葉植物をもとの場所に戻した。そして、しばらくしてから、この書庫の扉をノックする音がして、
「失礼いたします。」
ロンの声が聞こえてきた。……この小さな観葉植物って、呼び出し用のベルだったのか。
「どうなさいましたか。」
この広い書庫の中で私たちを見つけたロンは、近寄って、そう話しかけてくる。
「ルカに屋敷に来るように言っておいて。日時は、明日の午前中がいい。エマの洋服を仕立ててもらいたいんだ。」
「かしこまりました。」
「下がっていいよ。」
数少ない会話で、ロンはこの書庫を去って行く。本当に主人と使用人って感じだ。そして気になったことがある。
「ノア、ルカ……さん?って誰?」
「ルカ・グレイ。本業は仕立て屋だけど、他にも色んな事業を展開してる人。」
それだけ聞いても、あまりピンとこない。まあ、会ったことがないから仕方のないことなのだけれど。
「ああ、そうそう。」
何かを思い出したように、ノアは口を開く。
「ルカは男だけど、いわゆる女装男子だよ。」
その追加情報を聞いて、私の中の謎はさらに深まるばかりだった。
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