第3話 生まれてゆく幽霊
ここ数日は同好会に顔を出していない。来たければ来ればいい、帰りたければ帰ればいい、というのがモットーだと、七海さんは言っていた。まあ彼女はほぼ毎日部室に行っているようなのだが。今日は午後から天気がよくなるらしいが、どうしようか。
「淳也ぁ」
「なんだぁ、古内」
古内となぜ仲良くなったのかは、よくわからない。いや結婚式のスピーチじゃあるまいし、友人関係の始まりなんか明文化するようなもんでもないんだろうが。
朝のだらけた雰囲気の教室で、お互い眠い目をこすりながら雑談に興じるが、すぐに話題は尽きた。そして彼がこの話を持ち出す。
「なんか、浮いた話とか、ないのかぁ?
「浮いた話ぃ?」
「なんか、こう、ねえの、なんか?誰がかわいいとか、なんかそういうの」
「お前『なんか』って何回言った?」
「今朝から数えて13回」
「適当言ってんじゃねえ」
こいつは話題に尽きると色恋沙汰や女性の話をしたがる傾向にあるようで、何組の誰がかわいいとか、スタイルがいいとか、そんな話ばかりで、あきれるばかりである。ちなみにこの西浜高校は男女ともブレザーが指定されている。
「そういうのはお前が詳しいんじゃないの、俺は別に情報集めたり、偵察に行ったりとかしない」
「まあ情報量で言ったらそりゃ俺のほうが上だけど、なんというか、多角的な視点を持つことによって、情報の質が上がるだろ」
無駄に頭良く見せようとしてるようだが、どんな情報について語っているのかを知っていると台無しである。
「お前、その表情はバカにしてるな、現代において情報というのがどういう意味を持つと思ってるんだ、このディジタル・トランスフォーメーションの時代において」
「横文字使えば頭いいと思ってるだろ」
「いやいや、質の高いデータセットがなきゃ、AIだってろくなもんにならねえんだぞ。そこでまずデータを集めようということじゃねえか」
なぜか目を輝かせる。その情熱は、もう少しためになるデータを集めることに使ってほしい。
「で、ねえの、新しい情報」
そういわれて浮かんだのは、七海さんのことだったが、なぜかその話をする気にはならない。
「……特に」
「なんかありそうな顔するじゃねえか」
「ねえよ、それより自販機でも行かねえか、一限は日本史だぞ、目を覚ましておかないとマズい」
日本史の先生は、授業を聞いてほしいということなのか、板書があまり意味をなさず、自分で聞き取ってノートをとるしかない。そんな授業だから、眠い状態で受けるわけにはいかない。
「……淳也、お前割と真面目だよな、そんなのノート借りりゃいいじゃん」
「そういうので一番頼りになるのがお前だからそうなるんだ」
「それはどういうことだ」
学校には自販機があるが、なぜか購買の付近にしか設置されておらず、微妙に面倒だし、何より時間帯によっては並ぶことになる。まあ朝なら問題ないだろうと踏んで、15分後のホームルームを前に自販機を目指す。
購買は、昇降口のすぐそばの階段を1フロア上がって右に折れたところにある。登校ラッシュの時間には微妙に動線が被り、ここでの友人、あるいは知り合いとの出会いもある。それは交友関係の狭い俺にも起こりうることのようで、廊下を購買に向けて転進した俺の肩を叩く人がいた。
「おはよう」
「七海さん、おはようございます」
メッセージのやり取りはしていたが、数日ぶりの再会である。このとき、俺は放課後の予定を決めた。
「今日は天気よくなるみたいですね」
「うん、天気予報を信じるならね」
「多分放課後行きます」
「わかった、お茶を淹れるわね」
隣で呆けた面を見せる古内の背中をドンと叩くと、現世に戻ってきたようだ。最低限の礼儀というべきか、七海さんに緊張した様子であいさつする。
「お、おはようございます!」
「二人とも、ごきげんよう」
もしロングスカートだったら、両手でつまんで姿勢を下げる、あのポーズが
似合うだろう、同好会の後輩とその友人に向けるにはあまりにも優雅な挨拶をする。つくづく舞台の上のような、あるいは漫画のような人だ。
「それでは」
七海さんは手を振って自身の教室へ向かう。古内は手を振り返すが、多分見えていない。
「おいおい、辰巳くん、あれは誰ですか、ナナミさん?って」
「同好会の会長だよ。七つの海って書いて七海さん」
「ああ、散策研究会のね」
自販機のボタンを押して、ペットボトルのコーヒーを拾う。しかし古内はなにを興奮しているのだろう。
「しかしおまえにもそんな仲の人がいるとは、なかなかやるな」
「そんな仲って、なんだよ」
「あの先輩のこと『七海さん』って呼んでんだろ」
「いや、普通じゃないか?『会長』って呼ぶのも違うし」
「へえ……」
古内はぶどうジュースを飲みながら、好奇の視線を向けてくる。何かかみ合ってないような気がするが、まあいいや。コーヒーの蓋を開けてちびちびと飲む。
「にしたって隠すことないだろ、すごい美人じゃねえか。」
「まあ、それは。でも、たまに演出が過剰なんだよ」
「エンシュツ?」
「なんというか、芝居がかった喋り方とか、動き方とか、好きなんだと思う。さっきお前に挨拶したのとかさ」
「確かに。お嬢様なの、あの人?」
「いや、単にちょっと変わってるんだと思う。ところでそろそろ帰らないとマズいな」
「ああ、あと3分か。しかし、あんな人が情報網に引っかからないとはなあ……」
いつもより少し長い授業終了後のホームルームを終えて、クラスメイトは散り散りに動き始める。部活に行く者もあれば、教室で駄弁る者もいる。俺も旧校舎441号室を目指して教室を出る。昇降口に近い側の階段を何気なく下るうちに、購買で何か買っていこうと思い立った。ちょっとした菓子くらいは売っているので、紅茶に合うものを。
44号室が見えてきた。44号室を二分した441号室が散策研の領土であるとはいえ、境界線たるパーティションをどけてしまって、442号室も実際占領しているのだから、44号室でいいと思うのだが、七海さんに言わせれば、散策研究会の部室は441号室であるらしい。
「こんちわー……。どういう座り方してるんすか」
「やあ辰巳くん。ちょっとセクシーじゃない?」
442の側に置かれた椅子に身をゆだねた彼女の両脚は、441をはみ出さない位置に収まった机――むしろこの机が境界線を示す線になっているそうだ――の上に置かれていた。脚の構造物がスカートより高い位置にあるということで、これは際どい。今いる位置からは、七海さんは側面から見る形になる。よって案外短いスカートの中の機密というのは保護されているのだが、情報漏洩対策としては緩すぎる。大体、普段隠された白い太ももが、なぜかこの部屋だけ電球色の照明を反射して妖しく輝いている。
「私の色気に魅了されて言葉もない、といったところかしら?」
口元に指をあてて微笑む七海さん。まあそうだと言ってもいいのだけど、そういってしまうと七海さんは調子に乗って、毎回こうするのが目に見えている。
「はしたないですよ、脚下ろしてください」
「男なら、もうちょっといい反応してほしいところだけど」
残念そうな表情の七海さんは、その机とは別の、ケトルが置かれたテーブルに向き直る。そこでちょうどカチッと音がする。
「お茶、飲む?」
「はい。クッキー買ってきました」
「おお、ありがとう。でもそれ、大きすぎない?」
「個包装なんで、置いとけますよ」
「なるほどねえ」
「そういえば、あの公園のキッチンカー、たまに行ってるの?」
「ええ、行ってるけど、なんで知ってるんです?」
「昨日行ったら、この間の店員さんがいてね」
「はあ」
昨日も帰り道でコーヒーだけ買っていったが、確かに初めて立ち寄ったときと同じ人だった。しかし、大学生風の彼女は特に俺を覚えているような様子でもなかった。
「聞かれたのよ、『彼と一緒じゃないんですか?』って。『彼』ってどういう意味かしらね、ふふ」
「……代名詞じゃないですかね」
「で、彼女が教えてくれたの、君がさっき来てたよって」
客の情報を勝手に喋っていいのか。いや俺は別にいいんだけど、一般論として。
「ちなみにそれに対して私がなんて言ったかは秘密です。口止めもしてある」
「なんで?」
「なんでかしらね?」
七海さんは楽しそうに笑う。からかわれているな、と思っても、これ以外の反応の仕方を知らない俺は、ティーカップに手を伸ばしつついう。
「まあ、とりあえず七海さんを笑顔にできたならよかったです。笑ってたほうがいいから」
お茶を飲み干してしまい、ティーポットを持ってまず自分のカップを満たし、ついで七海さんのを見る。4分の1ほど残ったそれに茶を注ぐべきか迷い、本人に聞こうとしたところで、俺は顔を上げた。
「七海さん、入れましょうか、お茶……七海さん?」
「……え、ああ、お願い」
「大丈夫ですか?」
「いや、ちょっとぼうっとしちゃっただけ。大丈夫」
魂が一瞬どこかに行っていた七海さんが帰ってきて、外を眺める。
「……もうちょっとしたら、散歩しようか」
そういえば、俺の街にはまず商店街というものがない。正確に言えば、『商店街』と呼ばれる通りはあるのだが、店はほとんどシャッターが閉まっている。20年前に、車ですぐに行けるショッピングモールができて、客を奪っていった結果らしい。よって、学校から駅を結ぶバスが通る道を直角に曲がって進むとたどり着く、この駅前通りの商店街で俺はこう言うわけだ。
「商店街って、久しぶりだな」
「郊外にショッピングモールはあるけど、車を持ってる人が少ないから、商店街もまだ頑張れるわけ」
七海さんは古本屋に用があると言っていたが、どうやらこのビルの一階らしい。三階建ての古い建物だ。
「こういうところは、大きいショッピングモールにはまず入らないけど、こういうところでやってけてるわけ」
入口付近は、漫画や文庫本など、素人目にも商売になりそうなものが多いが、奥に入ると、学術書らしきものや、ナントカ市史、ナントカ統計、ナントカ全集といったものが並んでいる。その棚の一つの前に立つ白髪の、スーツというには少しラフな格好の男性の後ろ姿が気になる。
「そういうところは、大学教授とか大学院生とかが、資料を探しに来るの。東京に行けば、こういうところはいっぱいあるんだけど、こういう街でこういう店があることが大事なんだって」
俺の気になっていることに感づいたようで、七海さんが教えてくれる。エプロン姿でレジに座る、起きているかも怪しい、仙人のような印象の男性は深くうなずいた。
「山崎さん、これ、ありがとうね」
七海さんがカバンから取り出した袋をその人に手渡す。雑誌くらいの大きさのものが入っているようだが、色のついた袋なのでよくわからない。
「どうだった?」
「おかげさまで。どら焼きも入ってるわよ」
「新月堂のか?」
「ええ」
どら焼きのところで少し目を開いた仙人は、霞を食って生きているわけではないらしい。山崎さんと呼ばれたその人は、しかしまた目を細めて、そしてすこし暗い表情になっていう。
「そういえば美夕ちゃんには言っとかないとな」
「どうしたの?」
「いや、大家さんが、このビルを解体しちゃうってので、ここの店はいずれなくなるんだ」
「えっ……」
たしかにこのビルは古い。あとでわかったことだが、築50年を優に超える建物だそうだ。
「できればこの商店街に残りたいんだが、ちょっとどうなるかまだわからない。最悪の場合、実店舗は諦めるかもしれない……」
「……そう、お母さんにも伝えておくわ」
古本屋を出て、駅前広場のベンチに座る。もうすぐ日の沈む西の空は深紅に染まっている。
「山崎さんは、父さんの同級生で」
七海さんには珍しく、ぽつりと語り始めた。
「あのお店は、私が生まれる前からあそこにあって、たまに父さんに連れていってもらったの。思い出の場所ね」
目を細めて、昔を思い出すかのように、夕焼けの下で寂しく微笑む七海さんは、息をのむほど美しかった。部室で変な演技をしてみたりする彼女の、ひょっとしたら誰も知らない一面を見て、心臓が一拍強く動くのを感じる。
「まあ、街なんて、変わるものよね。移転するなら、手伝わなきゃ」
少し不自然にテンションを上げ、立ち上がる七海さん。
俺も彼女に続いて腰を上げるが、一つの疑問が頭をよぎった。
「それなら、お父さんに知らせたほうがいいんじゃ?」
「あれ、言ってなかったっけ」
彼女は振り返って言う。
「別に隠してるわけじゃないけど、父さんはかなり前に死んでるのよ」
「……すみません。こんなこと聞いて」
「別にいいの、言った通りこれも別に秘密にしてないし、当事者は案外ドライに受け止めてたりするわよ」
「そんなもんですかね」
「一年の時のクラスメイトで、母子家庭の子がいたんだけど、彼はそれをネタにするの」
「というと?」
「ツッコミ役みたいな人が『親の顔が見てみたい!』って言うの」
まさか……。
「で、本人は『父親の顔見たことない!』って、なぜか笑顔で返す。ここまでのくだりをよくやってた」
「……それ、どう反応すればいいんすかね」
「わかんない、だからみんな固まってた」
想像するに気まずくなりそうだ。
「なんか、こんなこと聞かせちゃって申し訳ないな、というわけで、一つ、誰にも教えてない秘密を教えよう」
そう言って七海さんは笑う。いたずらをまさに実行しようという、その瞬間の小さな子供のように。俺もそれにつられて笑う。
「なんですか、それ?」
「西浜高校に一人で来た、ほんとうの理由」
「親戚がいるから、ってやつでしたっけ」
「そう、でもそれじゃあまり説明になってないでしょ」
高架のホームを通過する特急電車に一瞬会話を遮られ、そのあと七海さんは言う。
「父さんは西浜高校出身なのよ。それも無線同好会だったらしいの」
今日はどこまで歩こうか 北山南海 @paulraymond
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