勇者と魔王と英雄とサウナ 後編 ③

 戦場に邪竜があらわれる少し前。ユージーンは、ひと仕事終えてサウナに入っているところだった。

(やはり良い……狭い空間ならではの、蒸気の速やかな広がり……持ち主だからといって、わずかな時間独占させてもらったのは、少し申し訳なかったな)

 息を深く吐きながら疲れた体を癒やしていると、突然、異様で巨大な気配を感じた。咄嗟にタオルをつかんでサウナカーを飛び出し、気配の方向を見て、ユージーンは我が目を疑った。

「なんだ、あれは……」

 戦場の反対側、魔族の陣地のほうに、巨大な物体が見える。どろどろとしたタールのような塊が吹き上がり、平野を埋め尽くしていく。天高く伸び上がった醜悪な汚濁は、ともすれば竜のような形にも見えた。そして、その撒き散らす重苦しい魔力に、ユージーンは覚えがあった。

「まさか、邪竜……?!あんな醜いモノが?!ナストーン討伐から1年も経ってないんだぞ?!」

 通常の周期を無視した出現、そしてこれまで見てきたどの邪竜とも似つかない、生物とすら言えないような外見。尋常ならざることが起こっていると判断するのに、時間はかからなかった。

 魔族の陣地は汚濁の波に押し流されつつある。ユージーンは脱いでいた服の中から伝声クリスタルを取り出し、ハラウラに連絡をとろうとした。

「ユージーン!『魔王』は、邪竜を作り出そうとしている!おそらく、『勇者』を倒す、そのためだけに!!」

 手に取ると同時に、クリスタルの向こうからハラウラの声が聞こえた。

「ハラウラ、無事なのか?!ラクリとホロンは、サウナは?!」

「他の様子は……わからない。ごめん、持ち場を離れて……」

「今は、お前が無事でよかった。二人はあとで連絡する。それで、その……」

「詳細は省くけど、おそらくウ族のサウナは邪竜に関する儀式が変化したものだったんだ……それを悪用して、思い通りに動く邪竜を作ったんだと思う。それで『勇者』を倒そうとしている!」

 ユージーンの視界に、邪竜に突撃していく銀色の光が入った。『勇者』だ。しかし、ドロドロの塊はまばゆい光を飲み込み、押しつぶし、見えなくする。そして、際限なく地面に広がっていく。ユージーンは思わず駆け出そうとする。

「……いくらナストーンを倒したユージーンでも、一人じゃ邪竜は倒せない……はやく、逃げて……!」

 息も絶え絶えなハラウラのメッセージに、ユージーンは駆け出そうとする体を止めた。無謀に突っ込んでも、犬死するだけだ。

 ならば、どうすれば?考えをめぐらせるユージーンは、彼女の言葉に何かひっかかるものがあった。

「教えてくれ、ハラウラ。その儀式ってのは、お前の氷みたいに何もないところから、邪竜を出現させるのか?」

「な、なに言ってるんだよユージーン。そんなことより、早く……」

「いいから」

「……核がいる。ボクの氷の魔術だって、空気中の水分を核にして、そこに魔力を……あっ」

 通常の魔術の延長線であれば、いくら大量の魔力があっても、無から有を生み出すことはできない。氷を作るには水が必要だし、邪竜を作るには邪竜の元になる何かが必要なはずだ。

「ユージーン!!」

 ハラウラの言葉を最後まで聞く前に、ユージーンはサウナの中に駆け戻っていた。

(以前、ハラウラが言っていた。水には、感情や魔力が溶けこむ、と)

 なみなみと水の入った桶をつかむ。

(ならば、俺たちのサウナストーブには……)

 そしてそれを、思い切りストーブの根本めがけて、ありったけの思いを込めて、ぶちまける!

(みんなの、思いが……願いが、祈りが、刻まれているはずだ!)

 大量の蒸気が発生する。その中心に、白く光るものがある。

(応えてくれ、ナストーン!)

 ストーブの熱源として、今までサウナを温めていたもの。

 


◆◆◆


 サウナは、祈りだ。


 サウナは、傷を癒やさない。腹を満たすわけでも、体を強くするわけでもない。

 ただ、温かい蒸気と熱で包み込み、冷たい水風呂で頭を冷やす。

 自分と向き合う時間を作り、日常のしがらみから体と心を解き放ち、ほんの少し前向きに、心をととのえてくれる。

 だから人は、例えそれが大した意味をもたなくとも、なんの利益にならなくとも、サウナに入る。

 今日までの疲れやモヤモヤ、ストレスをリセットして、明日が少しいい日になるように。明日を少し楽しめるように。

 だからサウナは、いつだって前向きな、明日への祈りなのだ。


◆◆◆


 ナストーンの鱗から、立ち上った魔力が蒸気をのみこんで、開け放たれたサウナカーから空へと伸び上がっていく。邪竜の汚濁に飲み込まれかけた、もうひとつのストーブからも、共鳴するように白い光の渦が巻き起こる。

 2つの光は戦場の空に舞い上がり、絡み合って……白い影を作り出した。

 それは、吹き上がる汚濁の邪竜に比べて、か細く薄く、弱々しいものだったが。光り輝く、竜の姿をとっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る