勇者と魔王と英雄とサウナ 後編 ②

 氷の礫が地面に突き刺さり、氷河のような壁は無残に削りきられ、何本もの氷の剣が折れ転がる。

「【魔族、滅ぼすべし……】」

 片膝をついたハラウラの前には、無傷の『勇者』が立ちはだかる。銀色の魔力が溢れ出し、その瞳を白く輝かせる。槍の矛先は、まっすぐにハラウラの心臓に向いていた。

「くそお……」

 ハラウラはぼろぼろの体に最後の力を振り絞り、氷の魔術を行使する。

(たしかに、ボクはこれを止めることに命を賭けるつもりだった。でも……それは完全に間違いだった。傲りだった!……こんな生き物がいていいのか?!)

 氷の魔術は、召喚する氷の大質量による攻撃・防御が特徴とされるが、ハラウラのように並外れた魔力を持つ魔術師のみが成し得る奥義が、極低温の空間そのものの召喚だ。あらゆる生物の熱を奪い、動きを封じる極低温……そのとっておきも、『勇者』は一切意に介することなくハラウラに突進し、脇腹を大きくえぐり取った。

(逃げなくては……ユージーンにこのことを、伝えなくては。ユージーンがどれだけ強くても、コイツと敵対すべきではない!無事ではすまない!)

 魔族の体の丈夫さに感謝しながら、逃げ出すための最後の隙を作り出すべく、鋼をも防ぐ氷の多重防壁を展開する。それが槍を防いだ一瞬で、なんとか逃げ出して……できなければ、文字通り無駄死にだ。

「【終わりだ】」

 ハラウラが『勇者』を見据え、槍をふりかぶるのにあわせて全ての魔力をあつめた、その時。


 ぞわ、と全身の毛が逆立った。空気が一瞬で変わった。


「【脅威判定更新】」

 『勇者』は一言そう言うと、ハラウラなど最初からいなかったかのように、平野へと一直線に突進していった。銀色の魔力の軌跡を残して。

 命の危機から脱出することになぜか成功したハラウラは、深い息をもらしながら地面に尻もちをついた。しかし、安堵している暇はない。戦場を覆い尽くし、離れた場所まで届くほどの禍々しい気配。

「……そうか、そういうことか。なんてことだ……」

 ハラウラは、散らばった荷物をいそいでかき集め、伝声クリスタルを探す。あちこち血がでている体をひきずって。傷口を塞いでいた氷も、魔力切れで少しずつ溶け出していた。

(儀式、水、魔力、マ族の調査、ロウリュ、そしてサウナ……全てが、こんな形でつながるなんて)

 血に濡れた手で、茂みに落ちた伝声クリスタルを手に取り、その先でユージーンが聞いていることを信じて、ハラウラは声をあげた。

「ユージーン!『魔王』は、!おそらく、『勇者』を倒す、そのためだけに!!」


――


 少し前、『勇者』が突撃してくる報を受けた魔族の陣。『魔王』は、到着の予想時刻を聞きながら、楽しげに唇をゆがめた。

「誘導と隔離には失敗、か……仕方ない、次の策を使うとするか」

「えー、もういいじゃろ。あんな物騒なモノ、放置して帰りたいのじゃ」

 膨大な魔力の接近に、露骨に嫌そうな顔をするショチト。

「よく考えろショチトよ。どうせあの『勇者』は、無限に近い魔力で永遠に魔族を狩り続ける。ここで処理しておかないと、後々苦労するのはお前だぞ?」

「うーん、それはそうなのじゃが……」

 『魔王』が側近に合図をすると、側近たちは重厚な箱に入った何かを彼女の前に引き出した。乾ききった肉のようにも見えるが、未だにそれは不気味に脈動している。まるでまだ生きているかのように。

「母上、そいつは?」

「邪竜の心臓」

「ゲェーッ!キモっ!」

「そう言うなショチトよ。これがあのにっくき『勇者』を倒す秘策なのだからな」

 邪竜。不定期に発生し、厄災をもたらすもの。名前に反して、生態は一般的な竜とは程遠く、一種の魔術的な災害とされている。そして、その体の一部は、討伐されたあとも性質を保ち続ける。

「100年前、眠りにつく前に私は部下に2つの指示を出した。ひとつは、邪竜の死体の一部を確保すること。もう一つは、その発生時期と地点を記録しておくこと……どちらもうまくいき、私の仮説は立証された…………」

 『魔王』は、ちらりとショチトを見た。

「な、なんじゃその仮説というのは」

「よくぞ聞いてくれたな!邪竜の発生は、邪竜の死体の一部に、人間や魔族の感情が――一般的には負の感情が蓄積して起こるのだ。発散された感情が魔力となって、水の循環に乗って雨や地下水に混ざり……そしてどこぞに飛散した死体に、長年かけて蓄積した結果、邪竜が現れるのだ」

 ショチトは『魔王』の説を聞きながら、ものすごく嫌な予感にかられた。

「基本的に負の感情は多種多様で、総合するとあらゆることへの不平不満となるから、邪竜はあらゆる方面に厄災を撒き散らす……もうわかるだろう、聡明な我が子よ」

「……最悪じゃな……。それ、ワシの前でやらんでくれ。外に出てくる。ハラウラがサウナやってるっちゅうからのう」

「好きにするがいい」

 外に飛び立っていく娘を見送りながら、『魔王』はどす黒い液体の入ったビンをかかげる。

「『勇者』に殺された同胞たちの最後の血だ。これで邪竜を生み出し……『勇者』を始末する!」

 ねっとりとした液体が、心臓に向かってどぼどぼと浴びせられる。干からびていた肉片が徐々に動きを増し、禍々しい魔力が膨れ上がる。どろどろとした何かがあふれだし、巨大な竜の形をつくりあげていく。虚無から発せられる地響きのような唸り声に、『魔王』の高笑いが重なる。

 邪竜が、戦場にあらわれた。

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