勇者と魔王と英雄とサウナ 後編 ①

 ――声が聞こえる。

 遠くから、近くから、あらゆる方向から、私を求める声が聞こえる。人間の、助けを求める声が。

 私を求める声に従って、槍を携え、大地を駆ける。それは、私がこうなる前から……『勇者』と呼ばれ始めた頃から、変わらないことだった。しかし、今は違う。私に宿ったが、この世界のあらゆる場所から、人々の声を聞くことを可能にした。あらゆる場所に駆けつけられる速さと、あらゆる敵を打ち砕く強さを私に与えた。代わりに、人間らしさの大部分を奪われたのは少し寂しかったが、それでも私はよかった。

 あの時――ユージーンと私が、とある遺跡を冒険して、巨大な魔族に殺されかけた時。私が、そのように願ったからだ。

「魔族を倒し、人を守る力を」

 あの時は確かに必死で、どんな代償を払うのであれ、自分とユージーンが生きて帰れるのであればよいと思っていた。今となっては少しぼったくられたとは思うが、選択自体に後悔はしていない。そう、頭の片隅に残った私の領域で考える。

【救援要請補足。救援要請補足。急行せよ、疾駆せよ。己が役目を遂行せよ。汝は『勇者』なり。魔のことごとくを滅ぼすものなり。助けを求める声のある限り、汝に休息はないものと知れ】

 遠くに、大きな戦いの気配と、人間たちの声。フィン王国の方角だ。気づかないうちに、随分遠くまで来てしまったから――最短距離で、駆け抜けるしかない。そうして、森を切り開き、山を打ち抜き、向かっていった先で……その魔族は、私の前に立ちはだかった。たった一人で。あの男の、ユージーンの気配を纏って。


――


 『勇者』の前に、ハラウラは立ちはだかった。高速で接近する彼女の足を、氷の魔術で地面に縫い付け、その動きを一瞬止めたのだ。

「……悪いけど。このさきは行かせられない」

 ハラウラは、『勇者』を見据えながら言った。『勇者』は足元の氷を得物の槍で砕くと、ぞっとするような視線でハラウラを睨んだ。体全体から、銀色のオーラを立ち上らせている。高密度の魔力が溢れ、実体化しているのだ。

「【魔族。滅ぼすべし……】」

 ハラウラには魔術師としての戦闘の経験も多い。だからこそ、目の前のモノの戦闘能力の高さがわかる。明らかに、人間の枠を超えていた。山を貫き、国の領土を一瞬で駆け抜けてきたことが、ただ単純にその異常な体力故だと、ハラウラにはわかっていた。

(だとしても)

 氷の巨大な壁を作り出しながら、ハラウラは睨みつける『勇者』を見据えた。そしてその時、彼女の雰囲気が少しだけ変わった。

「……お前、ユージーンの……」

 人間の声だった。さきほどの冷たい声とは違う、対話が可能な人間の声だった。このまま戦闘になるかと身構えていたハラウラは拍子抜けだった。溢れ出ていた銀色の魔力は、彼女の中に押さえ込まれているようだ。

「ボクは、ウ族の魔術師・ハラウラ。ユージーンと仕事しているが……なぜわかった?」

「アタシがアタシでいられる時間は少ない。質問させてくれ」

 ハラウラの質問には答えず、『勇者』は――モーガンは続けた。

「どうしてアタシの前に立つ?死ぬぞ」

「言ったろう……キミを戦場にいかせるわけにはいかない」

「何故だ?」

 簡潔に問いかけるモーガン。圧倒的な力は抑え込んでいるものの、その目にこもった殺意に変化はない。ハラウラは、後退りしそうになる足をこらえて、答える。

「ユージーンのためだ。ユージーンは、きみのために風呂をつくって待っているんだよ。風呂が好きだったきみのために……戦場にきみがたどり着けば、きっと彼と戦うことになる、そんなの……」

「違う」

 モーガンの発する言葉には、得体のしれない圧力があった。すでに、少しずつ銀色の魔力が漏れ出している。

「魔族のお前が、人間のために命を張る理由を聞いている。アタシの前に立ちはだかった勇気に免じて……殺す前に聞いておいてやる」

 ハラウラには、圧倒的な実力差がわかる。生存本能が、逃げ出したいと足を震わせる。それでも、ハラウラは、耳を伏せ、歯を食いしばり、声を振り絞って答えた。

「……それ以外に何が要るんだッ!!」

 氷の壁がハラウラの後ろに形成されていく。バキバキと音をたてて、空気が凍てついていく。ナストーン討伐でも見せたことのない、ハラウラの全力だった。ウ族の里から追放される原因になるほどの、逸脱した氷の魔術。『勇者』の道を阻むように、それが展開していた。

「行かせるものか、『勇者』ッ!」

「そうか……ならば、轢き潰すのでなく、此の場で叩き潰してくれる。せいぜい足止めしてみせろ……魔族ッ!」

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