勇者と魔王と英雄とサウナ 前編 ③

 客のいない男性用サウナの中では、ナストーンの鱗を熱源とするストーブがちりちりと熱を発していた。

 ユージーンはそれに水をかけ、一気に熱くなる室内と、蒸気の音を楽しむ。

「……ふう……」

 熱が頭上からゆるやかに降ってくると、息を吐きながらそれを背中で受け止める。ストーブにかかった水の残滓が、蒸発する間に鳴くような音を立てる。この音と熱に集中すると、脳内でループしていた思考が、体全体の感覚の中に埋没していくような気がする。人間は、肉体的な刺激の中で、思考することが難しい生き物なのだ。思考が行き詰まった時ほど、サウナが効く状態はない。

(……クラウスは元気にしているだろうか)

 ユージーンは、司祭クラウスのことを思い出していた。彼がサウナを勧めて、自分と向き合う機会を与えた男だ。あれから店には来ていないが、その後教会からの追求がなくなったことを見ると、どうやら裏で手を回してくれているらしい。昔から、そういう根回しも上手な男だった。

 熱が少し落ち着いたので頭を上げると、さわやかで少し甘い匂いが鼻をくすぐった。サウナ室内の桶には香油が混ぜられ、香りを楽しめるようになっている。リラックスさせたり、呼吸を楽にしたりなど、様々な効果もあると、キ族の薬師ササヤが言っていた。

(ササヤとメッツは、楽しくやっているみたいで、よかった)

 キ族の知識と、錬金術師の科学的な実験で、二人は様々な新しい薬品を作り出していた。香油も種類が増え、アウフグースとあわせて『みなの湯』の女性人気に一役買っている。セレーネとショチトも、新装開店で訪れた際に、様々な香りを楽しそうに試していた。

(あの二人……人間と、マ族の姫。良い友だちになっていた……傷つけ合うことにならないといいが……)

 彼女たち二人が、種族を超えて友人となったように。『みなの湯』のルール、「サウナの中では種族・性別・身分を問わず、みな平等である」という考え方は、ここでは成り立っていたのだ。人間と魔族の融和などと、大それたことを考えていたわけではないが……少なくとも、ここでは。全員がサウナの中で、平等だった。

「いいサウナになった。いいサウナに、なってくれた……」

 もう一度ストーブに水をかけながら、今まで出会った人、『みなの湯』に来てくれた人、改装に携わってくれた人のことを思い出す。みんなが笑っていた。みんなが安らぎを得ていた。

「……戦う以外に能のなかった俺に、ついてきてくれる者がいる。知恵をかしてくれた者がいる。ここにやってきて、人間と魔族の知恵があわさって、こんな大きな施設になった」

 サウナ室に充満する熱気の中、ユージーンは汗をぬぐい、顔をあげた。

「『誰にでも安らぐ権利がある』。俺は、サウナでずっと、それを貫いてきた。だったら、やはりサウナしかない。サウナで、人間にも魔族にも安らぎを届ける。俺がやりたいことは、それだ」


 サウナから出ると、ユージーンは、従業員たちを集めた。ハラウラ、ラクリ、ホロンの三人と、誰もいない休憩スペースで『オーロラポーション』を飲みながら、口を開いた。

「……今、魔族と人間の戦争が起こっている。この状況だ、『みなの湯』にこないのもムリはないだろう」

「うん……まあ、そうだろうね」

 ハラウラは牛乳を両手ですすりながら、若干うつむいて答える。

「それに、戦場は、過酷なものだ。戦っている兵士は辛いだろう。人間も魔族も……誰にでも安らぐ権利がある。それを、サウナで実現したい……俺は、やはり、諦めたくない。協力してくれるか」

 ユージーンは、そう言って頭を下げた。いつもよりも真剣な表情だった。

「……もちろん、ボクはどこにでもついていくよ。この命は、主人に助けてもらったものだ……仮に、魔族全体と対立することになってもね」

 大きな胸を張って答えるハラウラに、ユージーンは深くうなずく。そして、残る二人を見た。

「ラクリ、ホロン……お前たちが『みなの湯』に加わってくれたのは最近だ。ムリにとは……」

「何言ってやがる!」

 ラクリは机をドンと叩いた。ホロンも同じく机を叩こうとしたが、ラクリが制した。

「確かにここに来てからは短いけど……俺たちは『みなの湯』に来て、はじめて自分の力を誰かのために生かせたんだ。それが、すごく楽しかった……だから、ユージーンがムリといっても、ついていくぜ!」

「……ありがとう……!」

 ユージーンは、二人に頭を下げた。彼がそこまで頭を下げるのは珍しいので、二人は少し驚いた。

「でも、どうするんだい……?」

「まだ、具体的にはわからない、が……考えがある」

「……?」

 ホロンが首をかしげる。

「サウナを、。戦場に」

「な……なんだって……?」

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