勇者と魔王と英雄とサウナ 前編 ①

 その日、ユージーンが起き出すと、外はうっすらと雨が降っていた。

「おはよう、主人……交代だね」

 夜の間カウンターに立っていたハラウラが、交代のために眠い目をこすりながら出てきた。

「夜の間、何もなかったか?」

「うん……ちょっと何もなさすぎるぐらい、誰も来なかったよ」

 ハラウラがカウンターの上の台帳を指差した。前日の夜のページは白紙で、客が一人もいなかったことを表している。普通、夜は魔族の活発な時間帯なので、深夜から夜明け前にかけては少なからず客が来るものなのだが、ここのところ目に見えて数が減っていた。

「わかった。お疲れ様」

「うん、おやすみ……」

 ハラウラと入れ替わり、カウンターに立つユージーン。台帳をめくり、難しい顔をした。

 新装開店以来上り調子で客を増やしてきた『みなの湯』で、そろそろ新しい従業員を雇うか、あるいは使い魔を追加発注するか、と悩んでいたのが2週間ほど前。そこから今日に至るまで、顕著な勢いで客の入りが減っているのだ。収支の管理を手伝っているホロンも、長い毛皮の下で困った表情をしていた。

 原因は、少なくとも『みなの湯』側にあるのではない、とユージーンは考えている。目立った不満の声もトラブルもなく、新装開店から今まで客が増え続けていたのがその証拠だ。

(やはり一度、街のほうで何か起こっているか、確認したほうがいいか……)

 アミサやセレーネ、それに街にいる知り合いに連絡を取る方法をぼんやりと考えていると、膝のあたりと叩く手があった。

「ユージーン、ちょっといいか」

 ラクリだった。ホロンも後ろにいる。客が少ないので、彼らには設備の点検と清掃をお願いしていた。

「何だ、設備に不具合があったか?」

「いや、違うんだ……ちょっと、知らせたいことがあって」

 いつになく深刻な調子のラクリに、ユージーンはうなずく。

「……ネ族の使っている『伝声クリスタル網』は知ってるか?」

「知らん」

「なら、そこから説明する。声を遠くに伝える『伝声クリスタル』ってのがあるだろ。中でも遠くまで届く高品質なのを使って、群れ同士が連絡をとることがある。たとえ普通なら届かない距離にある群れ同士でも、その途中にいる群れが中継すれば、すごく遠くまで連絡をとることができるんだ」

 ネ族はク族と並んで最も多く分布する魔族の一種であり、クリスタルの採掘と加工に長けている。『みなの湯』のクリスタルの多くも彼らから仕入れたものだった。

「便利だな……それで?」

「俺は群れにいたとき、この『伝声クリスタル網』の整備に関わってた。その時、群れのクリスタルの一部を拝借してきて……その欠片がここにある。これだけ小さいと普通は聞き取れないほど音が小さくなるけど、俺の作った『スピーカー』で増幅してやれば聞き取れる」

「つまり、お前のいた群れが他の群れとどんなやりとりをしていたか、盗み聞きできるわけだな」

 ラクリは頷いた。

「で、ここんとこやけにやりとりが多いから、少し聞き耳を立ててみたんだが……どうやら、マ族が『人間狩り』を始めたらしいんだ」

「……そういうことか……」

 ユージーンは険しい顔でうつむいた。マ族の『人間狩り』が始まったとあれば、それに従う魔族の客足も、それに対抗する人間の客足も滞るというわけだ。なにより、『みなの湯』は魔族と人間を区別しない。そこに恐れを感じて来るのをやめる人間がいても、おかしくはないだろう。

「……!」

「今までの『人間狩り』と違う、か。うん、確かに俺もそれが気になってた」

「どういうことだ」

 ホロンの言葉に、ユージーンは聞き返す。

「今回の『人間狩り』は、いろんな場所で同時に起こっている。北から南まで、幅広くな……そんなの初めてなんだよ。そのへんのマ族が、近くの他の種族を集めて、近くの人間の街に攻め込む、いつものやり方と違うんだ。もしかしたら……」

「ただの狩りではなく、……ということか」

 以前、暗殺司祭クラウスから聞いていた話とも符号する。今までマ族は、『勇者』モーガンとの正面衝突を恐れ、小競り合いを起こすにとどめてきていたようだが、どうやら本格的に行動を起こすらしい。

「ここ、魔族と人間がいっしょに入るだろ。俺はそれ、大好きだけど。こういうことになると、さ……」

 ラクリがらしくなく、歯切れ悪くつぶやいた。ユージーンは「少し考える」と言い、礼を言って彼を下がらせた。

「……教えてくれ、モーガン。俺はどうすればいい……」

 窓の外の雨は勢いを強めていく。遠くの空では雷が鳴り始めた。

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