暗殺司祭、サウナを視察する ⑤(終)

 外気浴を経て、クラウスは、自分の感覚を取り戻していく。

 ひたすらに教会の汚れ仕事を引き受け、自らの身体を酷使していくうちに、彼の感覚は摩耗していった。魔族を殺していくうちに、自分の体や精神も殺してきたのだった。

(……選んだ道が間違っているとは、思ったことはない)

(だが……体のほうは、ずいぶん消耗していたようだ……)

 サウナの中で、やわらかな湿度と熱がもたらした快感。水風呂に身体の神経がひきしめられ、同時に熱から解放される快感。それらとともに、今まで感じないように制御していた疲れや痛みが、じわりと体の奥から滲み出すように感じる。

(痛みも、辛さも、仕事には不要なものだった。だから、心が動かなくなったのか)

 クラウスは息を吐いた。肺の動きにあわせて、骨や筋肉がきしむのがわかる。

「『そのほうが気持ちいい』か……」

 ユージーンの言葉が、先程までのクラウスにはよくわからなかった。しかし、今ならわかる。徐々に動きはじめた感覚が、これはと告げている。

(さっさとすませて帰るつもりだったが、もう一周、いってみるか)

 自分の快感のために動いたことも、覚えていないほど久しぶりだった。だが、今はそうしたいと思った。クラウスの顔に、少し人間らしい笑顔が戻った。


「……どうだった」

「魔族がいるのも発見できませんでしたし、一概に教義に反するとは言えないようですね、不服ですが……」

 夜風が吹く下、露天スペースに戻ってきたユージーンと、3回のサウナサイクルを終えたクラウスが話している。クラウスの頬には赤みがさし、肌に血色が戻っていた。

「そうじゃない。気持ちよかったか聞いているんだ」

「……はい」

「ならよかった」

 クラウスは、ユージーンが目を細めて笑うのを初めて見た。

「今日のところは、『持ち帰る』ことにします。そうすれば、しばらく本格的な追求はないでしょう」

「意外だな。お前が失敗したとなれば、次は僧兵の本隊か王国騎士団が来ると思っていたが」

「それどころではないんです、本隊は」

 クラウスは少し迷ってから、言葉を続ける。

「……に動きがあったんです」

 その単語に、ユージーンの表情が険しくなった。

「『人間狩り』、か……」

 マ族――人間の天敵。個体数は少ないものの、ウ族やネ族など他の種族に強い影響力を持ち、統率した異形の集団を作り上げる。その目的は、人間を襲い、食らうこと……人間はこの異形の集団を恐れ、まとめて魔族と呼んだ。

「はい。ですが、それだけではありません。今は、人間を襲えば『勇者』が現れます。だから、ここ最近は小競り合いですんできました。ですが」

「……まさか、モーガンを倒す算段が、奴らにあるというのか?!」

「まだわかりません。が、そうだとすれば人間全体の危機です」

 クラウスは水を飲み干すと、立ち上がって言った。

「許せないことですが……このサウナで、人間と魔族が交流し、平和に過ごしているとして。ユージーンさんがそれを望んでいるとして。マ族が本格的に動けば、いとも簡単に均衡は崩れます。気をつけてください」

 更衣室に向かうクラウスの背中を見送りながら、ユージーンはつぶやく。

「誰にでも安らぐ権利がある……だが、実際にそうするのは、難しいことだな……」

 

 クラウスが帰ったあと、姿を隠していたハラウラが戻ってきた。

「マ族か……。ほんとうだとしたら、大変だね……」

 ユージーンが事情を話すと、ハラウラは目を伏せ、耳がぺたりと垂れた。

「戦争になるのは、できれば避けてほしいところだが……そうも言ってられないだろう。まったく……クラウスもあいつも、いつになったら安らげるんだろうな」

 ハラウラは知っている。『あいつ』というのが、勇者モーガンであることを。そして、その『勇者』に安らいでもらうために、このサウナを作ったということを。ユージーンには、彼女の話題になる時だけする表情があることを。

「……ハラウラ、もし」

 ユージーンがそこまで言いかけたとき、ハラウラの小さな手が彼の口をふさいだ。

「言わないでよ、主人……ボクはなにがあっても、それこそ魔族も人間も敵にまわっても、きみについていくよ」

 ユージーンは少し面食らったあと、ハラウラを抱きしめた


 『サウナ&スパ みなの湯』。追放された元英雄と、小さな魔族が営むやすらぎの場所。人間も魔族もやすらぎの蒸気で包み込み、今日も営業を続けている。

 しかし、彼らを取り巻く状況は、少しずつ変化していく。大きな戦争が起こるのは、もう少し先の話。


異世界で追放されても、サウナさえあれば幸せです ―できれば水風呂と外気浴スペースもつけてください―

『暗殺司祭、サウナを視察する』 終


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