暗殺司祭、サウナを視察する ④

 2回めのサウナ。最初よりも熱気に慣れ、体温が下がった状態から開始となるため、二人は長くサウナ室に入っている。

「……だから、おれはここを開放しているだけで、人間と魔族を無理やり近づけているわけでも、魔族にだけ特別に便宜を図っているわけでもない」

「でも、実際魔族と人間がここで出会っているわけでしょう」

「それなら、教会は森や湖を取り締まるのか?」

「それとこれとは話が別でしょう」

 ユージーンとクラウスの主張は平行線だった。

 石に水がかかり、蒸気が立ち上る。二人は同時に息をつく。無言の時間が流れる。

「あそこまでの力があるとは、思いませんでした」

「あんな戦い方をするなら、負けるわけにはいかない」

 クラウスの言葉に、ユージーンが真剣な顔で答える。

「……お前がどれだけ魔族を憎んでいようと、復讐をしようと、おれにとやかく言う権利はない。だが、自分自身をわざと痛めつけるような真似はやめろ。自分を犠牲にして……あいつみたいになるな」

 はっとした表情になり、再び床に視線を戻すクラウス。

「……モーガンさん。あの噂は本当だったんですね」

 かつて共に戦った戦士、『』モーガン。とある事件をきっかけに、『何か』と契約して、人を超えたモノになってしまった。今は教会すらも彼女の行方を完全には把握できていない。噂では昼夜を問わず各地の戦場を渡り歩き、機械のように魔族を討伐して回っているという。

「ああ……これ以上、知ってるヤツに自分を犠牲にしてほしくないんだ」

「……」

 二人は再び無言に戻る。ユージーンのほうが先に立ち上がり、サウナ室の扉を開けた。

「サウナは、自分自身と向き合う時間をくれる。一度、その体と向き合ってみろ」

 クラウスがその言葉の真意をたしかめる前に、ユージーンは外に出てしまった。熱気のたちこめるサウナ室内に、クラウスは一人残された。


 じわり、と体表についた汗をぬぐう。最初の水風呂ほど痛みは感じない。

(体と向き合う、か)

 改めて自分の体を見ると、傷跡や肉のひきつれが多い。骨がいびつに繋がっているところもある。治癒の魔術により回復し、今も機能に問題がないとはいえ、外見までが完全に元通りになるわけではないのだ。心配するユージーンの反応も自然かもしれない、とクラウスは思った。

(そう言えば、最後にちゃんと風呂に入ったのは、いつだったか)

 風呂にゆっくり入っている時間など、自分には必要ない。その時間があれば、自らを鍛え、魔族や異端者を殺すための術を磨くべきだ。そう思っていたので、クラウスは簡単な水浴びだけですませていた。だから、自分の体が思ったより傷だらけなことに、気が付かなかった。

 じりじりと、サウナの熱気が思考を狭めていく。常に研ぎ澄ませ、周囲の情報をかき集めていた神経が、その活動をゆるやかにしていく。息が少し苦しい。汗が吹き出しているように感じる。

(――苦しい?私が?)

 苦しかった。熱かった。どれも久しく味わったことのない感覚だった。仕事の遂行には不要だったからだ。そう言えば、先程外気浴をした時の心地よさも、最後に感じたのは思い出せないほど前だった。何か恐ろしいことに気がついてしまいそうで、クラウスはサウナを切り上げ、水風呂へ向かった。

 外にユージーンはいなかった。ただ、外気浴用の椅子の近くに、水の入ったコップが用意されているのが見えた。クラウスは、ほてりきった体を水風呂に運び、勢いよく冷水に浸かった。

「ふうーーーっ……」

 冷たい。先程と変わらない水温のはずが、はじめて冷たく感じられた。体温が急激に下がり、どくどくと心臓が脈打っているのがわかる。忘れていた感覚。自分の体に、血が流れているのだということを実感する。すると、体中にできた傷に、疼痛のような違和感があった。

(痛い……?痛くはない。冷たい?まだ入れる。気持ちいい?……わからない。これは気持ちいいのか?何故わからない?)

 冷えた血液が脳にめぐる。常に張り巡らされていた思考の糸が切り離され、解きほぐされ、収斂していく。

(ああ、そうか――)


◆◆◆


 サウナで「」とはどういうことか?様々な意見があるだろうが、僕(作者)は『脳の過剰な活動が抑制される』ということだと思っている。

 人間は、常に思考をめぐらせている。意識的か無意識かに関わらず、だ。解けなかったクイズの答えがある時フっと浮かんだりするのは、一度思考に入ったクイズが、ずっと無意識下で処理されているからだ。他にも、眠る前にとりとめのないことをずっと考えてしまったりとか、オフの日なのに仕事のことが頭から離れないとか、そういう経験がある読者も多いだろう。それは溜め込んだ思考が増えすぎ、脳が過剰に活動している状態だ。

 サウナに入ることで、こうした雑多な思考を整理することができる。仕組みはいたってシンプルで、肉体を酷使することで、脳が色々なことを考える余裕をなくしてやるのだ。

 人間の肉体と脳は密接に結びついている。体調がいいと気分もよくなるし、逆も然りだ。これを逆に利用する。肉体のほうをサウナと水風呂という極限状況に追い込んでやると、脳は様々な思考をするだけの余裕がなくなっていく。そうして物事が考えられなくなったあとに、外気浴で休憩すると、余計な思考を止めた状態を作ることが可能なのだ。例えるなら、脳というコンピューターのメモリを占有しているソフトのうち、不要なものを停止して、メモリを解放してやる、という感じだろうか。

 そうすることで、脳の過剰な活動が抑えられ、頭がすっきりする。本当に必要な思考に、脳のメモリをあてることができるのだ。これが、「」状態だと、僕(作者)は考えている。(もちろん、体温を上下させてディープリラックス状態を味わうのも「ととのい」の一つの側面だが、それがすべてではないのだ!)

 忙しく生活と仕事におわれる現代人に、思考をととのえるサウナは良い影響をもたらしてくれることだろう。そしてそれは、政治的にも肉体的にも気を張り続けていたクラウスにも、気付きを与えるかもしれない……。


◆◆◆

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