劇作家、サウナに憩う ①
「アミサ!ちょっと聞いてますの?アミサ!」
自分を呼ぶ姫の声に、アミサははっと我に返った。
「ああ、スミマセン姫様」
ずれたメガネを直しながら、アミサは姫に頭を下げた。
「これじゃ、いつもと立場が逆ですわね。一度休憩しましょうか?お茶でも入れさせましょう」
フィン王国の三番目の姫、セレーネは、本を閉じて召使いを呼んだ。
メガネの女、アミサは、彼女の家庭教師として、歴史や地理、世間の様々な文物について教える一方、劇作家としても活動していた。貴族や王族の間では、著名な学者や劇作家を子女の家庭教師として迎えるのが、ひとつの格式とされていた。
しかし、姫にとっては教師というよりも、物知りな年上の友人、といった様子で、普段から勉強の合間にいろいろなことを話していた。
アミサはため息をつきながら、自分の長い赤毛をくるくると指先で弄ぶ。
「こちらで雇っていただいて、身に余るほどのお給金をいただいているのはありがたいのですがねえ……長いおやすみがなくて取材旅行にいけず、アイデアが浮かばんのです」
アミサがセレーネに教えている知識の多くは、貴族である実家の財力とコネを使って、取材旅行という名の放蕩旅行を繰り返した結果、各地で蓄えたものだった。
「そんなことを言って、また異国の美男子を探したいだけでしょう」
「エヘ、まあそうなんですが……」
彼女の場合、各地で結婚相手の美男子を探し回っていた経験がもとになっているので、その知識には偏りが少なからずあった。だが、劇作家としての社会への観察眼はたしかなものだし、物語のようなおもしろい講義は、セレーネには好評だった。
「ああ、美男子が見たい……美男子のハダカ……なんて秘めやかで美しい……ねえ姫様、なにか刺激になるようなこと、ご存じないですかあ?」
セレーネは「この癖さえなければ、美人で博識で引くて数多だろうに」と思ったが、それはつつましく胸のうちにしまった。と同時に、彼女の刺激になりそうなことを一つ思い出した。
「……美男子がいるかどうかはわからないけど、気分転換になりそうな場所なら」
そして今、アミサの腕にはセレーネから借りた『鍵の腕輪』がある。一見護符のようなもののついた素朴な腕輪だが、バンドの部分は伸び縮みする螺旋状の素材(おそらく『ゴム』だ、とアミサは気づいたが、そんな珍しい素材がなぜ使われているかまではわからなかった)でできていて、護符のような部分には数字の刻印がある。護符の下には金属製の鍵がしまわれている。
セレーネが言うには、この鍵を扉に差し込むと、『みなの湯』なる場所につながるらしいが……アミサは半信半疑で、自室の扉の鍵穴に鍵を挿し、回した。かちり、と噛み合ったような音がして、扉が開く。
「うわ、ホントだ……」
「いらっしゃい」
扉の向こうは、本来つながっているはずの外ではなく、どこかの屋内だった。目の前にカウンターがあり、その向こうには大柄な男が立っている。男はアミサの腕輪に目をやった。
「見ない顔だな。どうやってそれを手に入れた」
「あ、コンニチワ~。ええっと、姫様から借り受けまして……」
「ああ……そういうことか」
男はアミサの身なりや、精巧な眼鏡を見て物取りの類ではないと判断したようだ。一方アミサの方はと言えば、眼鏡をかけ直して男の姿を見分しはじめた。
「入浴か、宿泊か……おい、何をじろじろ見ている」
「ユージーンさんですか?」
「……入浴か、宿泊か?」
アミサはカウンターにつめより、男の顔をまじまじと見上げた。
「いや、ユージーンさんでしょ。『一人陸軍』のユージーンさん。私が男性の顔を見間違えるはずがないもん。タイプじゃないけど。ほら、以前シント防衛戦の祝勝会で、いろいろ聞かせてもらったじゃないですかあ」
一方的にまくしたてるアミサに、その様子からユージーンは以前会った時のことを思い出したようだった。
「あの時の劇作家か……」
「アミサって呼んでくださいよぉ、いっしょに一晩過ごした仲じゃないですかぁ」
「バカ、誤解を招くようなことを言うな」
すりよってくる女を、ユージーンは片手でめんどくさそうに制する。するとその背後から、不思議な声が聞こえた。
「主人……そのひとは……知り合いかい……?ずいぶん、仲良しそうじゃあないか……ボクにも聞かせてくれない……その時の話……」
ユージーンの背筋が、パキパキと音を立てて、文字通り凍りついていく。冷気の魔術を放っているのは、深いフードで耳を隠した女――ウ族の魔術師、ハラウラ――だった。
「あら、ユージーンさん、お子さんがいたなって知りませんでした!お相手は?」
「ねえ、主人……知ってる人なら、歓迎しないといけないじゃあないか……教えてよ……」
「わかった、話す、全部話すから」
もう何もかも面倒になって、ユージーンはアミサを店に招き入れることにした。
「なるほど、つまりユージーンさんは、そちらのウ族のお嬢さんといっしょに、このサウナ?なる施設をやっていると。いやあ、事情通から魔族をかばって追放されたとは聞いていましたが、まさかそんな面白いことになっているなんて!」
コーヒーに遠慮なく大量の牛乳と砂糖をいれながら、アミサは目を輝かせた。
「きみ、ボクが魔族と聞いて、びっくりしないんだね……」
ハラウラは、アミサのことを不信そうに見つめながら、彼女から砂糖壺をとりあげた。
「しませんよお、別に。表向きにはすべての人間国家が魔族と対立する同盟を結んでますけど、南洋のドネシア群島やら極東のジンギス帝国やら、中央からはずれるほどそのへんは曖昧になってますからね。民衆はみんな上手くやってるんですよ。あ、これお菓子です。ハラウラちゃんだっけ?お菓子好き?これね、『ショートケーキ』っていうんだけど」
「わぁ、お菓子……!」
包みを手渡されたハラウラは、耳をピンとたてて、中から取り出したケーキを手づかみで頬張りはじめた。
「むぐむぐ……主人、いい人じゃないか、この人……ボクは誤解してたみたい。一晩中キミを取材して、英雄譚を劇にしてくれたんだろ……むぐむぐ、ふふふ、ほっぺたが落ちそうだ……」
菓子ひとつで簡単に懐柔されたハラウラ。街に買い物にもめったに行けないので、菓子はなかなか食べられないのだ。
「そう!おかげでイイ作品がかけました!お客にも大好評で。特に、『英雄』ユージーンと『勇者』モーガンが、戦いの中で美男子どうし愛を誓い合うシーンが!」
「やめてくれ、本当に。俺もモーガンも、そのせいでひどい噂になったんだから」
当時を思い出して、ユージーンは露骨に眉をひそめた。アミサはそんなことおかまいなしで、帳面に今まで聞いたことをしたためはじめる。
「ここのことを街で広めるつもりか?やめておいたほうがお互いのためだ」
「そういう可能性もありますねえ。私でも私の想像力がどんな方向にいくかわかりませんし……あ、だったらこういうのはどうです」
アミサはペンで自分の髪をまきながら、この施設の直接的な描写を避けるかわりに、取材の提案をした。ユージーンは、しぶしぶその条件を呑んだ。
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