セレーネ姫、サウナでととのう ⑤
セレーネが『みなの湯』に来る1年ほど前。フィン王国の王城、謁見の間にて。
北方サウ山脈に住む邪炎竜ナストーンを討伐した騎士、ユージーンが凱旋し、フィン王に成果を奏上していた。しかし、騎士の一言によって、謁見の間の空気は凍りついていた。
「今、なんと申した」
「魔族の殺戮をやめていただきたい、と。『なんでも褒美をとらす、望むなら娘と結婚も許す』と、ご自身でおっしゃったではありませんか」
「……貴様の功の大きさを鑑み、一度はその妄言を許そう。真意を申せ」
フィン王は、わけのわからないものを見る目で、救国の英雄を見下ろした。
ユージーンは、帯同していた魔術師に目配せをする。魔術師が頭を覆っていたローブを脱ぐと、謁見の間に動揺が広がった。小さな体に兎の耳。明らかに魔族の風体だった。
「この者は、ウ族のハラウラ。こたびのナストーン討伐の最大の功労者であり、彼女の氷の魔術なくして任を遂げること叶いませんでした」
護衛の兵士が王と騎士の間に割って入り、現れた魔族の動きを警戒する。ユージーンはそれを意に介することなく、喋り続ける。
「北方サウ山脈の周囲は、ご存知の通り魔族の縄張りです。かかる地を抜けんとする私を、多くの魔族が支援してくれました。彼ら・彼女らの助けなくして、私はここにおりません。褒美というならば、私のみでなく、魔族の全てに」
謁見の間のどよめきはおさまらない。
そもそも単騎でのナストーン討伐は、英雄視されている成り上がり騎士、ユージーンを疎んだフィン王が課した無理難題だというのは、この場の全員が暗に知るところだった。任を辞せば彼の名誉は地に落ち、引き受けて死ねば魔族掃討の旗印になる。しかし、無傷で帰還するのは、完全に王の思惑の外だった。
王は苦虫を噛み潰したような顔をして、言い放った。
「……騎士ユージーンは、魔族の呪法により狂を発した。騎士の任を解く故、疾く失せよ」
「陛下」
「失せよと言っている。ここで汚らしい女魔族とともに切り捨てぬことを、王の海より深き慈悲と心得よ」
「……きっと後悔する時が来ます」
ユージーンは剣を置き、ハラウラとともに謁見の間をあとにする。その背中に、王は最後の言葉をかけた。
「剣しか知らぬお前が、この先どう生きようというのだ」
ユージーンは、振り返らずに言った。
「そうだな……サウナでもやるさ」
それ以降、絶大な武勲をあげた騎士ユージーンは、歴史から姿を消した。
――
時は戻り、場所は『みなの湯』入り口。
「ユージーンだと?『邪炎竜殺し』『一人陸軍』『生きる防衛線』の英雄『絶界のユージーン』だと?え、英雄の名を騙る不届き者、成敗してくれるッ!」
「……吠えてないで、来たらどうだ」
喚き立てる兵士の隊長は剣を抜き、しかしそれ以上間合いを詰めることができない。兵士たちは6人、圧倒的な数的優位にも関わらず、誰もがここを押し通る自分を想像できないのだ。見えない壁に阻まれるが如き、隙のない防御。界を絶つという二つ名は伊達ではない。
「隊長、これでは……」
「王国兵士の精神を見せろッ!行くぞッ!!」
隊長は不安げな声の兵士を一喝し、それを合図に6人の兵士がいっせいに、ユージーンを囲むように襲いかかった。
しかし、囲むことはできなかった。踏み込んだ瞬間、1人が武器を失い、1人が吹き飛ばされ、1人が地に叩きつけられていた。隊長は、一瞬で自分の周囲から部下が消え、我が目を疑う。
「……どれだけ戦力差があって、負けるとわかっていても、戦わなければならないし、部下にもそうさせなきゃならない……いやな仕事だ。俺にも覚えがある」
兵士の一人から奪った盾で、たやすく残りの3人を受け止めながら、ユージーンは陰鬱につぶやいた。
「まあ、俺は負けたことはないが」
そして、盾でその3人をはらいのけた。鎧を着た屈強な兵士3人を、盾を持つ片手のみで。
「ぐうっ……まさか、本物……?!」
「……お前らの剣も盾も折った。魔族にでもやられたと言うといい。それで逃げ帰る言い訳が立つだろう」
鋼鉄の武具を踏み砕き、兵士たちへ放りながら、ユージーンは告げる。
「安心しろ。客の安全は守る。明日の朝には王都まで送り届ける。お前らも早く帰って……風呂にでも入るんだな」
圧倒的な力の差。邪竜を倒し、文字通り国を救った英雄を前にして、兵士たちは散り散りに逃げ出した。同じように背を向ける隊長に、ユージーンが思い出したように付け加える。
「あと。裏にまわった『別働隊』の奴らも、止めたほうがいい。彼女は俺と違って、お前らになんの感情も持たないからな」
――
同時刻、『みなの湯』裏手。
「なあ、姫様がこの風呂屋にいるって本当か?」
「マジらしいぞ。あー、どっかの隙間から見えねえかなあ、姫様のハダカ」
二人の若い兵士が、別働隊として建物の裏手に回り込んでいた。万が一姫が逃げ出した時、確保するためだ。
「俺、3人いる姫様の中でセレーネ姫が一番好きだな」
「お前はガキのころからセレーネ様に入れ込んでるよな」
「ああ。あの金髪、美しい肌!ハダカが見られたら死んでもいい!」
馬鹿げた会話の合間に、
「へえ……そうなんだ」
不意に、冷たい風が二人の間を通り抜け、不思議な声がした。
「……今、何か聞こえたか?」
「わ、わからねえ。ていうか、なんか急に真っ暗になったな」
「ああ、何も見えねえ、しかも何か寒いし……」
視界が闇に覆われ、急激に体温が下がっていく。一気に冬の雪原に放り込まれたような、芯まで冷える感覚。暖を取ろうと顔に手をてた時、兵士の一人が気がつく。
「違う……暗くなったんじゃあない……目が、目が開かねえんだッ!俺の両目がッ!まぶたが凍って、くっついて離れねえッ」
「さ、寒い……口が、舌が、喉が凍ってッ……た、たいちょ……」
極寒の世界。極度に冷えた空気が、草木を凍らせパキパキと音を立てる。人間の目や口の水分を凍らせていく。体温が急速に低下し、兵士たちの意識を閉ざしていく。
「霧氷の魔術『
倒れ伏す二人の耳に、その言葉だけが届く。それを最後に、ふたたび静寂が訪れる。
「……さて、ベッドメイクをしないと」
ウ族の魔術師、ハラウラは、作業着に着替えて、従業員の仕事に戻った。
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