セレーネ姫、サウナでととのう ④

 水風呂。セレーネにとっては、冬に教会で身を清めた時の、体が芯まで凍るような、痛みすら感じる冷たさを思い起こさせた。ふつうなら、こんなものに喜んで入ることなどしないだろう。

 しかし、十分すぎるほど熱くなった体は、籠もった熱を解放したくてたまらなくなっていた。

 「さあ、セレーネ……キミは水風呂に入れる。きっと気持ちいい……夏の水浴びみたいに、すうっと熱がひいていくよ。それに、しばらくすると、体のまわりの水がぬるまって、ちょうどいい温度になるんだ……」

 そうして水風呂に、足を踏み入れる――。


◆◆◆


 「サウナは入ったことあるけど水風呂は苦手」という人も少なからずいるだろう。確かに、冷えた水の中に体を沈める行為は、いかにも辛そうで、一見して罰ゲームのように思えるかもしれない。しかし、水風呂はサウナと外気浴とセットになる大事な要素である!ぜひ苦手意識を克服してほしい!

 まずは、自分が普段入っているより長くサウナに入り、体をしっかり温めることだ。セレーネが期せずしてそうなったように、十分に体を熱すれば、水風呂に入りたいという気持ちも湧いてくるはずだ。

 次に、明確なマインドセットを持つことだ。ハラウラがセレーネにかけた言葉の通り、①水風呂に入れる②体の熱がとれる③しばらく入っているといい温度になる、という3つの事項を頭に入れておこう!水風呂に入った後、どうなるかを知っておくと、冷たさにも『覚悟』ができて、入るのが楽になる。

 また、いきなりサウナからの水風呂に挑戦するのではなく、温度の高い風呂で体をしっかり温めてからの水風呂で、体感しておくのも良い。

 話の本筋からはそれるが、僕(作者)もサウナに凝る前に東京都・高円寺の『小杉湯』で、45度を超えるあつ湯と水風呂の交互浴を体験していた。これが実に気持ちが良いのだ!サウナに目覚めた今でも、定期的に通いたくなるほどなので、読者の皆にもぜひ体験してほしい。

 ちなみに、ここまで水風呂を推しておいてなんだが、水風呂は日本独自の文化で、サウナの本場・フィンランドにはない。(彼らはサウナから直接冬の海に飛び込んだりするが、それは一部の物好きのすることだそうだ)サウナ全体の歴史から見ても水風呂は新参ものなので、入れなかったからといってサウナ体験を否定するものでもないのだ。あたたまった体から直接外気浴をして、のんびり熱を放出するのを楽しんでも良い。

 なぜ日本独自の文化である水風呂が、セレーネやハラウラたちの住む世界に存在するのか?いずれ物語の中で述べる時が来るだろう。


◆◆◆


「っひゃっ、ひゅああぁぁぁ……」

「……ふーーーっ……」


 きりきりと冷えた水が二人の体を拒絶するように冷やす。セレーネの耳には、自分の心臓がばくばくと跳ねている音が聞こえるほどだ。

「はひっ、はひっ」

 ゆるんでいた神経が、突然訪れた体の危機に一気に活動を始めるようだった。一方で、体からは急速に熱がひいていき、夏の日に氷室に入ったような心地よさすらあった。隣のハラウラに目をやると、慣れているのは落ち着いた様子で、首まで水風呂に沈めていた。

「きみも落ち着いて……深呼吸をするんだ」

 セレーネはうなずき、なんとか深く息をつきはじめる。鼻から吸って、口から吐く。呼吸に集中していると、だんだん心拍も落ち着いてきて、体のまわりがじんわりと快適な温度になっていくのがわかる。拒絶していた水がセレーネを受け入れたような、そんな感覚があった。

「あ、ぬるくなってきましたわ……」

「そう、『羽衣』って主人は言ってる……気持ちいいでしょ」

 息をするのも楽になってきて、次第に緊張が解けていく。体から力が抜けて、筋肉の奥に籠もっていた熱さまで吸い取られていくようだ。そうしているうちに、体中を流れる血液がひんやりとしてきて、吐く息までも冷たくなっているように感じられてくる。セレーネは水風呂の縁に頭をあずけ、心地よい息を吐いた。

「吐く息が冷たくなってきたかい……じゃあ、出ようか。入り過ぎは禁物だ……体を拭いて、外気浴に行こう。いいだろう?」

「ええ……もうここまで来たら、恥ずかしいとか言っていられませんわ」

 二人はサウナの横にあった扉を開け、小さな庭のようになっている場所に出た。寝転がれるような椅子が4つほど並べられており、それぞれそこに体を投げ出した。

 もう深夜といってもいい時間帯で、空には緑色の月がかかっている。月の光の下で裸になるなど、セレーネにとっては初めての経験だった。

「不思議……私、裸で外に出てますわ……」

「気持ちがいいだろう……どんな生き物も、生まれたときは裸なんだ……だからたまには、そのままの姿になるのがいいのさ……」

「ええ、とっても気持ちがいい……♪外で裸になるのが、こんなに気持ちよかったなんて……」

 ゆるやかな調子だったハラウラの声が、さらにとろけているのがわかった。火照ったような冷えたような、不思議な体温の体を、こちらもゆるやかに、夜の風がなでていく。ハラウラの長い耳が、それにあわせてぴくぴくと揺れた。

 風の音や感覚、月の光、おだやかな呼吸で揺れる自分の胸、そういったものをなんとなく感じていると、意識がぼんやりしてくるのがわかった。



(ああ、なんだろう。頭から力が抜けますわ)

(私、ずっと力が入っていた……)

(いろんなことが不安で、面倒で……)

(そうか、ずっと不安だったんですわ、私)

 走り疲れ、サウナで熱せられ、水風呂で冷やされた体が、平常に戻っていく。同時に、頭はほとんど何も考えていない状態になって、いままで考え続けていて見えなかった色々なことが、見えるようになってくる。

(結婚……王族に生まれた以上、完全に思い通りにはならないでしょう)

(私、それが嫌で、相手の人のことなど、ちゃんと考えたことがなかったかも)

(……それでも嫌だったら、ちゃんとお父様に言おう……逃げたりしないで……)



 セレーネは、昔こっそりと覗き見た洗濯場の様子を思い出した。もみくちゃに洗濯された服が、アイロンでのばされ、ノリがきいて、きれいになっていく様子。

「ねえ、セレーネ……きみ、明日にはちゃんと帰れるかい」

 横からハラウラの声がした。セレーネは、ゆっくりと首を縦にふる。

「なら、今日はゆっくりお休み……ボクは、きみがよく眠れるよう、準備しておくよ。あと何回か、手順を繰り返して……ゆったり、ととのうといい。ここで寝てしまわないようにね……」

 ととのう。その言葉が、今のこの状態を指しているということは、セレーネにもわかった。

 遠くのほうから、人の声がするような気がする。そうか、私は逃げ出してきたんだった。明日には戻るから、今は――。

「ああ……クセになりますわ……♪」


――


 その少し前。小屋の前には、篝火を焚いた兵士の一団がいた。それに相対するのは、無骨な大男……『みなの湯』の主人だった。

 兵士の中のひとりが、男に向かっていらだたしげに告げる。

「もう一度言うぞ、主人。足跡からみて、セレーネ姫様がここにいるのは確実である。フィン王の名において、施設の捜索を行う故、戸を開けろ」

 男は意に介さぬ様子で、淡々と答える。

「何度でも言う。今日は貸し切りだ。お前らのような輩を、入れるわけにはいかない」

「ぐぬぬぬ、話のわからん奴め!事ここに及んでは問答無用、力ずくで入らせてもらう!!王に背いた報い、しかとその身に受けるがよい!」

 しびれを切らした兵士たちが、いっせいに剣を抜いた。いくつもの刃が、炎を受けてぎらりと輝く。

 しかし男は表情を変えない。やれやれといった様子で、手近な棒を手に掴む。

「もとより、追放された身だ。王だの姫だの、知るものか……だが、客は守る。誰にでも、安らぐ権利がある」

 入り口を守るようにして、男が立ちはだかり、言った。

「『絶界のユージーン』の名に臆さぬ者のみ、来るがいい」


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