運命は、奇跡と共に。
氷鏡京太郎
――
流行病明けもあってか、本当に日々が忙しい。流行病も収束したのにマスク外せないし、七月の暑さが身に染みる。室内で帳票を見ているだけの仕事じゃないし、フォークリフトで荷物を大型トラックに積める様にしないといけないし、運転手の相手もしないといけないし。
やる事は山ほどある、そんな最中に僕は上司に声を掛けられた。
乾いた空気に響く「お客様だぞ」という上司の声に、僕は空返事をする。
インク工場の調達管理課職員として働き、それなりに仕事を任せられる様にもなった。確かに数社と取引をした事もあったけど、予約の無いお客様なんて初めてだ。
書類の精査もまだ終わってないのに、それに荷物の検閲だってまだだ。午後からのチャーター便の配送もチェックしないといけないのに。一体誰が来たのか。
「H12商談ルームだと、もう待ってるみたいだから」
僕は忙しいんだぞと上司へと文句を言おうと思ったのだけど、何も言えないまま回れ右をする事に。問答無用にも程がある、ここまで来ると何かミスでもしでかしたのだろうかと疑ってしまう程だ。
伝票ミスは無かったはずだし、ドライバーからのクレームだって無かったはずだ。窓口である守衛との関係もいい雰囲気だし……まさか、セクハラとか? いや、それはないだろう。女性と仕事以外で会話した事なんて、ほとんどないぞ。
とりあえずのメモとペンを持って、僕は上司に言われた通りH棟へと足を運ぶ。カードキーを当て自動扉を抜けた瞬間、少し寒いと思ってしまう程の温度差を感じた。身震いしつつも閑静なエリアを一人、コツコツと音を立てながら歩く。
僕が商談をする時は室内ではなく、椅子と机だけのフリースペースが多いのに。商談室を借りてまで僕を呼ぶ人物なんて、本当に一体誰だ? 想像も出来ない。
「失礼します、お待たせしました調達管理課氷鏡――」
ノックをし、扉を開けた瞬間。僕の視線は奥の席に座る女性へと釘付けになる。強い日差しを避ける為にシートシャッターが下りているにも関わらず、白く眩しい室内に彼女はいた。
昔と同様に、少し丸みを帯びたボブカットに、白いドレスから見える日に焼けていない真っ白な肌。大きな瞳を少し細めて僕を見るその顔は、忘れたくても忘れられないあの日のまま。
二度と会う事は無いと思っていた。
彼女を見て、自分の身体が完全に固まってしまう。
「こら、氷鏡君、先方に失礼だぞ」
視界の外にいた人たちに気付き、僕は地面に付くんじゃないのかってぐらいお辞儀をして謝罪した。なんで社長がいるんだ、しかも専務も常務もいるじゃないか。他には広報部の部長……一体この部屋は何なんだ、何で僕が呼ばれたんだ。
しかも僕の座る椅子は無い。無言でへこへこしながら、観葉植物の横に立つ。
「では、八子巴絵先生。CM撮影についての打ち合わせを開始しても宜しいでしょうか? 先日高木秘書へとご連絡しました通り、先生の演奏にそって映像を流したいと思います。その際にアテレコで宣伝文句を――――」
……なるほど、どうやら巴絵が僕の勤めている工場のCMに出演する為の打ち合わせの様だ。金額なんかも耳にしたけど、僕の年収よりも多くない? っていう金額だった。というか、何故僕がここにいるんだ、理解できない。
打ち合わせが始まってからというもの、巴絵は僕の方を見る事は無く、秘書である女性と共にウチの広報部長との打ち合わせを進めていた。社長を始めとした取締の連中は何も喋らないじゃないか、多分これ、巴絵を見たかっただけじゃないのか。
ウチの会社のお偉方は有名人が来ると意味もなく座列するって上司が言ってたもんな。広報部長が無駄に緊張してるじゃないか、お偉方は大人しく部屋に引き籠っていればいいのに。
「……では、以上になります。他に何かご質問は?」
「はい、もし宜しければなのですが、このまま数分……いえ、十分ほどこのお部屋をお借りしても宜しいでしょうか?」
「それは構いません、精査する必要もおありでしょうから」
「あと、そこの氷鏡さんも残して頂けると嬉しく思います」
巴絵の言葉を聞き、皆の視線が僕に集まる。
やめてくれ、何でそんなに睨まれなくちゃならないんだ。
「かしこまりました、氷鏡君、仕事は?」
あるよ、沢山。その事を伝えると、直属の上司に今日の分は肩代わりさせておくと社長が言ってくれた。その後、まるでアイドルの握手会の様に全員と握手をした後、商談ルームの中には僕と巴絵、秘書の高木さんだけになったのだけど。
「高木さん、ごめんなさい、貴女も」
「え、私もですか? ……じゃあ、しょうがないですね」
金髪のスーツ姿の女性も驚いた表情をしたあと、荷物をそのままに部屋を退室する。退室する際に僕を少し見て、顎に手を当てニヤリとしていたけど。
そして、室内には僕と巴絵の二人だけになった。
六年ぶりに再会した巴絵は、やっぱり可愛くて、綺麗で。
「ふふ、そんな所に立ってないで、座ったら?」
気づけば観葉植物そのものだった僕に対し、巴絵は笑いかける。ぽりぽりと頭を掻きながら、僕はつい先ほどまで社長が座っていた席、巴絵の前の席に座った。
無言の時間がただただ流れる。何を喋っていいか分からない、十分しか時間はないはずなのに。そもそも、僕が何故ここにいるって分かったんだ。嬉しいけど、もちろん、巴絵に会えて心の底から嬉しいけど。
「ねぇ、氷鏡さん」
「は、はい、八子さん。なんでしょうか」
張り詰めた空気が、多分そうさせたんだと思う。互いに苗字を呼んだだけなのに、なんだかそれがとてもおかしくて。巴絵がくすくす口元を隠しながら笑ったのを見て、僕も声こそ出さずに、肩を揺らしながら笑ってしまった。
「……変わらないね、京太郎君も。ずっと変わらない、あの時のままだ」
「そういう巴絵だって何も変わらないじゃないか。……あ、八子さんって言った方が良かったかな」
「いいよ、そんな。巴絵って呼んで欲しい」
十分で終わる話な訳がないじゃないか。再会した僕達はこの六年間、それまで何をしていたのかを互いに話しあった。巴絵のリハビリの話し一つ一つに僕はうんうんと頷いて、巴絵も僕の入社試験や資格試験の話に同じ様に頷いて。
楽しかった、とても楽しい時間だった。
だけど、始まりがあれば、終わりもある。
僕達の幼馴染の関係は、六年前のあの日に終わりを迎えたんだ。今日逢えたのだってきっと偶然、奇跡みたいなものなのだから。
だけど、僕達は再会してしまった。一度その顔を見てしまったら、優しさを感じてしまったら、離したくないと思い願ってしまう。
また、会えるかな。この言葉が禁句だと思っていた。
言ってはいけない、きっと僕達は再会してはいけないはずなのだから。
「……京太郎」
「うん……」
夕焼けに染まる商談ルームで、巴絵は微笑みながら意外な言葉を発した。その言葉は、僕の想定の遥か違う位置にいた言葉。あの日僕に宣言した言葉の、真逆の意味を持った言葉だった。
「私達、結婚しよっか」
――
次話「告白」
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