耐えられない別れ。
綿島二千華
――
巴絵さんが車に飛び込んでから丸一日が経過したけど、京太郎君が帰って来ることは無かった。彼の部屋の扉の鍵は開いていたから、私はそのまま彼の部屋で、彼の残り香が残る洋服に包まれながら時間を過ごす。
連絡はしたら不味いかと思って、しないままでいた。今はきっと動かない方がいい、もしかしたら、まだ京太郎君は笑顔で私の下に帰ってきてくれるかもしれない。
巴絵さんのあの目がとても怖くて、逃げ出したくなったけど。
逃げない、私の一生涯に於いて大切な人は京太郎君だから。
彼が帰ってきたのは次の日の夜だった。雨がざあざあと降っていて、私は窓辺に座り込んで、京太郎君からの連絡に直ぐ応えられるようスマホを握りしめていたのだけど。突然の解錠の音のビクっとしながらも、帰って来てくれた京太郎君に喜びを覚えつつ、私は彼に駆け寄る。
その時はただ単に嬉しかった。もう二度と帰ってこない可能性もあったから。
ぎゅって抱き締めたあと、彼の手をとり部屋の中へと招き入れる。
「お帰りなさい。巴絵さん、大丈夫だった?」
こんなラフに訊く話じゃないかもしれない。そもそも私が訊くべき内容じゃなかったかもしれない。だけど、今はその話題しかないと思ったから。それに、彼女は地元に帰ったんだ。もう私達の所に現れる事はないと思うし、だったら早めに話題に出して、次に行こうって思ってた。なのに。
「二千華、ちょっと大事な話があるんだけど……いいかな」
言葉に温度差を感じた。その大事な話は、きっと私が聞きたくない話だ。
「こ、この前買った夕食、今から作るから、話はご飯食べながらの方が――」
「二千華、ダメだよ。ちゃんと聞いて」
「あ、先にデザートにしよっか、他にもほら、これも買ったし――」
俯いたまま私の事を呼ぶ京太郎君は、決して私の事を見ようともしないで。
分かる、この空気は、私には分かる。今までもずっとこの空気だったから。
だけど――。
「二千華」
「嫌だよ、私、貴方と離れたくないよ。愛してるの、心の底から好きになっちゃったの。なんで、私達これからだったじゃない。なんで? ねえ、なんでなの? たった一日の出来事で私達の半年って消えちゃうの? 京太郎は私のこと好きじゃなかったの?」
ありったけの我儘だ。私は卑怯者で、昔からずっと自分の事しか考えていない。
でも、それの何がいけないの? 私は自分が大好きだ。誰よりも自分が好き。
だけど、そんな自分を放置してでも愛してしまう人が出来てしまった。
「だったら、私の前に現れなかったら良かったのに!」
「……ごめん」
「もう遅いよ、もう遅いんだよ。生まれて初めてこんなに人を好きになったのに、なんで私はいつもこうなの。ずっと、ずっとこうなの。中学の頃も嘘ついて虐められて、高校の時も京太郎君に嘘ついて友達から最低って言われて、大学に行ったら変われるって思ってたのに、思ってたのにぃ……」
爪が食い込むくらいに拳を握りしめて。歯が割れちゃうんじゃないかってぐらいに食いしばって。京太郎君の為に飾った爪が割れてもいい、グロスが落ちてもいい、そんなことよりも、私は彼の心変わりを願った。
だけど、何も変わらない。私は多分一生こうなんだ。卑怯者で、そのせいで私の事を好きになる人なんて一生現れなくて。側に現れる人は最終的にいなくなってしまう人達ばかりなんだ。最悪の別れと共に、最大の痛みと共に。
「僕もケジメの為なんだ、二千華、本当にごめん」
ふいに、京太郎君が言葉を変えた。震える声でその意味を問う。
「ケジメって、何よ」
「実は、巴絵とも別れたんだ。幼馴染から他人に戻るって、そう言われた」
「……それを、私にも言うのね」
「…………うん」
「そう、なんだね」
だから、私にも諦めろって言ってるんだ。幼馴染なんて友達に毛が生えた程度の関係じゃない。私と京太郎君は恋人だったのに、それを等価とみなすのは間違ってる。
そう言った所で、きっと京太郎君は何も変わらない。
私がここで巴絵みたいに彼を襲った所で、何の意味も無い。
優しい瞳で私を見る京太郎君は、やっぱり京太郎君で。
忘れること何か出来ない、大学に行ってもきっと貴方を探してしまう。
苦しいよ、辛いよ、大好きなのに、ちょっと前まで両想いだったのに。
なんで、こんな事になっちゃったの。なんで、なんで。
僕が出ていくよ、そう言いながら彼は部屋を後にした。私はその言葉の意味をその日限りのものだと思っていたのに。私は泣きながら自分の部屋に戻る。その後数日は泣きはらし、ようやく少し落ち着きを取り戻したところで、改めて京太郎君の部屋を見に行ったところ。
「……あれ、京太郎君、ウソ……」
同じアパートだったはずの京太郎君の家は、逃げる様に引き払い、そのまま空き家へと変化してしまっていた。私に気付かれない様に、きっと夜逃げみたいに引っ越したんだ。私、そんなに嫌われることしちゃったのかな。
彼の居なくなった部屋の玄関を叩き続ける。
いつかまた優しい笑顔で「二千華」って言って欲しくて。
大学でも彼を探した。だけど、流行病のせいでリモート化が進んでしまい、彼と同じ授業であっても顔を見る事も無くなってしまって。探しても探しても見つからないまま、大学は四年目を迎える。
就職活動もしなくちゃいけないのに、私はただただ京太郎君を求めてしまっていた。今ならあの時の巴絵の気持ちが理解できる。襲ってでもいいから京太郎君を愛したい。彼の子供を宿せるなら、方法は何でもいい。幸せになりたい。
一度だけどうにか京太郎君に会えないかと、彼の親友の武大君を頼ったけど。彼も二人とは縁を切ってしまい、どうにもならないんだと言われてしまった。繋がりになりえないのなら、こんな男に意味はない。通話が終わるなり着信拒否にする。
表面上は何気ない顔をして大学も無事卒業したけど、流行病のせいで卒業式もリモート。式のない卒業式なんて、卒業した気にならない。大学ってなんだったのかなって言うぐらい、まるでゲームみたいな感覚で全てが終わってしまった。
「今日のゲストは、車椅子の天才ピアニスト、八子巴絵さんでーす!」
テレビで巴絵を見かける機会が増えた。見かけるたびにクレームを入れる。
見たくない、あんなブスを映すな。あいつは変態だ、狂人だ。
誰も知らないけど、私は知っている。人の恋人を襲って犯そうとする変態で、失敗したら車に飛び込むような狂人なんだよ。なんで皆でちやほやしてるんだ、間違ってるだろ。あんな女は、天才なんかじゃない。
――
次話「運命は奇跡と共に」
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