告白。

八子巴絵

――


 両親の下から自立して一年、幸運にも恵まれ今では自分の音楽事務所を構える程になったのだけど。残念ながら、未だに京太郎君との接点は生まれていない。


 忘れるって誓ったのにな。どうしても消えない。あれから私の前に現れる男性は何人もいたけど、全てお断りしている。そもそも足が不自由なんだ、よっぽどじゃないと将来相手に迷惑を掛けてしまうのが分かってしまい、好きになる前の段階で私の方が冷めてしまう。


「そんなこと言ってると、行き遅れますよ? 社長なんですから、そんなの気にせずどんどんいけばいいんです! 私達が仕事面もサポートしますから、遠慮なんて無しですよ!」


 一緒に働いてくれる高木さんは破談になる度にそう言ってくれるけど。そんなお気楽に考えられる事が出来たのは、きっと高校生くらいまで。もう守るものも出来てしまったし、もっと色々と考えないとダメだ。


「じゃ、気を取り直して次の案件に行きましょう。次はインク会社の工場ですね、あの有名な所から社長のピアノをCMに起用したいってことです。演奏と社長込みなので八桁案件ですね!」


「七桁でしょ、そんなに私は高くないです。それよりも、高木さんも恋愛とか興味ないの? 私の秘書をやり始めてから付きっきりで色々な話しを聞いてるけど、貴女から浮ついた話を一つも聞かないけど?」


 運転席の高木さんは左手を上げながら元気よく喋り出す。


「私は良いんです! 憧れの八子音楽事務所で働けるだけで幸せですから! 一緒にアメリカンドリームを掴みましょうね!」


「アメリカンドリームって……ああ、だから金髪にしているの?」


「まずは何事も形からですよ!」


 車内で他愛もない話に花を咲かせている内に、目的の工場に到着する。事務所立ち上げと同時に他所から来てくれた高木さんは本当に優秀だ。スケジュール管理から商談、事務方、私の足の代わりとして幾つもの場所も付き合ってくれる。


 良い人に恵まれたな。そう思いながら後部座席から何となく周囲を見ていたその時。私は、その目に信じられない人を収めてしまった。呼吸をする事を忘れてしまう、世界が固まってしまったかと思うぐらい、それは衝撃的で。


 ごくりと喉が音を立て、気付けば頬を汗が伝っている。心臓がドキドキと痛いくらい音を立て躍動を始めてしまって。両手で胸を抑えたけど、ダメ、全然止まらない。


 私は、彼を見つけてしまった。少し青い会社の制服に袖を通し、黒い髪を以前よりも整えた表情は細く凛々しくて。書類を片手に携帯電話で話をしながら、忙しなく歩いている彼を。


 途端に胸が熱くなる。忘れていた感情が一気に噴き出してきて、思わずぎゅっと歯を食いしばってしまう。車内から目でずっと追いかけると、彼はトラックヤードで運転手と何か会話をし、そのまま工場内へと姿を消してしまった。


「はい、話を付けてきましたよー! 横の建物で商談するそうです。主に先方が予め出して来た内容で問題は無さそうなので、社長はニコニコとしていれば……社長?」


「…………あ、ごめんなさい。大丈夫。……あの、高木さん」


「はい? 何です?」


「一個だけ、先方にお願いして頂けないかしら。氷鏡京太郎という人が勤務していたら、その人も会議の場所に呼んで欲しいと」


「氷鏡京太郎さん、ですか。別に構いませんが、何かお知り合いですか?」


 お知り合い、なのかな。私達は終わりを迎えた。でも、その時に誓ったんだ。

 神様が微笑んでくれたら、その時はもう一度一からやり直すって。


 ……私の勝手な想いだけど。

 もしかしたら今の彼は、あの時の女性と結婚もしているかもしれないけど。


 その時は、彼と彼の奥様が許してくれるのであれば、友人として貴方の近くの存在になりたい。また染まっちゃうのかな。でも、今は私の側に沢山の人がいる。


 ちゃんと分別をつけて……って、お願いしてる時点で出来てないのかな。

 でも、言っちゃったし。会って話をするくらいなら、きっと大丈夫よね。


 高木さんに車イスを押してもらい、私達が通された会議室で、私は彼との再会を果たす。私を見た時の彼の表情は、とてもおかしいくらいに驚いていて。


 変わらないな、何にも変わらない。一瞬で高校生に戻ったみたいに頬が熱を帯びちゃった。完全に固まった京太郎君を見て、私は静かに微笑む。


 突然過ぎて彼の椅子は与えられなかったみたい。なんだか可哀想な事をさせちゃったかもって思ったけど、クライアントを待たせる訳にもいかず。観葉植物の横で本当に木になったみたいに京太郎君は静かに佇んでいていて、何度吹き出しそうになったことか。ごめんね、京太郎君。


 高木さんも部屋から追い出す事に成功すると、私達はようやく二人きりになる事ができた。ガラス壁一枚隔てた先で高木さんが聞き耳立てているのがうっすら見えるけど、聞かれてもいい話しだし、むしろ彼女は味方につけないと後で何を言われるか。


 会話の節々で私は探りをいれてしまった、そして分かったこと。今の京太郎君に女性の影はどこにも存在しない。指輪も無いし、制服はアイロンをかけた形跡がみれないし、ご飯もコンビニだって。

 

 ずっと一人だったんだ。私と一緒。それが嬉しくて。


 あの二千華って女の子とはどうしたのかなって聞きたかったけど、聞けなかった。どうしても暗い話になりそうだし、今の京太郎君にいないのなら、それでいい。


「私達、結婚しよっか」


 彼の左手の薬指を見ながら、私は提案する。


 彼を襲ってしまったあの時と変わらないじゃないって思ったけど、今回は違う。提案だ。京太郎君がこれを断るようならすっぱり諦めよう、そしていい加減新しい恋を探すべきだって。


 きっとガラスの向こうで聞いている高木さんなら言ってくれる。


 私の提案を聞いて、京太郎君は一瞬硬直した。私の見当違いで、実は付き合っている彼女さんでもいるのかな? 工場の規定で外しているだけで、実は結婚指輪も普段はしているとか? それとも私との出来事で、女性関係の全てを無しにしているとか? あ、それは本当にありそう。京太郎君の事だ、もう女の子は怖いって言うかもしれない。


 妄想と一人語りで思わず笑ってしまった。くすくすとしてしまう口を必死に両手で抑えるけど。だめだ、今も返答に困っている彼を見ると何故か口元が緩んでしまう。


「……何か楽しそうだね。これってドッキリか何かかい?」


 半眼になりながら周囲を探し始めた京太郎君を見て、今度は私が慌てる。


「違うよ、京太郎君にそんな事する訳無いじゃない。奇跡……奇跡が起きたんだよ。私ね、あの時心の中で誓ったの。もう一度貴方とどこかで会う事があったら、その時はやり直しがしたいって。……勝手だよね、ごめん。何を言ってるのかな私。それに主婦業とかも何も出来ないもんね、今だってずっと車椅子だし……」


 両足が使えない生活は、思った以上に不便だった。車椅子だと坂道も怖いし、ちょっとした小石でも止まってしまう事が多い。洗濯物を干したりだとか、そういった普通の主婦業は私には多分無理だ。


 頑張れば出来るかもしれないけど、普通の人の半分以下の事しかできない。


 それに、夜の問題もきっとある。誰ともしてないから分からないけど、あれだけの事故だったんだ、ちゃんと出来るかどうかも分からない。京太郎君との子供とか最高に可愛いだろうけど、きっと彼も望むだろうけど……自信がない。


「……ごめん、やっぱり今の無し。忘れて、本当に……」


 断ろう、何を言ってしまったのかな。ちょっと考えれば分かるじゃない。話が急すぎるし、彼だって仕事がある。邪魔しちゃダメだ、私が京太郎君の事を考えるのはこれっきりにしないと。


「それは、本気なの? 本当に忘れてもいいの?」


「……え? うん、だって、しょうがな――」


「嘘だ、今の巴絵の言葉は、本気の時の巴絵の言葉だ」


 がたんと立ち上がると、京太郎君は私の目の前までやってきて、片膝をつく。真剣な瞳に、背筋を引いてしまう程に私を見つめる彼に、私は思わず背もたれへと後ずさりしてしまって。だけど、京太郎君は逃がしてくれなかった。


「僕は今までずっと巴絵の幸せを願ってきた。例え僕の側にいなくても、巴絵は幸せになって欲しいって、そう願ってたんだ」


 私の手の上に自分の手を重ねて、ゆっくりと京太郎君は近づいてくる。

 

「私だって同じ事を願ってた。京太郎君が幸せになってくれれば、私はそれで良いって。だって、色々とあったじゃない。今だって二千華さんと京太郎君は繋がりがあるかもしれないし――」


「無いよ、巴絵と別れたあの日、僕と二千華、それに武大とも別れたんだ。あの日、僕達の幼馴染という関係の全てが無くなったんだ。だから、今の僕の周りには誰もいない。僕と巴絵の邪魔をする人物は、誰一人として存在しないんだ」


 目の前に近づいてきた京太郎君の唇と、私のそれを、ゆっくりと重ねる。

 抵抗? そんなのする訳ないじゃない。ただ嬉しいだけ。


 京太郎君とキスをした瞬間、今までの何かが消える。代わりに違う感情が私を支配した。今までも京太郎君を想って沢山泣いてきた、でも、これは違う。歓喜の涙だ。ハンカチで抑える必要のない涙がぽろぽろと頬を伝ってしまって。

 

「本当……? もう、嫌だよ。本気になったら、もう戻れないからね?」


「戻らなくていい、戻る必要なんてないんだ。僕もずっと巴絵の幸せを願っていたんだから。巴絵の幸せは、僕の幸せだよ。嬉しかった、本当に嬉しかった。沢山待たせちゃったね……結婚しよう、巴絵」


 抱き寄せられるようにして私は立ち上がり、全体重を彼に委ねる。


 京太郎君ってこんなに大きくなってたんだ。本当なら横に立ちたかった、キスの度に背伸びとかしたかった。でも、今みたいに抱き締められながらするキスも、とても幸せ。


 腕を絡めて何度も、何度もキスをした。

 私達のそれまでの空白の全てを埋めたくて。


 途中、高木さんが扉をこっそり開けたのが視界に入ったけど。私達を見て音を立てないように扉を閉めた。後で質問攻めとか凄そうだなって微笑むと、それに気付いた京太郎君も微笑んでくれて。


「何かあった?」


「……ううん、何でも」


 もう、何もないよ。私達だって幸せになれる。

 誰も何も、邪魔なんてしないのだから。


――

次話「結婚式、そして――」※氷鏡京太郎視点

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