結婚式、そして――

氷鏡京太郎

――


 結婚しよっか? から始まった僕達のお付き合いは、数回のデートを経て。

 今や、巴絵の部屋へと足を踏み入れるに至った。


 部屋に入るなり、僕は唖然とする。正直、ここまで格差があるとは思いもしなかった。どうやら、住む世界が違うという認識は、あながち間違いでは無かったらしい。

 

「好きなとこに座っていいからね」


 そう言った巴絵の部屋は、映画か何かでしか見たことが無いような、何畳か数えるのが面倒な程に大きいリビングで。職業だもんね、そりゃあるよね、とは思うんだけど。やっぱり見慣れないグランドピアノが、部屋中央付近にデンッと陣取っていた。


 窓際の灰色のソファーに座ると、そこから見える景色は都会の夜景を一望できるような、そんなゴージャス極まる一室で。僕は借りてきた猫の様に、ぎこちなく縮こまってしまう。


 直後、巴絵が車椅子だったことを思い出し、何か手伝いする事はないかと慌てて後をつけると着替え中だったり……まぁ、そんな絵に描いた様なラブコメの生活をしているのだけど。僕は巴絵の魅力に慣れる事は無かった。ずっとドキドキしてしまう。


 肌を重ねる回数が増えれば増えるほど、互いの防御力はゼロになっていく。

 思えば、最後に童貞を捨てようと思ったのは既に六年前の事だ。


 まさか、巴絵に捧げる事になるとは夢にも思わなかった。

 巴絵も初めてだったみたいで、二人して年甲斐も無く悪戦苦闘していたり。


「何だか、おかしいね。沢山笑っちゃう」


 裸で二人、僕の腕枕で横になる巴絵は、世界一の美人さんは、ベッドの上ではくすくすと笑ってはキスをせがむ、とても甘えん坊な女の子だった。毎日が幸せだった、どうしようもなく、幸せ過ぎて色々と大事な事を忘れてしまいそうになる程に。


 職場では僕と巴絵がキスをしていたのをどうやら数人が見ていたらしく、上司から「お前なぁ」とお小言を言われる状態ではあったのだけど。巴絵が持たせてくれたお弁当を見ると、苦笑と共に良かったなって祝福してくれた。


 巴絵の両親にも挨拶に行くと、両親は何も言わずに娘をただ抱きしめてくれて。

 ぼそっと呟いた「良かった」という言葉に、何故か僕まで笑顔になってしまう。


「社長、本当に笑う様になりましたね、以前とはまるで違います」


 家に遊びに来た秘書の高木さんが、僕達を前にしてこう言った。

 

「以前はもっと凛々しいと言うか、氷の令嬢と言うか。壁があったんですけどね。今はとても優しい感じがします! 二人共お似合いじゃないですか。氷鏡さん、今まで一体どこにいたんです? ……なんて、聞くだけ野暮ですよね」


 大きな声で喋る綺麗な人だな。聞けば元々音楽関係の別の会社に居た人だとか。巴絵の演奏を聴き、当の本人が事務所を設立すると知った段階で、勤めていた事務所に退職願いを叩きつけたらしい。ワイルドだなと思う反面、とても信用できる人という印象だ。


 そんな彼女が僕達の前にいくつかのパンフレットを並べる。

 ハワイだったり、ホテルだったり、専用のチャペルだったり。


「なんてったって八子巴絵の結婚式ですからね。ド派手に行きましょうよ、ド派手に。やっぱり芸能人の結婚式と言ったらハワイですかね! 私は行った事ありませんけど! 飛行機の手配こみこみでも余裕ですよね?」


 すっと手を¥マークにする高木さん。

 多分この人、僕達の貯金を青天井だと思っているに違いない。

 僕というか巴絵のだけど。


「あはは……ごめんなさい高木さん。出来る限りこじんまりとした感じで式は挙げたいの。仕事も沢山あるし、旅行はひと段落する年明けとかでもいいし。ね、京太郎」


 高木さんは不満げだったけど、僕も巴絵の意見に賛成だった。彼女の身体を考えれば無理はさせられない。出来る限り負担の掛からない近場の方が絶対良い。


 両親だって海外挙式とあっては負担になってしまう事だろう。僕達は高木さんが持ってきてくれたパンフレットの中からホテル……それでも、一流って頭に付くホテルのチャペルを選択した。


「ふふ、これであのワイドショーの記事も全部差し替えが必要になるのでしょうね。あ、京太郎さん、絶対に結婚式のこと記者に漏らしちゃダメですからね。こういう情報は鮮度が大事です、何事も商売繁盛に繋がったりしますからね」


 芸能人は自分達の結婚についてまで商売にしないといけないのかと驚く。でも、それを心配するのはマーケティングを取り仕切る高木さんの仕事であり、当の本人である巴絵は特に気にはしていない感じではあったのだけど。


 後日、ホテルのプランナーさんとの打ち合わせも兼ねて下見にも向かい、ドレスの手配や式の段取り。僕達の結婚式は、着々とその日へと向かっていった。


 そして招待客への招待状作成。

 僕はここで胸の内に秘めていた想いを吐露する。


「武大と二千華。二人にも招待状を送っても、いい、かな」


 思わず語尾がつっかえる。色々とあった、巴絵の事を考えるとあの二人を呼ぶなんて有り得ない事だとも思う。けど、六年という時間がそれらを癒し、今なら各々違う考えに至っていると信じたかった。


 横に座る巴絵は少しだけ考えた後、僕の手を取り微笑む。


「……うん。もう六年だもんね。二千華さんも誰かと結婚してるかもしれないし、武大君は今も活躍してるし……。それに、武大君は有名人だから、いずれ耳に入っちゃうよね。それを考えると、遅かれ早かれって感じかな」


 人づてに僕達の結婚を聞くよりも、僕達から招待状を貰って知った方が、きっと気分的にも違うだろう。出来る事なら二人とも会って話をして、それから結婚式に臨みたかった。


 残念な事に、武大はテレビや試合で忙しいらしく、都合が付かないと事務所のマネージャーに断られ、結局は招待状を送るのみに留まってしまった。それ以外にも巴絵との熱愛報道、なんてのも邪魔してたみたいだけど。


 二千華に至っては完全に音信不通、消息不明。それまでの連絡先の全てが死んでおり、大学時代に住んでいたアパートも既に別の人が入居していて。高校時代の自宅へ連絡を入れるも、やはり居場所は分からないとのこと。更には親から勘当されている状況も伺い知る事ができ、巴絵と二人、不安げに視線を交わす。


 いないものはどうしようも出来ない。せめて、何かしらで僕達の結婚を耳にしてくれたら……と、一つだけ策を講じていたのだけど。


 一ヶ月後、結婚式当日。


 久しぶりに再会した武大はやたら嬉しそうに接してきてくれて。僕の事を捕まえて「今日は二次会三次会じゃ済まさないからな」と僕の首に腕を回して、頭をぐりぐりとしながらも喜んでくれた。


 忙しくも式は開始の時間を迎える。

 照明が明度を下げ、僕はバージンロードの中間地点で新婦である巴絵を待つ。


「新婦の入場です」


 わぁ……と参列客から僅かに声が漏れ聞こえる。純白のドレスに身を包む巴絵は、僕の予想をはるかに超える美しさだ。ウェディンググローブに包まれた両手をしっかりと握りしめて。父親に車イスを押されながらバージンロードを進む巴絵は、ゆっくりと僕の側に。


「後は、宜しく頼むよ」


「……はい」


 父親から巴絵を託された僕は、彼女と共に神父の前まで進む。

 ウェディングベールの中から覗く瞳は、既にどこか潤んでいて。


「誓いのキスを」


 ベールアップした巴絵は、信じられないぐらいに美しくて。

 思わず「綺麗だ」って言葉を溢してしまい、彼女はその頬を緩ませる。


「ありがとう」


 言葉と共にキスを交わした僕達は、万雷の拍手に包まれながら永遠の愛を誓った。

 

 披露宴会場へ移っても皆の拍手と笑顔は変わらない。僕達の事を全ての人達が祝福してくれる。僕達は自分達の幸せの一切を疑う事無く、ただただ結婚式を楽しんでいたのだけど。


 それは、僕達の馴れ初めを語る映像を流している時に訪れた。

 ぎぃと開いた扉から一人の女性が入って来たことに、誰一人気付くこともなく。


 微笑む巴絵が違和感に気付いたその時には、彼女は僕達の前にいた。

 その手に鈍く光る刃物を握り締めて。


「二千華――」


「私は、私を捨てた貴方を絶対に許さない!」


 幸せが、惨劇へと名前を変える。


――

次話「俺が守らないといけないもの。」※降矢武大視点

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