生まれ変わっても変わらないもの。

八子巴絵

――


 朝日で目が覚めると、直ぐ横にはこっくりこっくりと船を漕ぐ京太郎君がいた。一瞬目が覚めた時には、そこには京太郎君の部屋にいた名も知らぬ女が居たと思ったけど。そして、語っていた内容は私への懺悔の言葉だったような、自分本位の意味の無い語りだったような。


 ……夢だったのかな。そんな気もする。


 それにしても、麻酔が効いているからかな? 何だか動けないだけで全然痛くない。乗用車に飛び込んだのに……人って意外と頑丈に出来てるんだなって思うと、ちょっと笑える。


 何であそこまで思いつめてたんだろう。京太郎君への想いをただ伝えればいいだけだったのに、なんで無駄に違う方向に頑張っちゃったのかな。文化祭でも、修学旅行でも、いつでも京太郎君に告白出来たじゃない。


 常に周囲には誰かいたけど……そんな視線なんて、気にする必要なんて無かった。もっと自分勝手に、もっと好きに行動すれば良かった。今ならそう思える。だけど、高校生の時はそうは思えなかった。恥ずかしくて、他にも守るものが沢山ある気がして、動けなくて。


 京太郎君と二人きりになった時間なんて、高校生活三年間で一時間もなかったんじゃないかな。武大君がずっと側にいたし、他の生徒達も沢山いたし。


 私は、そんな環境を失いたくなかったんだ。意外と見栄っ張りなのかも。


 両方を追い求めてしまった。音楽を続けて人から賞賛される事も。

 幼稚園の頃から全てを知っていて、私の事を応援してくれた人の事も。


 そして、私は両方を失ってしまうところだった。


 だから今がある。片方を失ったから、もう片方が寄り添ってくれる。

 神様って意地悪だ。私は京太郎君に応援されながらピアノを弾きたかったのに。


 カーテン越しなのに、日差しがとても眩しい。病室は白で統一されていて、そこに静かに座る京太郎君も何だか真っ白に見えてしまう。きっと彼はそんな人なんだ。真っ白で、純粋で、全てを受け入れ相手に染まってしまう。そして、相手も染まってしまう、原色の様な人。


 全てを打ち明けてしまった今、京太郎君と私が一緒になれるとは思えない。


 京太郎君にはあの女の人がいる。結構可愛い子だったじゃない、京太郎君の事を一生懸命に考えてたみたいだし。私よりも、何も問題がなさそうな感じだったし。


 二人が一緒に居て、違和感というものを感じなかった。


 きっと、私じゃそうはならないんだろうな。それに、私達は幼馴染だ。一緒にいる時間が長すぎて、それよりも前の関係にも、後の関係にもなれない。


 だから、悲しいけど、前に進む為。

 ……私は、京太郎君との別れを選択する。


 側にいると、きっと私はまた京太郎君に染まってしまう。同じ過ちを繰り返してしまう。幾ら自分でどうにかしようとしても、彼の魅力に私は抗う事ができないんだ。


 悲しい。それを受け入れて貰える世界線ならどれだけ良かったことか。

 

 いつか、本当に運命っていう神様の気紛れが微笑んだその時に、私達は再会するんじゃないかな。万が一その時が来るようなら、私はもう一度最初からやり直しがしたい。奇跡みたいな事かもしれないけど、きっと、私達には奇跡が必要なんだ。


 それ程までに、幼馴染という言葉が重くて、剥がせなくて。

 私達じゃどうする事もできない呪縛なんだよ。


 今後すれ違う事すら無いようなら、きっと京太郎君との関係はそれまでなんだって思おう。全ては無かった事に。私の人生に於いて、氷鏡京太郎という人間は一切いなかったんだって。


 ゆっくりと目を閉じて、溜まった涙を落とす。

 そして、私は彼の膝にとんとんと叩きかけた。

 伝える言葉は決めてある。絶対に変えない様に、彼を困らせない様に。


「バイバイ」


 今までの全部にさようならをする。決意が揺らぐその前に。


 だから、泣くのはこれで最後。京太郎君の事を想っての涙は、これでおしまい。最後だから、思いっきり泣いても良いよね? もう絶対に思い出さない様にするから。大好きでした、愛してました。ずっと、何年も、何年も。


「巴絵さん、今日のリハビリのメニューですが――」


 病院でリハビリをしながら、私は両親に何度も頭を下げた。色々と酷い事をしてしまったバカな娘なのに、お父さんもお母さんも私が無事ならそれでいいって。


 失ってしまった信用が直ぐには戻らないのは、サロンコンサートの時に痛いほど味わったのに。私はまた同じ過ちを犯してしまったのだから、本当なら勘当ものだと思う。両親にはこれから出来る限りの親孝行をしていかないと。


 武大君も京太郎君が出て行った後に私の所に来たけど、私の幼馴染の中にはもちろん彼もいる。意外にも怖いという感情が薄れてしまっていた。京太郎君とも同様に、もう武大君とも終わりにする、その決意のおかげかもしれない。


 力の入らない手をぎゅっと握り締める様に、逃げない様に彼の目を見て話しをする。同じことを言ったつもりなんだけど、武大君は京太郎君程の反応は無かった。


 本当に済まなかった。そこから始まる彼の懺悔は、記憶の中にあるあの女の人の懺悔が、夢じゃ無かった事の証拠になったのだけど。知った所で何がどうなる訳じゃない。終わった事を責めてもしょうがないし、私は私なりに次へ向かいたい。


 そう伝えると、武大君も眉を下げながらも微笑んで。


「強くなったな」


 去り際に残した言葉を笑顔で受け止めて、私も彼を送り出す。

 こうして、十年以上続いた私達三人の幼馴染の関係は、幕を閉じた。


 とてもあっけなく、とても静かに。

 そして、私は自分のしでかした事の大きさを自身の身体でもって味わう事となる。


 事故の前に痛めつけた指だったのだけど、事故によりそれ以上の損傷となってしまっていた。剥離骨折、複雑骨折、末梢神経障害、耳に慣れない言葉を沢山聞いたけど、要はまともに動くとは思わない方が良いということ。


 更には手の怪我により松葉杖や手摺に掴まるといった事が難しく、足のリハビリが思うようにいかず、まともに歩くことが出来る様にはならないということ。


 私の再出発は、何十歩も後ろに下がった所からのスタートとなった。


 ピアノを弾きたいと言った時の医師と両親の表情は何とも言えない顔をしていたけど、私は我儘なんだ。頑固なんだ。絶対に弾けるようになってみせる。


 動かない指をゆっくりと開くように、時間はかかるけど、でも確実にリハビリを続け。足はつま先をペダルに当てられる様に固定器具を作って貰って、それをふとももで持ち上げながら使用する。


 音大復学後、世間は流行病で三年程まともに通学が出来ない状態になっていたけど、私からしたらそれは好都合だった。オンライン授業で単位を取得し、空いている時間はひたすらに感覚を取り戻す為に鍵盤へと向かった。


 昨今の環境は私の様な動けない人にとって、とても利便性の高い世界。

 動画配信を以前していたおかげか、私を紹介してくれる著名人も沢山いて。

 その技術を学びたいと言えば沢山の人が教えてくれた。


 そして、いつしか私一人で配信もするようになり、それがとある企業の目に止まることとなり。そこからはコンサートやイベントに引っ張りだことなったのだけど。


 忙しいと時間の流れがとても早く感じる、気付けば次の仕事、気付けば次の案件。

 忙しく過ぎる日々はあっという間で。


 実に、京太郎君達と別れてから六年の月日が経過してしまった。決して短くない時間を過ごしたはずなのだけど、二十四歳になった今でも、私は彼を想い続けている。


 氷鏡京太郎、彼は今どこで、一体何をしているのかな。

 あの女の人と幸せになっているのかな? それとも別の人かな。


 側に居れない悲しみは今も続いている。

 けど、京太郎君が幸せになっていてくれれば、それでいい。


 私は世界で一番彼の事が好きだから。

 この世界のどこかで京太郎君が幸せでいること。


 それが、一番の私の願い。


――

次話「惜別と後悔、憎しみの日々」

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