惜別と後悔、憎しみの日々

降矢武大

――


 転院先で、俺は巴絵の両親へと謝罪する。巴絵の横に座って祈り続ける京太郎を見て、彼女の両親は俺へと質問を投げかけて来た。それらをきちんと説明するには、京太郎は側に居ない方がきっといい。


 当たり障りない言葉を使ったあと、俺と巴絵の両親は廊下へと移動する。

 何があったのか、巴絵があの女の子を見て興奮するとはどういう意味なのか。


 俺は、それら両親の疑問に全て正直に白状した。巴絵が京太郎を愛していたこと、それを俺と綿島という女性の二人で遮ってしまったという事、綿島と京太郎の二人は付き合っている状態であるという事。そして、俺が巴絵の唇を強引に奪ってしまったこと。


 話し終えると、巴絵の父親は俺の事を一発だけ殴ってきた。

 母親が必死になって止めてくれたけど、俺はそれを望む。


 京太郎は殴ってくれなかった、贖罪のチャンスすらくれなかった。だから、一発だけだけど父親に殴られた事は良かった事だと思う。何かが変わる訳じゃないが、俺の中で何かが決意となって固まった。


 巴絵との関係の全てを終わりにしよう。彼女が目覚めたら謝罪し、そして俺は彼女の前から姿を消そう。多分、悲しむ事はないだろう。巴絵から見て俺の存在は邪魔者でしかないのだから。


 しばらくして夜が明けると、病室から京太郎が泣きながら出てきた。

 俺にも聞こえてきたその言葉は、俺達との関係を完全に別つ言葉で。


「バイバイ」


 なんてことは無い、巴絵の方も俺達に愛想を尽かしていたのだろう。幼馴染なんて関係は迷惑でしかない。それが巴絵の出した答えなら、俺は甘んじて受け入れよう。


 京太郎との別れを悲しんでいた巴絵だったけど、俺を見て一回だけ昔の様に微笑んだ。それは高校生の時の様な、武大君って語り掛ける様な、あの巴絵だった。


 そして、彼女は俺にも京太郎と同様に別れを切り出してくる。分かっていた事だが、少し胸が痛い。金銭面で困る事があればいつでも言ってくれと言い残すも、きっと巴絵の事だ、その言葉に意味はないだろう。


 その予想通りと言うか、巴絵は三年もしない内に音楽界で頭角を現す。


 並大抵の努力ではあそこまで戻れないはずだ。ストリートピアノの動画はすぐさま百万再生を超え、その世界の重鎮達とのコラボ、コンサート会場も満席となる勢いで席が埋まり、八子巴絵というスターを世界が待っていたかのように思えた。


 俺は俺でそれなりに頑張りもしたが、結局は年末のテレビや、たまにやる大会に出る程度。他はコンサル業や現役格闘家としての師範として、たまにテレビに出ては世間を笑わす操り人形デクと化していった。


 プロ格闘家としてデビューしてはや六年。学業との両立は本当に大変だったけど、大学を無事現役卒業してからは仕事の幅が広がった。アナウンサーや朝のニュース番組、以前から細々と続けていたバラエティ番組何かも度々顔を出す様になり、降矢武大という俺の名は、世間では知らない人がいない程に広まっていったのだと思う。


 だからだろう、過去を漁る奴等が現れ始めたのは。

 過去とは無論、今をときめくピアニスト、八子巴絵との関係性だ。


 幼馴染だというのは周知のこと、俺が巴絵に惚れていたという事まですっぱ抜かれていた。証拠は山ほどある。俺が高校生時代に馬鹿丸出して巴絵の家に通った写真が存在するのだから、言い逃れなんて不可能に近い。


「降矢選手、そろそろ良いお話を聞かせてもらえませんか?」

「本日も週刊誌を飾るのはやはりこのカップルですねぇ~」

「高校生時代からのお付き合いというと、やはり幼馴染なのでしょう」

初心うぶな二人の写真を、当番組初公開でお送りいたします!」


 テレビ、ネット、週刊誌、全てが俺と巴絵をくっつけようとしている有様は、高校時代の二千華達を彷彿とさせるものだった。俺達は終わったんだ、俺という存在は巴絵を苦しめるだけでしかないのに。


 なぜ皆は俺達を解放してくれない。行き場の無い怒りで拳が震える。


「落ち着け馬鹿野郎、手前の拳はそんなもんの為にあるんじゃねえだろう」


「おやっさん……すいません、ちょっと頭冷やしてきます」


 子供の頃からの付き合いのある道場、そこにいる師範との時間。最近ではここだけが唯一の憩いの場となっていた。周囲から完全に隔離されたこの空間は、俺の心を和ませる。ここが無かったら、きっと俺は暴力で全てを破壊していた。

 

 言葉通り頭を冷やし、外で待ち伏せしているカメラマンへと自ら問いかける。

 飲みに誘い、懇切丁寧に、冷静に、俺と巴絵の関係性を説明していったのだが。

 

 結果、俺の努力は徒労に帰す。一人一人カメラマンや雑誌関係者を潰していくにも、イタチごっこが過ぎる。もう俺と巴絵の関係性は何もない、幼馴染という関係はもう捨てたんだ。否定を繰り返すも、何も変わらない。


 俺が興奮すれば興奮する程、噂が真実味を帯びてしまう。しかも相手は素人だ、万が一俺が手を出そうものならその瞬間、俺は最大のスキャンダルを生み出す事となってしまう。我慢に我慢を重ねて生きる日々は、意外にもきつかった。


 違う違うと言っても誰も信用してくれない。

 まるで人狼の様な気持ちになるも、俺はその全てを試合へと注ぎ込んだ。


 試合に勝つと気持ちが良かった、勝利の瞬間だけは巴絵を忘れられる。俺って人間は、相手を叩き伏せる事で気持ちを落ち着かせるような、そんな最低な人間だったのかもしれない。


「おめでとうございます! この勝利を誰に伝えたいですか⁉」


 巴絵はそれを見抜いていたのかな。

 だから俺の事をずっと見て見ぬ振りをしてきたのか。

 目の前に差し出されたマイクを奪い取る。そして。


「うるせえ! いつまでもいつまでも付いてくるな! この勝利はおやっさん一人に捧げる! 他には誰もいねえ! これで満足か糞野郎どもが!」


 きぃぃぃぃんとハウリングを響かせながら、会場どころか外に届くくらいのボリュームで俺は叫び声を上げた。女性リポーターも耳を抑えてしゃがみこんで、見上げる様は恐怖にひきつっていて。


 やっちまった。多分明日以降仕事が減る。場合によっては除名だってありえるな。

 でも、気持ち良かった。巴絵に迷惑が掛かってなければ良いのだけれど。


 車に乗り、一人はぁとため息をつく。


 巴絵を迎えに行ったあの日の晩、僅かながらに期待した事は全て水泡へと帰すことだった。俺達が幼馴染に戻る、もしくは少なくとも会話の出来る関係になってくれれば、そう思っていたのに。


 結果はこれだ。会話どころか連絡手段すら存在しない。

 なのに今も尚、あの時の事が俺を苦しめている。


 助けて欲しい。この底なし沼から俺を救いだして欲しい。

 京太郎、巴絵……お前達ともう一度やり直しがしたい。


 勝手な我儘だとは思う、だけど、昔みたいに笑って過ごしたいんだ。

 

――

次話「耐えられない別れ」

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