だから僕達は幼馴染を辞めた。
氷鏡京太郎
――
巴絵と共に地元へと移動した僕は、そのまま彼女が目を覚ますまでベッドの横で座り続けた。巴絵の両親が僕を心配してくれたけど、武大も説得してくれて。
「今の巴絵さんには京太郎君が必要です」武大のその言葉だけで巴絵の両親は納得してしまった。多分、僕じゃなくて武大の事を信用しての事なのだろうけど。もしくは、僕達三人は幼馴染だから。だから、側に居る事を許したのかもしれない。
その後、武大とご両親は一旦廊下へと移動し何か話をしたあと、荷物を取りに行くと言い、僕達を残して病院を後にした。
僕は両手で祈りながら、巴絵の目が覚めるのを待つ。
武大は「俺はいない方がいい」と言い、病室の外へと向かってしまった。
そして、僕は巴絵と二人きりになる。
巴絵が目を覚まして、自分の身体の事を知ったらなんて思うだろうか。巴絵はもう死ぬつもりだったんだ。障害をもったまま生きていこうなんて、そんな気概が今の巴絵にあるとは思えない。
だけど、僕はようやく巴絵の気持ちに気付けたんだ。
時間が掛かってしまった、沢山の邪魔が入ってしまった。
一番いけないのは、それらにただ翻弄されてしまった僕自身だ。だから、武大の事も二千華の事も責めるつもりはない。巴絵はそれをどう思うか分からないけど、昔の巴絵ならそれでいいよねって微笑んでくれるはずだ。
そんな考えも、自分勝手な考えなんだろう。間違いだらけなんだ。
正しい答えが分からないよ、巴絵……。
ちゅんちゅんとスズメの鳴き声が耳に入る。
そして、僕は自分の膝を誰かがトントンと叩いている感覚に気付いたんだ。
いけない、寝ていた。巴絵――
「……京太郎」
「巴絵……」
生きていた、目を覚ましてくれた。思わず抱き着きそうになったけど、今そんな事をしたらきっとめちゃくちゃ痛いに決まってる。手術だって終わったばかりだ、どこに抱き着いていいか分からない。
両手を上げるもそのまま空中に上げたまま停止してしまった。
そして、そんな僕を見て巴絵は微笑む。
「……ふふ、おかしいね。京太郎」
「そう、だね」
「……そっか。生きてたんだね、私……」
「ああ、動かない方がいいよ。両足も折れちゃってるし、両手だって、こんなに……こん、なに」
突然涙が溢れて来た。今、巴絵が苦しい思いをしているのは全部僕のせいだ。
ピアノを弾くのが上手で、沢山の賞を取って、世間も皆が巴絵を認めていたのに。
「僕、僕なんかのせいで、ごめん、ごめんよ巴絵、本当にごめんなさい……!」
きっと僕と出会わなければ、巴絵は永遠に輝いていたのに。僕が巴絵を殺してしまった。煮え切らない、弱虫の僕が。武大からも巴絵を奪えるぐらいの男気を持った僕だったら、きっともっと幸せにできたのに。
ぽんと頭を叩かれた。
見上げると巴絵が微笑んでいて。
「やっと苦しいのが分かったか。このおばかさんめ」
「ぐすっ……そんなの、今までの巴絵じゃ絶対に言わないじゃないか」
「あはは、そうだね。うん、言わなかったと思う。……なんかね、今は全部スッキリしてるんだ。頭の中が全部クリアになっててね。麻酔のせいかな? もしくは、車に轢かれて本当に一度死んだのかもしれないね」
「怖い事を……巴絵」
「だからね、私、色々と考えてたんだけどさ。決めたんだ。……京太郎」
「……うん」
僕は、巴絵が言う事ならなんでも頷くつもりだった。付き合って欲しいと言われれば喜んで付き合っただろうし。大学を辞めて自分を看病して欲しいと言われれば、喜んで看病しただろうし。僕に出来る事は何でもするつもりだった。
朝日が眩しい病室で、巴絵は笑いながらこう言ったんだ。
「私達、他人になろっか」
開いた口から、言葉を発する事が出来なかった。僕の考えになかった巴絵の願いに、素直に「うん」とは言えずに。それは、怪我だらけの自分を鑑みての言葉なのだろうか、まだ巴絵は武大や二千華に遠慮して、それで出た言葉なのだろうか。
違う、巴絵は、僕との幼馴染という関係を終わりにしようとしている。
友人でいる事も無かった事にして、完全に他人になり、全ての呪縛から解き放たれようとしているんだ。僕達の幼馴染という名の呪いを解くには、それが一番良いのかもしれない。……だけど。
それは、僕と巴絵が完全に別れる事を意味する。
多分、これを了承してしまうと、僕と巴絵は一生涯に於いて交わる事はない。
目が泳いでしまい、何と返事をしていいのか迷う。
そういった僕が今までの全ての原因だと分かっているのに。
巴絵が決断したんだ。僕に何か言う権利なんてある訳無いじゃないか。
俯きながらも両手を握り締めて、僕は精一杯に返事をする。
「…………分かった」
決めた後も声を出すのに一拍必要だった。受け入れるしかない。巴絵が僕との別れを選択した以上、僕に何かできるはずがない。気持ちに気付いたから受け入れる? そんな都合のいい話がある訳無いじゃないか。僕は何の苦労もしていない。流されて、楽な方、楽な方へと向かって行っただけだ。
長々と居座ってしまった椅子から立ち上がると、僕は痛々しい姿をした巴絵を再度視界に収める。巴絵は満面の笑顔で、バイバイって口にして。
幼稚園の頃から僕達は幼馴染だったんだ。
それが、今日終わりを迎える。甘ったれた僕を鋭い刃で切り刻みながら。
「京太郎」
病室を出ると、壁に寄り掛かっていた武大が身体を起こし、僕に声を掛けて来た。
色々な思いが交錯する中、恨む事も憎む事も出来ずに、ただただ武大を睨む。
だけど、僕は武大に何も言う事が出来ないままその場を立ち去った。
武大との幼馴染の関係も、これで終わりだ。
僕達の関係は今、完全に終焉を迎えたのだから。
そして、僕は大学生活へと戻る事となる。
帰って来た僕を見て、二千華は驚いた表情をしていたけど。ただいまと言うと、彼女は僕に抱き着いてきた。そして、そのまま沢山泣いて、泣いて、泣いて。
気持ちが落ち着いた二千華は、僕に対して巴絵についてしまった嘘についての弁明を始めた。話題作りのため、そうなるだろうという仮定の未来を事実にしたかった為ではなく、自分の立ち位置を作りたかった。ただそれだけの為に付いた簡素な嘘だと。
二千華が嘘を付いた理由は、傍からするととてもくだらない理由だった。
だけど、僕にはその嘘をついた理由が痛いほど良く分かる。
僕達は凡人だから、眩しい人を見るとどうしても話題にしたくなる。
そして、僕達は不器用だから、人間関係を構築するのがとても下手くそなんだ。
なのに、他人に依存し、甘える事を望んでしまう。
ごめんなさいを連呼する二千華に対し、僕はそんなに謝らなくていいよって。
終わってしまった事を責める行為に何の意味もない。それを乗り越えられなかった僕の問題でもあるし、それを二千華一人のせいだとは思えなかったんだ。
だけど、ケジメは付けるつもりでいた。
「二千華……僕達も別れよう」
僕達は全員他人に戻った方がいい。今後何かあったとしても、絶対に今回の事が障壁となって悪さをしてくる。巴絵がそれを選択した様に、僕達もそれを選択する。
二千華は大泣きしていたけど、嫌だって泣き叫んでいたけど。
それでも、僕は頑なに彼女を受け入れなかった。
それからの生活は、極々平凡としたもので。
貯金をはたいてまずした事は、新居への引っ越しだった。
二千華の側にいては彼女も辛いままだ。極力距離を取り、会わないよう努力をする。そして、一人になった僕は、大学四年間を孤独に過ごした。
「当社を知ったきっかけは何ですか?」
「はい、御社を知ったきっかけは――」
平凡な僕には、巴絵や武大、二千華との事件はその身に余る出来事だったのだろう。そう感じてしまう程に、何事も起きないまま大学を卒業し、現役のまま新卒社員として働く日々が始まった。
たまにネットやニュースで武大の活躍を耳にしたけど、彼が結婚したとか、誰それと密会したとか、そういう情報は流れて来なかった。武大もまた、巴絵と別れた一人なんだと思う。カメラに写る彼の表情は、どこか影があって。……それがまたカッコイイって、人気を博しているみたいだけど。
巴絵はというと、驚くべきことにピアニストとして再起を果たしていた。退院してからのリハビリを思うと、彼女の凄さというモノを改めて実感してしまう。
両足は不自由になってしまったみたいだけど、凄惨な事故から帰って来た車椅子の天才ピアニストとして、少々長い二つ名と共に紙面を飾るほどに成長していた。
二人には勝てないな。僕は、やっぱり二人をただ見守るだけの凡人に過ぎない。
あの二人と過去に接点があった、これだけで十分すぎる程の幸福だったのだろう。
社会人生活二年目。僕はインク工場の調達管理課として勤務し、ようやく新しい環境にも慣れてきていた所だった。職場の先輩や上司とも上手くやり取りし、慣れないお酒なんかも付き合いながら日々を過ごす。
社宅と工場の行き来だけの日々だったけど、そこそこ充実はしていた。
新しい恋人や女友達は一人もいない。二千華とも、巴絵とも連絡を取っていない。
仕事が忙しくて、恋愛どころじゃなかったというのも本音だ。学生の内に恋愛をしておかないと、大人になってからじゃできないぞって何かのドラマで聞いたことがあったけど、本当だ。お金はあるのに時間がない。
僕の場合、時間があったとしても出来なかったと思うけど。
巴絵を想うと、今も胸が痛い。
大事な人だから、世界で一番好きな人だから。
例え側にいるのが僕じゃなくとも、巴絵には幸せになって欲しい。
それが、一番の願いだ。
――
次話「生まれ変わっても変わらないもの」
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