それでも私は貴方を愛しています。

綿島二千華

――


 巴絵さんが飛び出して行ったあと、外から車の急ブレーキの音が聞こえてきた。

 私が外に出ると、既に道路は血の海に染まっていて。京太郎君と武大君の二人、あと運転手の男性が巴絵さんの側に行き何かしていたけど。


 私は、側に行く事も、救急車を手配する事も出来なかった。

 巴絵さんが自殺を図ったのは、私のせいだ。


 三年前の嘘の清算は、まだ終わっていない。

 京太郎君と出会ったのも、それを告げる為の何かだったのかもしれない。


 爪を噛みながら、どうするかひたすら考える。もう、逃げるのは嫌だ。私が京太郎君の事を好きになったのも間違いのない事実。一緒にいたい、こんなに安心できる人は生まれて初めてなのに。


 私は、酷い女だ。この期に及んで自分の事を考えている。

 このまま巴絵さんが死んでしまえばいい、そんな事を考えてしまっている。

 

 「連れ添いには僕が行きます」と京太郎君が救急隊員に告げたのを聞いて、私は急ぎ武大君の車に同乗をお願いし病院へと向かう。車に乗った私を見て、武大君は一言「行くぞ」とだけ声を発した。


 この人は、私の過去の全てを知っている。

 くだらない人間関係の為についた嘘も。


 だけど、この人は否定しなかった。先の巴絵さんを見れば一目瞭然だ。間違いなく巴絵さんは高校時代……ううん、もっと昔から京太郎君の事が好きだったんだ。


 巴絵さんが私のついた嘘と、武大君がその嘘を受け入れてしまった事が原因で、巴絵さんの想いが京太郎君へと届く事は無かった。


 幼馴染、その呪いの様な言葉の前に、恋心は軋み、音を立てながら崩れる。

 私の恋心もそうだ、武大君と巴絵さんの二人が幼馴染じゃなければ。


 ううん、幼馴染じゃなかったら、多分二人はとっくに付き合ってたはずだ。

 そして、京太郎君は二人と知り合う事すら無かったはず。


 手術はきっと長引く、終わるのは深夜になるかもしれない。

 待合室で私はひたすら祈る。どうか、このまま私の嘘がバレませんように。


 武大君に数回視線を送ったけど、彼はスマホを見ていて、私の事を見向きもしなかった。当然だ、彼は天才で、私は凡人。そもそもが違うのに、何を今更頼ろうと考えたのか。


「巴絵の両親は今すぐ病院に来るそうだ」


 武大君が私を許すような事は、どうやらしないらしい。

 ゴミを見るような目で私を見ると、そのままこう言った。


「どうして、か。その答えは綿島二千華、お前が知ってるだろ」


 それまでの何かが音を立てて崩れ去る。

 終わった。京太郎君の私への想いの全てが消える。


 いくら優しい京太郎君だって、巴絵さんが自殺を図る様な嘘を許してくれるはずがない。そんなつもりじゃなかった。まさか巴絵さんが京太郎君の事を好きだったなんて、しかも狂愛じみていたなんて気付きもしないじゃない。


 だったら、ピアノで振り向かせるなんて面倒臭いことしてないでとっとと告白でもセックスでもして繋ぎ止めれば良かったのよ。貴女は輝いている人間なんだから、言葉一つでどうとでもなった筈でしょ。


 私が、こんなに京太郎君を愛してしまう前にそうして欲しかった。

 苦しい、胸が苦しい。武大君が何か言ってるけど、耳に入ってこない。


 京太郎君の手を握りたい、なのに、隣にいるのに凄く遠くて。

 涙が出てくる、私がついた嘘は、こんなにも苦しいものだったの。


 逃げたい、私は……逃げたいよ。

 もう、生きてる価値なんてないんじゃないかな。


 どうせこのまま何も変わらない、中学校の頃イジメられたのと同じ。きっと私っていう人間の立ち位置はずっと決まってるんだ。高校生になっても最後に貰った言葉は最低の二文字。大学生になっても、きっと一緒なんだ。


 しばらくすると手術が終わったと告げられて、私達は病室へと案内された。

 包帯に巻かれた痛々しい巴絵さんは、麻酔の効果で静かに寝ていて。


 医師から説明を受けたけど、彼女の今後の人生は途方もなく絶望が付きまとうことだろう。両足の障害に、元々どうだったのかは知らないけど、両手の障害。


 きっと、まともに生活する事は難しい。お皿一つだって洗えない。

 京太郎君がピアノは弾けますかって聞いてたけど、そんなの、無理に決まってる。


 私がついた嘘を責める事はしなかったけど、京太郎君の視線は巴絵さん一人を見ていた。途中、彼は武大君を見ていたけど、その目は完全に敵を見る目で。


 あの目で、私も見られてしまうのだろうか。半年で、私はどこまで京太郎君の中に食い込む事が出来たのだろう。今は許してくれないかもしれない、痛ましい巴絵さんを前にして、そう簡単にいく話じゃないって分かってる。


 だけど、私は貴方の事を好きになってしまった。

 将来は京太郎君しかいないって今でも思ってる。

 

 平凡な生活でいいの、こんなドラマみたいな事件はいらない。


「京太郎、ちょっと外に出ないか」


 そう言うと、二人は病室を後にした。

 武大君が私を見て、連絡先を私に手渡すと巴絵を頼むって言って。


 二人きりになった私は、近くに座り、改めて巴絵さんへと視線を送る。


 頭部に包帯をしているけど、目を閉じて眠っている彼女はとても美しくて。京太郎君が惚れてしまう理由が、何となく分かってしまう。彼女もきっと、温かい人だ。そばにいるだけで思わず微笑んでしまう様な人だ。


 男性だったら、こんな綺麗な人を彼女に出来たら、きっとそれだけで優越感に浸ってしまう。どうだ、これが俺の彼女だぞって、そんな。


 見れば見る程、感じれば感じる程、私じゃ勝てないって分かる。

 私がいま京太郎君の側に居られたのは、奇跡がいくつも重なったからだ。


 あれだけの想いだ、絶対に巴絵さんも京太郎君に沢山のアピールをしてきたに違いない。だけど、そのことごとくが邪魔されて、告げられない気持ちだけが風船みたいに膨らんでいったんだ。そして、ぱぁんって破裂。


 静かだ。巴絵さんの寝息しか聞こえてこない。

 今なら京太郎君もいない、武大君もいない。


 私は、いつか巴絵さんが起きたら言わないといけない。

 言えないかもしれない、私は卑怯者で、直ぐに逃げちゃうから。


 だから、せめて寝ている貴女に対して言おう。すぅ……と息を吸って。


「………………私ね、知らなかった。貴女が京太郎君の事を好きだったなんて。だって、ずっと武大君と一緒にいたじゃない。だから、私、嘘ついちゃったんだ。絶対その方が皆喜ぶと思ってたから。武大君と巴絵ちゃんが付き合ってるって……ごめんなさい。私の付いた嘘が、貴女をこんなにまで苦しめていたなんて……本当に知らなかったの、ごめんなさい」


 そして、強欲な私は、京太郎君を貴女に取られたくないと思ってしまっています。きっと優しい彼の事です、貴女が社会復帰できるまで、貴女の側に居る事でしょう。


 私もその横にいてもいいですか。貴女の事を応援する……それぐらいの事は、許してくれますか。ねぇ、巴絵さ――――。




 許さない。




「ひっ」


 思わず声に出てしまった。直ぐに閉じたけど、今、巴絵さんの目が開いていた。


 そしてその目が語っていた、絶対に許さないって。次に苦しい思いをするのは私だって、そう言っていた。カチカチと歯が音を立てる。多分、私はこの化け物を相手に一生戦わないといけないんだ。


 京太郎君の事を愛している限り、私は、ずっと苦しまないといけない。

 出来るかな、逃げた方がいいのかな。全部捨てて、今、この部屋から。


 京太郎君と武大君が部屋に戻ってきた。京太郎君に丸椅子を譲ると、彼は目をごしごしと拭きながら椅子に座る。泣いていた? 一体何があったのかなって武大君を見たけど、彼は何も語らなぬまま壁に寄りかかる。


「巴絵……ああ、巴絵!」


 数時間後、巴絵さんの両親が迎えに来て、ベッドで横たわる巴絵さんを見て泣いていた。そして、武大君にありがとうと言い、京太郎君と私を見て一礼する。


 巴絵さんのご両親の希望もあり、彼女は自宅近くの病院へと転院する事となった。

 彼女が目を覚ます前に、ぜひともお願いしたいと。


 僕も一緒に行きます、京太郎君がそう言ったから、彼の側に行き私もと言った。


「……ダメだ、きっと巴絵は君を見たらまた興奮してしまう。離れていた方がいい」


 京太郎君は至極当然の事を言ったのだ。そして、それを聞いた巴絵さんの両親が私を見る目を変える。また、敵が増えてしまった。心臓が、痛い位に激しく鼓動する。


 目の前にいる京太郎君は、やっぱり遠くなってしまった。

 

 今度は私の番なんだね。巴絵さん、貴女が受けた苦しみを、今度は私が味わう番なんだね。大好きな人なのに、想いを伝えたのに、数時間前まで私達は恋人だったのに。


 ぽたぽたと涙が落ちて、でも……今度は逃げられない。

 逃げたくないよ、京太郎、どうして貴方はこんなに優しいの。


 今だって私を罵れば良かったじゃない、巴絵がこんな姿になったのはお前のせいだって怒鳴れば良かったじゃない。どうしよう、私、多分ずっと待っちゃうよ。ずっと苦しいままだよ、終わりが無いよ……どうしよう。


「それでも、私は……貴方を愛しています」


 掠れるように吐き出した告白は、そらへと消える。

 巴絵さんの搬送が終わると、京太郎君も一緒に居なくなってしまった。


 人が増えてきた待合室で、私は一人その場に座り続ける。

 京太郎君と大学に行かないといけない、今日はコマ取ってたんだ。


 そんな考えが、非日常になってしまった。

 受け入れられない、悲しくて、涙がずっと止まらなくて。


 京太郎君に会いたい、優しい言葉を掛けて欲しい。また、一緒に手を繋いで歩きたい。無理なの? 京太郎、私って貴方から見て大事な人だったんじゃなかったの? ……ねえ、京太郎……。


――

次話「だから僕達は幼馴染を辞めた。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る