打ち明けた夜、悲しみと共に。

降矢武大

――


 片道三時間、俺達が住んでいた町から、京太郎が住む町までの距離だ。

 高速道路を延々と走っていると、珍しく京太郎からの着信が入る。


 着信拒否を解除してたのか。一瞬の躊躇の後、俺はカーナビの通話をタップする。


「巴絵の件か」


 京太郎からの連絡なんてそれしか有り得ない、家に辿り着いていたのか。いや、丸一日あったんだ、電車だろうが新幹線だろうが、住所が分かれば誰だって辿り着くに決まってる。むしろ遅いくらいだ、巴絵は空白の一日で一体何をしていた。


「何があったの? 巴絵は武大と付き合ってたんじゃなかったの?」


 呑気な京太郎の声が聞こえてきた。巴絵が無理心中を図ったとか、そういうのでは無さそうな事に、僅かながらに安心する。それにしても、京太郎の中ではその情報のまま止まっていたのか。


 ……そう、だよな。俺も言わなかったし、巴絵が知るはずもない。


 その後の京太郎との会話の中で、あの女の子の名前が出てきた事に驚く。


 綿島わたじま二千華にちか、彼女も数奇な運命の歯車の一つだったのだろうか。そして、彼女も俺と同じくして卑怯者らしい。会話から察するに二千華は二人に一番大事な事を伝えていない。京太郎はそれを知らなくてはいけないはずなのに。巴絵も、知るべきだ。


 京太郎との通話を切り、俺はアクセルを踏み込む。

 

「怪我をしている……か、自分でやったんだろうな。巴絵、お前本当にそれで良かったのかよ。もっと賢くやれたんじゃなかったのか? 俺を選んでくれていれば、お前にそんな思いはさせなかったのに」


 きっと本当なら今頃は、煌びやかなシャンデリアの下で、巴絵に負けないくらい綺麗なドレスを身にまとい、沢山の観客を喜ばせていたはずなのに。


 言葉を発した後に、まだ微かに残っていた巴絵への想いに気付く。


 恋心っていうものは、とても厄介だ。半年かけて萎んだはずなのに、気付けば再燃している。当たり前の様に燃え上がり、それに身体が支配されちまう。


「……流石に、ねえよ。俺が巴絵と一緒になる未来は、半年前に捨てたんだ。だから、静まれって。今の俺は、巴絵のお兄ちゃんとして迎えに行くだけなんだから」


 そして、両親の下に巴絵を連れて帰る。

 幼馴染として出来ることは、それだけだ。


 巴絵は嫌がるだろう、やっと会えた京太郎だ、心酔してしまっている事だろう。


 だから……俺に出来る事はしてやりたい。

 誤解を解く。綿島二千華、お前も大なり小なり苦痛を共に味わうべきだ。


 全てを聞いた京太郎が、いきなり巴絵に振り返るとは思わない。だけど、きっかけにはなるはずだ。何も知らないまま、安っぽい嘘を打ち込まれたまま終わる様な俺達じゃないだろう。


 例え、全部がダメでも、巴絵は俺と京太郎で支えてあげるべきだ。

 幼馴染として、親友として。二人で巴絵が幸せになるよう全力を尽くす。


 優しい京太郎のことだ、それならきっと頷いてくれるはずだ。

 そして、俺達は昔に戻るんだ。何も無かった、子供の頃の様な関係に。


「……ここか」


 京太郎の住むアパートは、二階建ての小奇麗なアパートだった。玄関に警備員がいるようなマンションじゃなく、ウィークリーみたいな感じの、単身赴任の人が住むような感じだ。


 大学の近くで検索して選んだアパートなのだろう。田舎ながらも幹線道路に沿った場所に面していて、お店もそこそこある。駅まで徒歩は正直厳しいだろうけど、バスがあるに違いない。


 逡巡し、いきなり部屋に行くもの何かと思い、車から降りて京太郎を呼び出す。


「着いたぞ、屋根がオレンジのアパートでいいんだろ……ああ、そうそう、道路に今路駐してる。少しくらいなら大丈夫だろ……ん、分かった、待ってる」


 変わらない感じだったけど、声に少しばかり緊張があった。

 何か進展があったのか? 何はともあれ、警察沙汰になってなくて何より。


 カチャっと鍵の開く音が聞こえてきて、黒い髪を少し伸ばした京太郎が顔を覗かせる。よ、と手を上げると、京太郎も微笑んで返してきた。


 元気そうだな、そんな事を口走ろうとした次の瞬間、京太郎はその身体を宙に浮かせ、そのまま地面に倒れた。一体何が起きたのか頭が理解する前に、視界が彼女を捕らえる。


 巴絵だ。もう随分と底冷えし始めているのに、黒のワンピースを着た巴絵が裸足で走ってきて。


 俺は、あの日の様に巴絵を受け止めようとした。高校の卒業式の日、俺の腕の中から逃げ出そうとした巴絵を、俺は右腕で受け止めたのに。


 走ってきた巴絵を見て、逆に俺の身体は硬直してしまった。


 沢山泣きはらしたであろう巴絵の両目は腫れていて、眉間にシワがより、化粧がそれでヒビの様に割れていて。恐怖を感じた、学生時代、妖精の様に可愛かった巴絵が、今はまるで別人になってしまっていた。


 違う、俺がそうしたんだ。

 俺が二千華の嘘を伝えなかったから。

 俺が無理やり唇を奪ったから。

 俺が、いつまでも巴絵の事を好きだったから。


 前と同じように腕を出せば良かったのに、俺には出来なかった。

 そして巴絵は道路へと飛び出すと、一瞬俺達の方を見て、そして。


 ――――。


 全身から嫌な汗が出る。華奢な体の巴絵は宙を舞い、聞いた事の無いような音を立ててコンクリートに頭を叩きつけた。その後、目の前で車に轢かれた巴絵は、その場に横たわるとぴくりとも動かなくて。


「巴絵!」


 京太郎が走る、俺も後を付いていったけど……。道路に鮮血と共に仰向けで横たわる巴絵は、まるで死んでいるかのように目を閉じ、意識を失っていた。


 呼吸は、ある、胸が動いているから。だけど、痛々しいまでに折れ曲がってしまった四肢を見ると、周囲に飛散した巴絵の赤々とした血を見ると、とてもいたたまれなくなって、思わず両手で口を押える。


 数分もしないで赤色灯を点灯させた救急車が到着し、巴絵は病院へと搬送される事になった。俺と京太郎、二千華の三人が病院へと付き添い、巴絵の手術の終わりを待つ。


 その間、俺は巴絵の両親へと連絡した。

 今すぐ行く、連絡ありがとう。両親はそれだけ言うと、忙しそうに電話を切った。


「巴絵の両親は今すぐ病院に来るそうだ」


 待合にいるのは俺と京太郎、二千華だけだ。

 

「……どうして、巴絵……」


 そう呟いた京太郎を俺は一瞥した後、呼吸を整えてから口火を切る。


「どうして、か。その答えは綿島二千華、お前が知ってるだろ」


「……どういう意味? 二千華と巴絵に何の関係があるのさ」


 当の二千華はというと、青い顔をしてダンマリを決め込んでいて。

 言えないんだろう、きっと彼女も京太郎の魅力に憑りつかれちまったんだ。


「俺達の高校生活が狂ったのは、そこの綿島二千華が付いた嘘が原因だ。それだけじゃない、その嘘に乗っかっちまった俺が一番悪い」


 悪はいつか断罪されなきゃならない。

 どこまで逃げても、いつかは償わなきゃならないんだ。


「京太郎、お前、二千華から巴絵と俺が付き合ってるって言われたんだろう? ……まぁ、返事はいいぜ。昔本人から聞いたからな」


「そう、だけど。二千華、それは本当なのかい? 君が嘘を付いてたって」

 

「本当だ、どうせ怖くて言えないんだろ。それに、そこはもうどうでもいい。その噂を俺が聞いたのは高校二年の時だ。その段階で俺が否定していれば、巴絵はこんなに苦しまなくても良かったんだ。だけど、否定できなかった。俺も巴絵が好きだったから」


 片方は嘘だったけど、片方は嘘じゃなかったんだ。俺は間違いなく巴絵に惚れていた、そしてどうにかして巴絵に振り向いて欲しかった。けど、巴絵の視線の先にはいつも京太郎がいて、俺じゃどうあがいても勝てない。


「……でも、卒業式の日に二人は抱き合ってたじゃないか。それを見て僕は巴絵を諦めたんだ。それにあの場で武大言ったじゃないか、認めたじゃないか、自分が巴絵と付き合っているって」


 京太郎の言葉に、俺は静かに首を横に振った。


「付き合っていない。あの場でああいう対応をすれば、京太郎への想いを巴絵の中から少しでも消えせるんじゃないのか。そう思っていただけだ」


「なんだよそれ……それじゃあ、何か。武大、お前、巴絵に無理やりキスしたって言うのか。しかも、さっきの巴絵の言葉が本当だとすると、巴絵が僕の事を好きで、なのに、それが分かってて……僕の前で」


 沈黙の中、京太郎は項垂れる。

 本当なら、ここに巴絵もいるべきだった。


 愚か者の俺をどうするのかは、巴絵と京太郎の自由にさせるべきだったのに。

 

「手術が終わりました、八子巴絵さんの付き添いの方はいらっしゃいますか」


 手術室から出てきた看護師さんに連れられて、両親が間もなく到着すると伝えるも、とりあえず概要だけでもと俺達は医師から説明を受ける事に。


 巴絵の命に別状はない。だが、事故により折れてしまった両足が思いのほか酷かったらしく、将来障害が残る可能性が高いと言われた。全く歩けなくなる訳ではないと言っていたが、当人の相当な努力が必要だということ。


 そして、手指も治療はしたが完治は難しいとも言われた。

 ピアノはどうですかと京太郎が質問したけど、医師の返事は本人次第の一言。


 その後、俺と京太郎、二千華の三人で巴絵の病室へと行き、三人で彼女の側に居る事に。


「京太郎、ちょっと外に出ないか」


「……ここでいいだろ。今は、巴絵の側を離れたくない」


「ちょっとでいいんだ、頼む」


 巴絵の事を頼むと二千華に伝えると、俺と京太郎は病院の駐車場へと向かった。

 山が近いからか、虫の鳴き声も近く感じるし、どことなく空気が違う。


 すん……と鼻で緑を味わったあと、俺は京太郎へと振り返る。


「京太郎、俺の事を気が済むまで殴って欲しい。こんな事で贖罪になんてならないと思うが、このままでいることに俺も辛いんだ」


 なんと身勝手な言葉だろうか。自分で言ってて腸が煮えくり返る。

 だけど、今の俺にはそれぐらいしかできないんだ。


 京太郎は俺の側に近づき胸倉を掴んだ。

 なのに、殴ったりはせずに、そのまま顔を近づける。


「それは、一番傷つけた巴絵に言ってくれ。許す許さないは巴絵が決めるべきだ。それに……僕が一番巴絵に酷い事をしてしまった。もっとちゃんと見てあげれば良かった。二千華の嘘も、武大の嘘も、僕のしたことに比べれば大した事はない」


 僕が、巴絵を受け入れていれば。そう言うと、京太郎は泣き始めた。


 間違ってるんだ、俺達は全員が間違えてしまった。

 どうしてこんなにズレてしまったのだろう。


 今は、巴絵の回復を待つばかりだ。目が覚めたら、巴絵にきちんと謝罪しよう。

 まず、許してくれるとは思わないけど……それでも。


――

次話「それでも私は、貴方を愛しています。」

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