嵐の後、静かな海。

氷鏡京太郎

――


 二千華の凶刃から僕達を守ってくれた武大に大丈夫かと声を掛けるも、彼は目を伏せたまま静かにその場に両膝を付け、俯いたまま微動だにしなくなっていた。滴り落ちる鮮血が元々赤い色だった絨毯をより真紅に染め上げる。


「うそ……いや、いやあああぁ! 武大、武大!」


 巴絵の悲鳴が式場に木霊する。車椅子から下り、這いつくばって巴絵が近づくも武大は反応を示さなかった。僕達は結婚なんてするべきじゃなかったのかもしれない。そう思ってしまう程に、目の前の惨劇が、失ってしまったものが大きすぎて。


 そんな武大に抱き締められていた二千華は、床に押さえつけられたまま、茫然と、ただ茫然と武大を死んだ魚の様な目で見て、だけど、涙していた。


 全員が望んでいなかった、こんな事が理由で僕達の関係が終わる何て夢にも思わなかった。どんなに後悔しても、どんなに悔やんでも悔やみきれない。


「なんで、なんでだよ……武大。刺されるなら僕じゃないか、君が死ぬ必要なんてどこにもないじゃないか。僕が二千華と別れたのに巴絵と結婚したから、だから」


 懺悔の様な言葉をいくら並べても、武大は帰ってこない。僕達は後悔のまま生きなくてはいけないんだ。何もかも、選択する何もかもを失敗してしまった僕達には、決して幸せになる事なんてできはしないのかもしれない。


 そう思っていた、その時。


「…………バカ野郎、人を勝手に殺すな……」


 武大が目を少しだけ開いて、僕達の方を見る。


「武大……」


「いいんだよ、俺達でも幸せになっても。勿論、二千華もだ」


 名前を呼ばれた二千華はその目を潤ませながら、静かに武大を見る。返り血を浴び、その半身を血で染め上げながらも、瞬きの一つすらせずに二千華は武大をただただ見つめていた。


「はぁ……大丈夫だよ、そんなに心配そうに見るな。必ず帰ってくる、だから、お前も頑張れ、二千華。……あと、ごめんな、京太郎、巴絵。大事な結婚式だったのに、こんな事になっちまってな」


「な、何を言ってるんだよ、武大……」


「結構深いな……けど、これぐらい、大丈夫だろ。人間意外と死なないもんさ」


 突き刺さった刃物をその手で抑えて、武大は少しだけ微笑んだ。

 

 寸刻もしない内に救急隊員がやってきて、武大をストレッチャーに乗せ急ぎ搬送する。何度も何度も武大をお願いしますと叫び、僕達は親友の無事を祈りながら彼を見送った。


 そして、入れ替わる様に現れた警察官が現場へと臨場し、二千華を殺人未遂の容疑で現行犯逮捕、手錠を掛けて警察署へと連行していく。二千華は最後まで僕達の方を見ようとはせずに、武大を目で追い続け、無言のまま僕達の前から姿を消した。


 結婚式はそのまま解散となったが、警察の取り調べや任意聴取は続いた。僕達は日付が跨いだぐらいの時間で解放されることとなったのだが、翌日には活動を開始する。まずは式場へ謝罪しに行き、その足で武大の入院した病院へと足を運ぶのだが。


「よ、ご両人、なんだか俺達病室で会う事が多いと思わないか?」


 手術も無事終了し、今は元気に病室のベッドで筋トレしている武大の姿を見ることに。鉄アレイにダンベル、ゴムにプロテイン等々、ケガ人がいる部屋だとは思えない有様に、僕も巴絵も声を出して笑ってしまった。


「武大が無事で本当に良かった。ありがとう」


「プロ格闘家だからな、急所を外すのは朝飯前だ。ほれ、あるだろ? 筋肉で刃を止めるの。まさか実践する事になるとは思わなったけどな」


 ガッツポーズを見せる武大の側に、きぃと車椅子の音を立て巴絵が側に近寄ると、その腕にぎゅっと抱き着く。ぽんぽんと背中を叩く武大が僕を見たけど、僕はそれに笑顔で返した。


「本当に……死んじゃったかと思ったんだから」


「心配してくれてありがとうな、巴絵。ま、言った通りって奴だ。人間そんな簡単には死なないんだよ。大体それは巴絵が一番良く知ってるだろ? なんてったって車に跳ねられても死ななかったんだからな」


「もう、そんな昔のこと言わないでよ」


 くしゃっと表情を崩しながら武大が笑い、巴絵が恥ずかしがりながらもベッドに腰を落とす。僕はそれを微笑みながら近くにあった丸椅子に座り、他愛もない事を口にする。まるで十年前に戻ったみたいな感覚だった。三人一緒に高校受験の勉強をして、ただただ笑っていたあの時みたいに。


 僕と巴絵の関係は夫婦へと名前を変えたけど、武大は今も変わらない。ずっと幼馴染のまま……いや、親友のままだ。その後も会場で聞きたがっていた僕と巴絵の再会の秘話や、武大の武勇伝などで盛り上がり、幾年の話題を粗方話し終わった後に、武大はこう切り出してきた。


「でもま、お前達二人が二千華をどう思っているのかは、何となく分かってたけどな。じゃなかったら普通入れないもんな、許可、出してたんだろ?」


「……うん、二千華にも招待状出したかったけど、出せなかったし。会おうにも会えなかったから、せめてって……ね」


「普通一般人は通さないからな、やっぱり来場者リストに載せてあったのか。まさかそれがあんな事になるとはな……。ああ、そうそう、お前達二人には悪いが、俺は今回被害届を出さないからな」


 リンゴをシャリっと食べると、武大はベッドから起き上がり僕達を見た。


「俺には二千華の想いって奴が良く分かる。アイツには誰かがいてやらないとダメだ。今のアイツの側にはきっとロクでもない奴しかいない。二千華がそれを受け入れるかどうかは分からないが、保護者代わりにはなってやるつもりだ」


「……ありがとう、何から何まで、本当にありがとう。僕達もそれ被害届をお願いしにきたんだ。二千華が今回あんな風になってしまったのは、絶対に僕達が原因だから……」


 そう言う僕の頭をわしゃわしゃと撫でて、武大は満足そうにベッドに横になる。喋り過ぎて疲れた、そういや留置所の面会は午後五時までだぞって言いながら。


 病院を出た僕と巴絵は二千華へと会いに向かったのだけど、逮捕されてから三日間は面会が難しいと言われてしまった。取り調べを最優先にするらしく、弁護士以外は無理だと。素直に引き下がり、僕達は式に参列してくれた関係者や会社を回り、そして最後に両親へと顔出ししたのち。


「……ふぅ、やっと一息つけたね」


 僕達が自分達の家へと帰宅する事が出来たのは、丸いお月様が天高く上がり、優しく輝き始めた頃になってしまっていた。窓辺のソファーに座り綺麗な満月を見ながら足を延ばす。一日中歩き回っていたから、本当に足が棒になってしまったみたいだ。


「何だか私ってイベントがある事に謝ってる気がする」


 巴絵がこう言いながら湯気の立つ珈琲をテーブルに置くと、僕も身体を起こし、ありがとうと一口。


「ごめん、ほとんど僕が原因だよね。……なんか、申し訳ない」


「本当にそう思ってる?」


「そりゃもちろんそうさ」


「じゃあお風呂で全部洗ってもらおうかな。後は足のマッサージと指のマッサージと、お尻痛いからお尻のマッサージも全部お願いね」


 はいって両手を差し出して、巴絵は僕を求める。車椅子を器用に使う巴絵だけど、彼女は両足を上手く使う事ができない。何かに掴まりながら自力で立つことは出来るみたいだけど、それだけだ。


 抱き上げるととても軽くて、そのまま僕と巴絵は唇を重ねる。音を立てる様に数度重ねた後、僕達は二人でお風呂場へと向かった。巴絵の着ている服を一枚一枚丁寧に脱がすのだけど、僕は未だに巴絵に慣れない。


「……なんか、京太郎エッチだ」


「ごめんなさい」


「いいよ、嬉しいだけだから」


 夜は長い、身体を洗い二人で足が延ばせるほど大きい湯船に浸かると、巴絵は横になり、くてんと僕に身体を預ける。激動の一日だった。幸せと絶望が表裏一体になったあの日を、僕達は決して忘れる事が出来ないだろう。


――

次話「さよなら」※本日20時投稿

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