勘違いした幸せと、失ってしまった幸せ。

八子巴絵

――


 サロンコンサートを終えた後、私がしたことは参加してくれた先生達への謝罪だった。せっかく楽しみにしてたのに。色恋沙汰程度で。理由を口にしても許してもらえるはずもなく、私はただただ謝罪の言葉を繰り返し、頭を下げ続けた。


 もう忘れよう、京太郎君への想いも、武大君への甘えも。

 幼馴染というだけで、私は二人を特別に思ってしまっている。


 先生達の言う通りだ、今の私は色恋沙汰に呆けている場合じゃない。今この瞬間だってライバルたちはその爪を研ぎ、牙を磨いているに違いない。十年以上続けてたって、三日弾かないだけで感覚が狂う。


 授業中も机を鍵盤に見立てて指を弾き、休憩時間はタブレットで実際に音を付け、部活では鍵盤に想いを乗せる。勉強だって頑張った、ずっとずっと頑張った。


「合格……か」


 そして私は、都内でも随一の音楽大学に現役合格するに至る。


 これが終わりじゃない、芸の道への第一歩ですらないんだって先生に言われたけど。だけど、どこか安心してしまった。間違いなくひと段落はついたのだから。少しくらいは羽目を外そうかと思い、久しぶりに京太郎君に連絡を取ろうと思ったのだけど。


 奇跡的な偶然、連絡をしようとしたら武大君からの着信。電話に出ると、私の大学の合否が気になったんだって。合格したよって伝えると、良かった、おめでとうってスピーカー越しに精一杯お祝いしてくれた。


 瞬間、私の脳裏には微笑んで拍手をする京太郎君が思い浮かんだ。忘れるとか、そんな次元の問題じゃないのかもしれない。何でこんなに好きなんだろう、もうこれは何かしらの呪いか何かなんじゃないかって思う。


 それほどまでに京太郎君という存在に依存してしまっているし、何があってもいつかは私の側にいてくれるんじゃないのかって信じてしまっている。相変わらず行動には移せないくせに、想いだけが空回りしていて。


 そして、その思いを全部鍵盤にぶつけた。

 京太郎君だけを思って、京太郎君だけの為に、京太郎君を振り向かせたくて。


 いつしか動画投稿者とのコラボなんかもするようになり、天才ピアニストなんて紹介もされる様になった。駅に設置されているストリートピアノをゲリラ的に弾いたり、地方だけどテレビの取材も受けたりして。


 同時期に、武大君も空手家から格闘家へと転身すると宣言。高校の卒業と共にプロ格闘家への道も歩むのだと公言していた。彼の場合は専属のマネージャーが既についているらしく、スケジュール管理から雑誌の取材まで、既に活動範囲はメジャー級と噂される程に進化していた。


「俺的には何も変わってないと思うんだけどな」


 暇があれば、私と武大君は一緒に過ごす様になっていた。お互い暇なんてほとんどないのに、家が近いってこういう時便利なんだなって、心の底から思う。


 ここに京太郎君がいてくれたら、私の中では完璧なのに。


「これ、プレゼント。思えば俺から巴絵にプレゼントなんてした事なかったから」


 何のプレゼントって聞いたら、どこでも良いから受賞した時のって。あり過ぎて分からないって言うと、互いに苦笑して。開けてみると小さなハート型のネックレスだった。


 最近、ロケットしてないだろ。うん、してない。大事に閉まってるから。忘れようって思ったのに、忘れられないまま、今も机の引き出しにしまってある。忘れられるはずがないんだよ、十年以上想い続けたんだから。


 つけて欲しいってせがむ武大君に対して、ごめんねって言葉を返す。そして仕舞うのは、ロケットを仕舞ったあの引き出しだ。私の中で二人はいつまでも一緒。ずっと離れて欲しくない、永遠の幼馴染。


 時の流れは早くて、あっという間に卒業式。


 後輩たちの涙にもらい泣きしながらも、私は教室を始めとした学校内のありとあらゆる場所を回った。途中すれ違った先生とお喋りしたり、後輩に捕まってまた泣いたり。上手な絵を描いてある黒板もあって、それを見てまた泣いたり。


 泣きはらした数時間だったと思う。


 一通り見終わった私は、一年間通った教室の自分の席に一人座っていた。外を見ると桜で綺麗に染まり上がり、私達卒業生の門出を祝っている様にも見えたけど。

 

「京太郎君……どこかな」


 入学式の時は三人一緒に笑ってた。その前も受験で必死に勉強もして、沢山笑っていて。きっと、高校生活はもっと沢山笑えるんだと思ってたのに。


 私は、思い返せばずっと泣いていた。どれも京太郎君がいけないんだ。京太郎君が突然私達と距離を取る様になったのがいけないんだ。


 卒業式だけでも、三年前みたいに笑って桜を見たい。このままここで待っていれば、京太郎君は私を見つけ出してくれるんじゃないのかなって期待していたのに。

 

「……こんなとこにいたのか」


 よ、有名人、そう声を掛けてきたのは武大君だった。私の前の席に座って、背もたれに両腕を乗せて枕みたいにしてこちらを向く。思えば、いつも武大君が私の側にいる。彼も幼馴染だし、色々と守ってくれているし、助けてくれもした。


 だけど、何故だろう、武大君の事を男性として好きになる事はない。これは私の感情と言うよりも、本能に近いどこかそんな場所が訴えかけている事だ。逆らえない、ずっと幼馴染で、なんだか頼りになるお兄ちゃんみたいな存在で。


 三年なんてあっという間だね、そう言いながら立ち上がり窓辺に行くと、武大君もついてきて、そうだなって。もう卒業式の片付けも終わり掛けていて、外を歩く生徒も少なくなっていた。京太郎君はどこにいるんだろう、もう、帰っちゃったのかな。


 私達の進路は別々だ。音楽を先行したのだから、同じになるはずが無い。

 だから、今日を逃したら会う事だって難しくなるのかもしれないのに。


「京太郎君……もう、昔に戻れないのかな」


 何度目の涙だろう。ハンカチは変色してもう原色をとどめていない。それでも頑張れって目端にあてると、武大君が青い自分のハンカチを差し出してくれて。何枚あっても足りないよって伝えたけど、武大君は苦笑して、何枚でも用意してやるよって。


 なんだか、無性に泣きたくなった。幼馴染の関係が、幼馴染の関係のままで終わってしまう。私は、京太郎君ともう一個上の、違う関係になりたかったのに。


「俺で良ければ、胸を貸すぜ」


 その甘言は、多分本心だ。いつだってそう、私が本当に泣きたくなった時に武大君は側にいてくれて、優しい言葉を掛けていてくれたのに。そして、今もそれに身体を預けてしまっている。大きい胸板に、安心してしまう温かな体温。


 私は酷い女だ。さすがの私だって武大君が私をどう思っているのかなんて、とっくに気づいている。遠回しだけど、武大君は私への愛情をアピールしてきてくれて、だけど、それを受け入れもせずに、だけど、拒否もせずに。


 それが、一番最悪なんだって分かっているのに。


「……ありがとう、武大」


「いいのか、本当に」


「……うん、もう、大丈夫」


 涙は止まった、だけど、私はきっとまた沢山泣いてしまうのだろう。この感情は京太郎君じゃないと抑えられない、だって、原因は全部京太郎君なんだから。


 次、京太郎君と会う事があったら、どんな状況であっても告白をしよう。


 今のこの現状は私が原因だ。何時までも告白できなくて、勇気がもてなくて、色々な人を利用しようとした罰が今の現状なんだ。その結果フラれる様な事があるとしたら……その時は――。


「おめでとう! 二人とも! 一年生の頃から全部聞いてた! 二人はずっと付き合ってたって! 僕も幼馴染として嬉しいよ! 本当におめでとう! お幸せに!」


 まるで不意打ちの様な言葉に、ぎょっとした。心臓が止まるかと思った。勢いよく開け放たれた教室の扉の先には、どれだけ探しても見つからなかった京太郎君が居たのだから。しかも、今の言葉って、なに、なんなの。私が武大君と付き合ってる? 一年生の頃から? それが私達と、私と距離を取り始めた原因だって言うの?


 ううん、それどころじゃない。私は今武大君と抱き合ってしまっている。これが不味いんだ、きっと京太郎君は勘違いをしている。勘違いしてしまうよ、こんなの誰だってそう思ってしまう。だから離れて欲しい、武大君だって分かるでしょ? お願いだから離して、私は、私は――。


「ち、違う、違うの、ねえ聞いて京太郎君」


「……いいや、違くなんかない、ありがとうな、京太郎」


 武大君が何を言っているのか分からなかった。理解なんて出来ない、だって、目の前に京太郎君がいるんだよ? そんな事を言ってしまったら、絶対に勘違いして――。


 押さえつけられた力は、私じゃどうする事もできない。昔から頼りになるお兄ちゃんだったんだ、武大君はずっとお兄ちゃん、強くて頼りになるお兄ちゃんなんだよ。なんで変わろうとするの、なんで貴方が変わろうとしてしまうの。


 原因は私だ。私が武大君に頼り切ってしまったから。

 だから、私が武大君を惑わせた。


 でも、受け入れたくない。


「っ、離して! なんで、なんで!」


「分かるだろ! もう俺達とアイツじゃ住む世界が違うんだ! 将来アイツはお荷物になる! 一般人と有名人とで釣り合うはずがないだろう!? 格差を毎日、今後アイツが死ぬまでの数十年味わうことになるんだ! それがどれだけアイツを苦しめるか、巴絵なら分かるはずだろ!」


 分かんない、そんなの分かんないよ。だって、昔はずっと三人一緒だったよ。何の差もない三人組だったのに。なんでそんな酷いこと言うの、格差なんてないよ。私は、京太郎君の為なら全部捨てたっていい。


 音楽なんて、やりたくてやってるんじゃないんだから。


 武大君を突き飛ばして、私は京太郎君を追いかけた。だけど、どこを探しても見つからなくて、電話にも出てくれなくて。いつしかスピーカーから聞こえてくる言葉が着信拒否のものに変わり、私は今日何度目か分からない、だけど、一番の大声で泣いた。


 もう夜の十二時だ。こんな時間まで外を出歩いていたことなんて一度も無い。幾らかけても京太郎君に繋がらないまま、私は彼の家の前で立ちすくむ。


 電気が点いてない。寝てるのかな。まだ、私と一緒で家に帰ってないのかな。

 ねえ、京太郎君。貴方が望むのなら、私、このままどこか遠くに行ってもいいよ。


 二人だけで、何も無い場所で、幼馴染の関係を終わりにして。そして。


「……あ、巴絵、どうしたんだい。遅かったから心配したんだよ」


 家を出てきた両親に保護された私は、そのまま死んだように眠った。丸一日以上寝ていたらしく、足もマメが潰れるほど歩き続けていたせいか、物凄く痛くて。


 心の距離がどれだけ離れていても、物理的には近い。

 幼馴染なんだもん、歩いて辿り着けるくらいの距離に京太郎君はいる。


 会いたくて、誤解なんだって、全部説明したくて。

 武大君にファーストキスは奪われちゃったけど、他は全部綺麗だから。


 京太郎君、貴方と会って話がしたいよ。声が聞きたいよ。また私の演奏を聴いて、凄いねって言って欲しいよ。笑窪を作って笑って欲しいよ。拍手して欲しいよ。私は、京太郎君の為だけにピアノを弾いていたのに。


「……え、引っ越し、ですか……」


「うん、京太郎の奴、巴絵ちゃんには言ってなかったのか。三つほど県を跨いだ所なんだけどね。ほら、ウチの京太郎、地方の大学に通う事になったから……って、それも初耳?」


 知らない。全部知らない。遠かったんだ。高校三年間、ずっと私と京太郎君は遠かったから。引越しした後の京太郎君の部屋は、既に荷物置き場に変わっていた。


 子供の頃一緒にカーペットに座って笑ったのに。京太郎君の漫画本を借りて沢山笑ったのに。一緒にベッドでかくれんぼして隠れてたのに。全部、一緒だったのに。


 いなくなってしまった。一番大事な人が、一番側に居て欲しい人だけが。

 全部音楽がいけないんだ、全部ピアノがいけないんだ。


 だから――。


「……京太郎君」


 彼の家をご両親から聞いて、私は単身彼の下へと向かった。

 全部を捨てるのに時間がかかっちゃったけど、今の私はただの八子巴絵。


 もう、格差なんて存在しない、普通の女の子に戻ったよ。

 久しぶりに会った京太郎君は、前よりも少し背が大きくなった感じがして。


 そして……私の知らない女の人と手を繋いでいた。 


――

次話「無謀の果てにあるものは。」

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